第19話
このまま朋美さんと一緒に居たら理性を失ってしまいそうだ…何とか気持ちを落ち着かせて気分を変えなくちゃ…
そう思い僕は
「朋美さん、送りましょうか?何だか僕ん家じゃ落ち着かないし…それに…」
その先の言葉を呑み込んだ。
朋美さんは何も言わず頷(うなず)き、ゆっくりと立ち上がる。
もしかして…朋美さん気分害したかな?何だか浮かない表情に見えるし…
そう思い僕は朋美さんに
「朋美さん?もしかして気分悪くさせちゃいましたか?」
朋美さんは少しの間黙って何も言わず、明らかに表情は少し暗く見えた。僕は不安になりもう一度
「朋美さん?どうしました?」
と、顔を覗きこみながら尋ねた。
「ううん…ごめんね…」
そう呟いてまた黙ってしまった。
「朋美さん?もしかして…さっき変なこと聞こうとしたから…気にしてます?」
朋美さんはしばらく黙ってから僕に背を向けてゆっくりと口を開いた。
「和ちゃん…あまり意地悪言わないで…和ちゃんからしたら、私は清らかな身体では無いかもしれないわ…でも、私の過去は消すことが出来ないの…私だって…出来ることなら純粋無垢な頃に戻って和ちゃんと真剣な恋愛がしたいの…」
そう言ってまた黙ってしまった。その朋美さんの切ない背中に僕はそっと一歩進んで朋美さんを後ろから抱き締めた。僕は片方の手を朋美さんの頬に当て、もう片方の手で細い肩を掴んだ。
「朋美さん…ごめんなさい…忘れて下さい。僕は今の朋美さんが大好きです。だから…あの…忘れて下さい…」
そのとき朋美さんはクルッと振り返って僕に抱き付き、目をつむって背伸びをしキスしてきた。僕はあまりの唐突な展開に頭がクラクラして数秒のことだったと思うが、気づくと朋美さんは僕から離れていた。後にこの瞬間の出来事の記憶はほとんど残っていない。
そしてボソッと
「和ちゃん、送ってくれる?」
朋美さんのその言葉に僕は我に返り
「あっ…はい…」
そう言って震える足取りで玄関に向かった。そのあと二人はずっと口を開かず、朋美さんも黙って僕に付いてきて車に乗り、朋美さんのアパートの前に到着した。
そして朋美さんが
「和ちゃん…ありがとう…」
そう言ってまた沈黙する。僕が
「いえ、何だかすいません…空気悪くしちゃって…」
と言った。すると朋美さんが
「和ちゃん、ちょっとワガママ言ってもいい?」
と、暗闇の助手席から上目遣いに囁いてきた。僕はその可愛らしい目付きに思わずドキッとしてしまった。
「何ですか?僕に出来ることなら何でも言って下さい!」
朋美さんがどんなお願いをしてくるのか期待しながら答えた。
「あのね…海に連れてって欲しいの…海岸のさざ波を見るのが好きなの…よくね、気分を変えたい時なんかはそうやって海をボーッと眺めてたの…波が押し寄せて、そして引いていく繰り返しを見てるとね、不思議と気分が落ち着くのよ」
「そんなことなら喜んで!行きましょう!この辺で一番近い海岸で良いですか?」
「ありがとう。海岸ならどこでも良いの!ドライブ兼ねて連れてって!」
「はい!」
僕もこの重苦しい空気のまま居るのが嫌だったし、梅田さんとの最悪な時間を忘れるには朋美さんとのデートは打ってつけだった。
ドライブが始まると朋美さんの表情も明るくなり、僕らは海に到着するまで楽しく会話も弾み、終始車内は笑い声で明るい空気に包まれた。
そして、海岸近くの駐車場に車を停めて、僕らは手を繋ぎながらゆっくりと砂浜の方へ歩いていった。
「なんか…デートしてるって感じで凄く幸せです!」
僕は何気無い散歩でも、朋美さんと手を繋ぎながら夜に海岸を歩くだけで嬉しくてたまらず、思わずそんな言葉が口に出ていた。朋美さんの横顔を然り気無く覗くと、朋美さんも嬉しそうに微笑んでいた。
そして朋美さんが海辺の波がギリギリ届かないくらいの所まで進んでしゃがみこんだ。僕も一緒に腰を下ろして静かに押し寄せたり引いたりを繰り返すさざ波をボーッと見ている。二人の間には会話は無かったが、何故かそれはそれで良いように思えた。ずっと手を繋いだまま、お互い前だけを見るともなく眺めた。僕はチラッと朋美さんの横顔を見る。朋美さんは何を考えているのか、暗がりの中、横顔でもうっすら微笑む表情が僕を幸せな気分にさせてくれた。
どのくらい海を見続けたのだろう…30分なのか、一時間なのか、もしくは15分程度なのか…この時だけは二人の間には時間という概念が存在しなかったかのようにお互い静かな気持ちで居られた。
そして朋美さんが急に口を開いた。
「和ちゃん…本当にこんなおばさんに恋してくれるの?」
「朋美さん、僕の心に嘘偽りはありませんよ!僕は…僕は朋美さんが大好きです!ずっとずっと…ずっと朋美さんと一緒に居たい…」
朋美さんは笑いながら
「ありがとう!嬉しいわ!」
そう言ってサッと立ち上がり
「和ちゃん、帰ろ!もう十分!」
また朋美さんは僕に気持ちを言わせるだけ言わせといて、朋美さんから欲しかった言葉は僕にはくれなかった。
朋美さん…朋美さんは本当に僕のことを想ってくれてますか?
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