第21話 距離感

 明くる日の朝、僕は家で家事をしていた。今日の講義は午後からということもあり、普段できない家事を済ませておこうと考えていた。家事と言っても手の込んだことはしない。洗濯と軽い掃除くらいだ。掃除は掃除機をかけて水回りの垢をとってカビを除去する程度である。洗濯に至っては洗濯機という便利なものがある。ボタンを押して洗剤を投入するだけで衣類が綺麗になってしまうというのは改めて考えても画期的だ。もっとも、どれほど綺麗になっているのか、その真理はわからないが、ぱっと見て綺麗になっていることは明らかだ。洗剤や柔軟剤の香りもつけることができるからそれによって綺麗になっていると錯覚しているのかもしれない。いや、実際洗濯していない状態よりは綺麗になっているのだろうが。ひと昔の前の人たちはこの洗濯というものを全て手作業でやっていたと考えると気が遠くなる。そもそも、一昔前の人たちは洗濯なんて言っていたのだろうか。洗濯という言葉の起源はいつなのだろうか。服洗い、なんて言葉を使っていた可能性もあるのではないか。なんてことを考えながらピーピーと機械音が鳴った洗濯機に近づいて洗濯機の扉を開けた。円形に絡まった洗濯物が私を迎えた。


 大学へ行く途中、コンビニでアイスコーヒーを買った。小吉と一緒に講義をサボる時は「さくら」に居座ってコーヒーを飲むのだが今日は真面目に講義に出ようと思っていたし、四六時中小吉と一緒にいるわけではない。ちょうどいい距離感で僕と小吉はこれまで付き合ってきた。例えば、見たい映画があるからと言って夕方頃に小吉を誘ったことがある。小吉はあらゆる芸術作品やエンタメに対して寛容で選り好みしないため大概付き合ってくれる。その時もすんなり僕の誘いに乗ってくれて映画館で待ち合わせをして、レイトショーを観に行った。映画を見終わった後、僕たちは特に何をするわけでもなくほとんど同じ帰り道を歩き、そのままお互いに「じゃあ」「あぁ、またな」と告げて別れた。映画を見に行くという目的で小吉を誘ったわけだから僕はそれで満足していたし小吉もそれ以上なにも望んではいないようだった。


 他にも、小吉が質の良い梨をゲットしたから食べに来ないかと誘ってくれた時があった。質のいい梨って何だよ、と思わずにはいられなかったが逆に興味をそそられてしまった僕は小吉の家に向かった。その時も僕と小吉は小吉が用意していた梨を食べて「何だよ、質がいいっていうから期待したのに、少し水分が多いだけで普通の梨じゃないか」「あぁ、そうだよ」「そうだよって・・・殴るぞ」「これはさっき俺がスーパーで買ってきた普通の梨だよ。普通の梨だけどさ、質がいいって思って食べたらさ、少し美味しく感じないか?」「そうかな、僕はおいしくないって言われて食べたほうがかえって美味しく感じるような気がするけど」「そうか、じゃあ今度は美味しくないって前置きして腐ったバナナでも食べさせてやるよ」「いや、そういうことじゃないんだよ」なんて軽口を叩いて、その後特に何をするわけでもなく帰った、ということがある。その時も僕は期待したほどではなかったが梨を食べるという目的を果たすことはできたし、小吉も僕を家に招いてまで伝えたかった持論を披露することができたことに満足していたように見えた。


 僕たちの距離はずっとその程度だ。しかしそれが居心地悪いと思ったことはない。むしろ心地よい。私は小学生の頃、仲の良いと思っていた友人がいた。そう、いたんだ。その友人だった人物はいつも僕のことを見つけると声をかけてくれたし、体育の授業でペアを組んで準備運動をする時、家庭科の時間に組んだありとあらゆる班において僕と一緒にいてくれた。僕は人と話すことが特別得意というわけではなかったし群れるのも好きではかなったため彼の存在はありがたかった。しかしある時、僕が別のクラスメイトと一緒に帰っていると彼が走ってやってきて「何してんだよ」と怒鳴りつけてきた。僕は呆気にとられて何も返すことができなかったがその直後の「俺から離れるなよ、俺と一緒じゃなきゃ何もできないんだから」という彼の発言を聞いて自分の中にあった温かい何かがサーッと消えていくような感覚を覚えた。その日から僕は彼と一緒にいることも、話すことさえなくなった。そのまま小学校を卒業してしまって以来会っていない。当時の彼が僕のことをどう思っていたかは定かではないが、あの関係は歪だったことは間違いない。少なくとも彼は、僕のことを対等な相手として見てはいなかっただろう。自分のステータスを維持するための所有物のような、そんな見方をされていたように感じる。今更そんなことを思い出しても癇に障ることすらないのだが悲観的にはなる。その時から僕は人との距離を一定以上取るようになった。それは物理的にではなく心的距離である。面倒になったのだ、どうせ後で壊れてしまう関係なら最初から必要以上に近付く必要はないと。簡潔にいうと他人と仲良くなることを諦めたのだ、無難に関係を築いてやり過ごしてきた。


 そんな中、小吉と出会った。高校生の時だった。小吉は初めて会った時から、他の人とは印象が違った。初対面の小吉は無愛想で、どこか僕に似ているものを感じていた。どこか諦めに近いようなオーラを醸し出しており、周りの人間をみんなくだらないと考えているような、冷血非道な奴だと思った。しかしそんな小吉のことが僕は嫌いではなかった。素っ気なく、適当で、「親身」や「優しさ」という言葉が永遠に似合わないようなそんな男だったがそれ以上に好ましく感じていることがあった。小吉は自分という軸を確かに持っているところだ。小吉は周りの意見に惑わされたり流されたりすることは絶対にない。必ず自分の意思で決めてきた。一見頑固に思われるかもしれないがその頑固さが僕のような人間には魅力的だった。大学に入って間もなくして僕たちはアカペラサークルの新歓イベントに参加したのだが、その時に先輩メンバーが「アカペラは自分たちの声の表現力がものを言うから、わかりやすく歌のうまさが伝わるし、わかりやすいだろ?だからカラオケやBGMやメロディを使った楽曲は邪道で嫌いなんだよね。声だけで表現できなきゃ、アーティストじゃない。」と自慢げに僕たち新入生に言ってきたことがあった。何も自慢にはなっていなかったが、僕は素直に賛同する気にはなれなかった。ところが他の新入生は「そうですよね」「わかります、その気持ち」と次々と同意する声をあげていた。それが本心かどうかわからないがどちらにしろ僕にとっては居心地の悪い場所だった。その時に小吉は言った。「俺はそうは思いません、音楽にそのような差はありませんし、どのアーティストも皆自分たちの好きな音楽を表現していることは違いないですから」と。その時の小吉は堂々としていた。その直後に「すみません、俺はこれで帰ります、このサークルには入りません、失礼します。」と言って足早に立ち去った。僕も何も言わずにその場を後にしてその直後、小吉に「すげえな、先輩にあんな啖呵きって、よく言えるよ」と揶揄したつもりで言ったのだが小吉は平然として「何がだよ、思ったこと言っただけだ。俺はたとえ世界中の人間が嫌いっていうものがあったとしても俺がそれをどう思うかは俺が決める、他の誰にも決めさせねえ」と返してきた。その時僕は小吉は僕とはちっとも似ていないと思った。僕は小吉のようにはっきりと自分の意見を持っていないしそれを堂々と伝える度胸もない。ただ自分に合わないものから逃げていただけだった僕には小吉の性格や気概は憧れだった。その時同時に、こいつは僕を裏切らない、とも思った。そもそもそんな打算的な人間関係を築くような奴ではないと心底思った。


 出会った頃から僕たちの距離はずっと一定だ。近すぎず遠すぎない、ちょうどいい距離感だ。それでいい、きっとそれが僕らの最適距離だ、これからも。


 アイスコーヒーを飲みながら大学へと向かう道を歩いていると後ろから聞き慣れた下駄の音が聞こえた。振り返ると小吉がすぐ側の自販機で買ったであろう缶を2つ持っていた。アイスコーヒーを買ったことを少しだけ後悔した。

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