【完結】「癒やしの力を持つ聖女は王太子に嵌められ民衆の恨みを買い処刑され時を巻き戻る〜二度目の人生は誰も救いません」

まほりろ

1話「癒やしの力を持つ聖女、処刑され時を巻き戻る」



「大逆罪人リート・レーベンは聞け! 貴様は養父バルデマー・レーベン公爵と結託し、人頭税を払えない子供達を奴隷商人に売り払い多額の見返りを得た! その罪まことに許しがたい!」


王太子殿下が冷酷な表情で私と養父の罪状を読み上げる。 


「聖女の癒やしの力を使い貧しい子供達の病や怪我を治療したのは、健康状態を良好にすることで少しでも高く売る為だったことはすでに調べがついている!!」


広場に作られた処刑台、その上に設置された二台の古いギロチン。


私とレーベン公爵はギロチン台に首をセットされていた。


広場には場を埋め尽くす程の大勢の人が集まり、殺気立った目で私達を睨み、恨み言を叫んでいる。


「返せ! 私の子を返せ! 性奴隷として他国に売られるぐらいなら病で死んだ方がましだった!」


子供を失った母親達が鬼の形相でこちらを見ている。


「また両名は隣国との間に戦争の火種を作り故意に戦争を引き起こし、我が国に多大な損失を与えた!」


王太子が謂われのない罪状を次々に述べていく。


「戦場で兵士の傷を癒やせば、己の聖女としての地位が向上すると考えたのだろう、なんと愚かで非道な計画だ! そんなことの為に戦争を引き起こすなど悪魔の所業! 貴様に治療された兵士は何度も何度も戦場に送られ廃人と化した! 貴様達の犯した罪は万死に値する!」


夫や子供を失った人たちから冷ややかな視線を向けられる、彼らが私を見る目はゴミを見るときと同じだった。いや殺気を含んでいる分もっと悪い。


「息子は戦場から帰ってから心を壊した!」

「生きて帰ってきても元のあの人じゃない! 心臓が動いていても生きていない! 生きる屍よ! あんなに苦しむあの人の姿を見るくらいなら戦場で死んだ方がましだった!」

「己の地位を高めるために戦争を起こすなんてお前たちは人間じゃない、化け物だ! 鬼畜だ!」


民衆から暴言と共に卵や果物や石を投げられる。


隣のギロチン台を見ると養父にも卵や石が当たっていた。


「リート貴様は公爵家に災いをもたらした、貴様など養子にするのではなかった……」


養父が恨みのこもった目で私を見据え、呪いの言葉を放つ。


私には癒やしの力がある、病でも怪我でもたちどころに治し、失った手足すらも元に戻す事ができる恐ろしい力が。


私は十四歳の時その力に目覚めた。十三歳で両親を亡くし天涯孤独だった私は、村の人の怪我や病を治し見返りとして僅かな報酬を得てほそぼそと生計を立てていた。


ある日王太子殿下が私の住む村を訪れ、一緒に王都に来てほしい、国王の病を治してほしいとお願いされた。


王族の願いを断れるはずもなく、私は馬車に乗せられ王城に連れて行かれた。


国王陛下は重い病で伏せっていらしたが、私の癒やしの力で病を治す事ができた。


それからはあっという間だった。


私は国王陛下より聖女の称号を与えられ、レーベン公爵の養女になった。


そして王太子にプロポーズされ、王太子の婚約者になった。


王都に来てから三年間、ずっと王太子の指示で孤児院や教会を訪れ貧しい子供を治療してきた。


隣国メーアト国との戦争になってからは、二年間毎日傷ついた兵士を治療した。


それらは全て国王と王太子の命令だった。


貧しい子供達が人頭税を払えず奴隷に落とされ、他国に売られていたなんて知らない。


治療を施した兵士が精神を病んで廃人になっていたなんて、そんな話聞いてない。


養父も私も隣国に戦争なんて仕掛けてない。


「隣国メーアト国が攻めてきた、戦争を回避する手立てはない。我が国の戦力では到底メーアト国に敵わない。


このままでは我が国の敗戦は確実、メーアト国の属国にされてしまう。


属国になれば若い男は国境の警備として北方に送られ、女は娼婦として売られ、利用価値のない年寄りは殺され、幼い子供は労働力として他国に奴隷として売られるだろう。


リート助けてくれ! 兵士達の傷を癒やし不死身の軍隊を作ってくれ! 我が国が生き残る道はそれしかない! 国の命運は君の癒やしの力にかかっている!」


国王と王太子に何度も何度も頭を下げられた。国王や王太子の頼みを断れるはずがない。国を守るためと自分に言い聞かせ、私は傷ついた兵士を治療することを承諾した。


それなのに戦争が終わったら、私と義父にすべての罪をなすりつけて逃げるおつもりですか?


国王も王太子も隣国に勝てたのは私のおかげだと言って、あんなに喜んでいてくれたのに、褒めてくれたのに。


大怪我を負った幼い子供の治療したとき、母親は「助けて下さりありがとうございます! 聖女様! この御恩は一生忘れません!」と言って涙を流して喜んでくれたのに……それなのにその母親は私に石を投げつけている。


兵士を治療した時も「聖女様が治療して下さったおかげで息子が無傷で戻ってきました!」「聖女様、夫の命を助けて下さりありがとうございます!」みんなあんなに喜んでいたのに……その人たちは今、私に向かって卵を投げつけ罵詈雑言を吐いている。


「ユーベル様……」


「なぜこんなことを……」と続けたかったが、民衆の投げた石が顔に当たり言葉を続けられなかった。


「黙れ貴様との婚約はすでに破棄されている! 軽々しく僕の名を呼ぶな! 大逆罪人が!」


王太子は私に蔑みの眼差しを向け、口汚く罵った。


「罪人リート・レーベンの罪は明白、よってリート・レーベンを極刑に処す!」


私の死刑が確定すると民衆から歓声が上がった。


「レーベン公爵は爵位を剥奪の上、死罪とし、レーベン公爵家は取り潰すこととする!」


レーベン公爵は私をギロリと睨み「疫病神! 悪魔! 貴様のせいだ!」と叫んだ。 


「元レーベン公爵と元聖女のリートの犯した罪は重い、二人を処刑だけでは民の怒りは静まらないだろう! 二人の罪は決して許すことは出来ない! 元レーベン公爵家の人間は当主の三親等先まで死罪とし、使用人から家畜に至るまで処刑する!」


「……そんな」


養父の顔色は青を通り越し真っ白だった。


「どうして関係のない人たちまで巻き込むのですか……!」


養父の家族も使用人の人たちも何も悪いことなどしてないのに……!


「悪魔の聖女リートはアポテーケ村の出身だと聞く。このような悪魔を育てたアポテーケ村の罪は重い、よってアポテーケ村を焼き払い、村人は全員捕らえ首をねる!」


「止めて……! 村の人たちは関係ない!」


懐かしい村と心温かい村の人達の顔が浮かぶ。なんの罪もない純朴な村の人達を処刑するなんてあんまりです!


「黙れ罪人! 貴様が犯したのはそれほどの大罪だ!」


私はただ、国王陛下と王太子殿下の命令に従っただけなのに……!


なんの罪もない大勢の人を巻き込んでしまった……!


「刑を執行せよ!!」


王太子が合図するのと同時に、兵士がギロチンの刃を固定する縄を切った。







私が癒やしの力など持っていなければこんなことにはならなかった……。


もし人生をやり直すことができるなら、十四歳の誕生日に戻れるのなら……今度は誰も癒やさない。




☆☆☆☆☆




目を開けると古い木組みの天井が見えた。


見覚えのある部屋、嗅いだことがある匂い。


「私、ギロチン台にセットされて……それから……」


処刑された事を思い出し戦慄した。ブルブルと震える手で首に触れる。


「よかった……繋がっている」


首筋に手を当てて確認したが、傷一つなかった。


その時扉がドンドンと叩かれた。


「リートちゃん、起きてるのかい? 私だよ」 


ドアの外から聞き覚えのある声がする。


この声はアポテーケ村にいたとき、お隣に住んでいたおばさんの声だ。


私はベッドから出て、ゆっくりと扉を開けた。


にこやかに笑う中年のご婦人が立っていた。間違いない、昔隣に住んでいたおばさんだ。


おばさんは右手には大きなバスケットを抱え、左手にピンクの花を持っている。


「やっと起きたね。おはようリートちゃん、それから誕生日おめでとう。クッキー焼いたからお食べ、土手に綺麗なお花が咲いていたから摘んできたんだよ、よかったら食卓にでも飾って」


おばさんがにこにこ笑いながら、お菓子の入ったバスケットと、花束を私に手渡した。


「誕生日……?」


「やだ忘れちゃったの? 今日はリートちゃんの十四歳の誕生日よ」


「ボケるにはまだ早いよ」と言ってケタケタと笑いながら、おばさんは帰って行った。


扉を閉め、ゆっくりと息を吐く。


胸に手を当てると、心臓がどくどくと激しく音を立てていた。


「時間が巻き戻ってる……?」


私は部屋の中を見回す、三人がけのテーブルと椅子、古ぼけた食器棚、一人用の木のベッド、壁にかけられた小さな鏡、間違いなく十五歳まで私が住んでいた家だ。


壁の鏡の前に立ち自分の姿を確認する。


栗革くりかわ色の髪に胡桃くるみ色の瞳の見慣れた顔、でも鏡の中の私はあどけなさを残していた。


どう見ても十三歳〜十四歳ぐらいの少女の顔だ。


「タイムリープ……したの?」


未来の記憶を持ったまま、精神だけ時を遡り、過去の自分の体に宿るタイムリープというものがあると、王宮の書物で読んだことがある。


おばさんは今日が私の十四歳の誕生日だと言っていた。


やり直し前の私は二十歳だったから、六年分の時が巻き戻ったことになる。


十四歳の誕生日、私は癒やしの力を得た。


その日の夕方村長様が馬車の下敷きになり大怪我を負う、私はそこで初めて癒やしの力を使った。


「私は……この村にいてはいけない」


私は急いで荷造りをし【旅に出ます】と書いた紙を机の上に置き、生まれ育った村を後にした。


両親は一年前に亡くなった、私が村を出て行っても悲しむ人はいない。


私はここにいてはいけない、この村にいたら私は村長様を助けてしまう。


私が村長様を助けるために癒やしの力を使ったら、いずれ王家に知られてしまう。


王族に見つかり利用されるのはもう嫌、沢山の人が私のせいで不幸になるのを見たくない。


やり直し前の人生、始めのうちはアポテーケ村の人や近隣の村の人達の怪我や病を治しているだけだった。


私はそのままひっそりと村の人たちを治療して、一生アポテーケ村で生きていくつもりだった。


でも運命は残酷で、王太子が私の噂を聞きつけてアポテーケ村を訪ねて来た。それから私の人生はおかしくなった。


王都に連れて行かれ、国王の病を治したことで聖女として崇められ、王太子に「皆の為」と説得され、大勢の人を癒やした。そして要らなくなったら全ての罪を押し付けられ処刑された……そんな人生はもう嫌。


私が王都に行けばまたレーベン公爵の養女にされるだろう。レーベン公爵家の人を巻き込めない。


レーベン公爵家の人は平民出身の私にも分け隔てなく接してくれた、養父である公爵は貴族としての嗜みを、養母である公爵夫人は読み書きや刺繍やダンスを教えてくれた。


メイドさんも執事さんも、みんな情に満ちたいい人達だった。


私を養子にしたばかりに養父は爵位を剥奪され、家を取り潰され、養父の三親等先の親族は処刑され、使用人まで殺された。


私が治療を施した貧しい子供達は奴隷として海外に売られた。


私が癒やした兵士達は、何度も何度も治療され戦場に送られ廃人になった。


ハイル国に攻められたメーアト国は、戦争に負けハイル国の属国になった。


今回の人生でも、私が癒やしの力を使えば遅かれ早かれ王家に嗅ぎつけられる。この力を王家に悪用させる訳にはいかない。


村長様が大怪我をするのを分かっていて見捨てるのは、心苦しい。


だけど私が癒やしの力を使えば村が無くなる。六年後アポテーケ村は悪魔の聖女の誕生した地として焼き払われ、村人は皆殺しにされる。


私はアポテーケ村にいないほうがいい。


今回の人生では聖女の力を使わない。


大勢の人を巻き込まない為に村長様を見捨てる私は酷い人間だ、でも他に選択肢がない。


今回の人生は誰も私の巻き添えにしたくない。


私は最低限の荷物を背に村を後にした。


「ごめんなさい村長様、さようなら村の人達」


私がアポテーケ村の土を踏むことは二度とないだろう。




☆☆☆☆☆





村を出てから二年が過ぎ、私は十六歳になった。


二度目の人生で私は癒やしの力を一度も使っていない。


隣国のメーアト国に渡りいくつもの町を転々とした。今はフルスネコの町という大きな町に落ち着いている。


メーアト国に来て知ったことがいくつかある。


メーアト国はハイル国よりも国土が広く、温暖な気候で穀物がよく育ち国自体が豊かで、民の生活も安定している。


音楽を好む人が多く、ファッションや建築学が進んでいるということ。


やり直し前の人生で私はメーアト国を滅ぼしてしまった。


こんなにも自然が豊かで、人々が穏やかに暮らしている国を、私は不死身の軍隊を作り出し滅ぼしてしまったのね。


やり直し前の人生で王太子が言っていた事を思い出す。


『メーアト国の人間は皆野蛮で攻撃的だ。料理は手づかみで食べ、男は暴力的で気に入らない人間がいると女でも子供でも平気で殴る。


好戦的な民族で民から税を搾取し兵器の開発ばかりしている。そのせいで民は食べる物にも事欠き苦しい生活を強いられている。


メーアト国が攻めて来たら今のハイル国の兵力ではなすすべもなく負けるだろう。そうなればハイル国の国民は皆奴隷にされてしまう。


だからリートの癒やしの力で傷ついた兵士を治療してくれ! 強力な兵器のない我が国がメーアト国に勝つためには他に方法がないんだ!』


ユーベル様はそう言って私に兵士の治療をさせた。


今なら王太子が嘘を言っていたと分かる。


メーアト国は大きな国だが人々は温厚で、町中で誰かが暴力を振るっているころなどない。まれに見ることはあるが、そういう人は直ぐに兵士に捕まり牢屋に入れられている。


私は国政には詳しくはない、だけど音楽や文学を好むこの国が、民から税金を搾り取り兵器を開発しているようには思えない。


国王陛下も王妃陛下も王太子殿下も平和を好む穏やかな人だと皆が口を揃えて話している。


今なら分かる、好戦的な性格の悪人はハイル国王と王太子のユーベル様だったのだと。騙されたとはいえ、私はとんでもない過ちを犯してしまったのだと。


メーアト国の人達はよそ者の私にも良くしてくれました。


私はこの国の為にも癒やしの力は二度と使わない。


ユーベル様のような人間に癒やしの力を悪用させないために、私の持っている力の事は死ぬまで秘密にしよう。



☆☆☆☆☆



私はメーアト国で写本師として働いています。前回の人生で公爵夫人に文字の読み書きを教わったのが役に立っている。


写本師の仕事は貴族からの依頼で、本を手で写すこと。


字が書けない人の代わりに、字を読んであげたり手紙を書いてあげたりすることもある。


収入がいいので自宅兼仕事用に小さな部屋を借りられました。


「おはよう、リア」


朝早く仕事部屋に仕事仲間が訪ねてきた。


「おはよう、ビーネ」


リアというのは私の偽名、万が一の為に本名は隠している。


「新作の売上はどう?」


「俺の絵と君が書き写した文章が合わされば鬼に金棒だよ、ヒットしない方がおかしい」


ビーネは写本装飾師だ。私の写した文章にビーネが絵やページ飾りを描き、上等な紙でカラーの表紙を作る。


ビーネが装飾した本は人気が高く、貴族のご令嬢やお金持ちの商人のお嬢さんに高値で売れている。


時折医学書や法律関係の本も書き写しているけど。医学書や法律関係の書物も高く売れるのだが難しい用語が多く、一字一句間違いなく写さなくてはいけないので気が抜けないのが難点。


やはり写本するなら物語に限る。


「リアとビーネのコンビは最強だって、巷で評判なんだけどな」


「聞いたことないわよそんな話。絵はともかく写本なんて誰がやっても同じでしょう?」


「同じじゃないよ、字にはその人の性格が出るからね。リアの字は癖がなくて、誤字脱字が少ないから貴族ご令嬢方に大人気なんだよ」


「そうなの?」


「そうだよ。リアはもっと自分に自信を持ってもいいと思うな」


自分に自信ね……そんなもの持ってもいいのかしら?


「ねえ、リア」


ビーネが急に真剣な顔をした。


「なぁに、ビーネ?」


ビーネは真空色まそらいろの髪に天色あまいろの瞳、長いまつ毛、整えられた眉、きめ細やかな肌、綺麗な顔の持ち主。


思わず見惚れてしまうほどの美青年に至近距離で見つめられ、心臓がドキドキ音を立てる。


「仕事だけでなくプライベートでも俺のパートナーになってくれないかな?」


「えっ……?」


ビーネは私より二つ年上、背がスラリと高く、物腰が柔らかな好青年だ。


ビーネが難しい法律の本をスラスラ読んでいるのを見たことがある、それに彼の身のこなしは優雅で洗練されている、恐らくそれなりの教育を受けている。


やり直し前の人生で、たくさんの貴族やお金持ちの商人を見てきたので分かる。


本人は隠しているようだが、おそらくビーネは貴族の庶子かお金持ちの商人の息子。


そのビーネが私にプライベートのパートナーになってほしいと言ってるの? どうして?


ビーネは真面目に仕事をこなすし、乱暴な言葉を使わないし、紳士的だし、良い人だとは思う。


でもなんで私なの? ビーネならもっと他に良い人が見つかりそうなのに。


「聞いてもいいかしら?」


「なんだい?」


「どうして私なの?」


「君が好きだから」


「好き……?」


「リアのひたむきなところも、仕事に手を抜かないところも、健気なところも、全部好き」


ビーネの「好き」という言葉を聞いて、やり直し前の人生でユーベル様に告白された時のことを思い出した。


ユーベル様と私の出会いはアポテーケ村だった。


アポテーケ村に聖女がいるという噂を聞きつけた王太子が衛兵を引き連れ村にやってきたのが全ての始まり。


ユーベル様は初対面の時から、ただの村娘であった私に優しく接してくれた。


金色の髪に緑の目の見目麗しい王太子が私の前に跪き、


『君の全てが好きだ、結婚してほしい』


と言って私の薬指に指輪を嵌めた。


恋愛経験のなかった私は王族にプロポーズされて舞い上がってしまった。


四年後全ての罪をなすりつけられ、王太子に殺されるなど夢にも思わず、私は結婚の話を承諾した。


ユーベル様を愛していた、信じていた、大切に思っていた。


裏切られ、全ての罪を押し付けられ、ギロチン台に繋がれ首をねられるまでは。


時間を巻き戻して全てをなかったことにしても、愛する人に裏切られゴミのように捨てられた心の傷は消えない。


ビーネはユーベル様とは違う、それは分かっている。


でも怖い、利用され、裏切られ、切り捨てられ、紙くずのように捨てられるのではないかと疑ってしまう。


「……少し考えさせて」


「分かってる、気長に待つつもりだよ。何年でも何十年でもね」


ビーネはそう言って儚げに笑った。


ビーネは『気長に待つ』と言ってくれたが、彼はモテる。


きっとそのうちいい人が見つかって、私のことなど忘れ……他の誰かと結婚するだろう。


ビーネが教会の祭壇の前に立ち、知らない女性のヴェールを捲る姿を想像してしまった。


そのとき私はきっと、会場の隅の席に座り幸せな二人を眺めているのね、もしかしたら式にすら呼ばれていないかも。胸がチクリと痛む……そうなったら寂しい。


誰かと付き合うのは怖い、秘密が知られてしまいそうで精神が抉られる。


でも彼の隣にいると安心するのも事実で……どうしていいか分からなくなる。


「今のまま、仕事のパートナーのままでいられないのかな」


ビーネの背を窓から見送りながらポツリと呟く。


愛していた人に裏切られるのが怖い、誰かを心から信頼出来ない。


土足で心をぐしゃぐしゃに踏み潰されるような、あんな思いは二度としたくない。


いつかこんな気持ちを乗り越えて、彼のプロポーズに笑顔で「はい、喜んで」と応えられる日が来たらいいな。


私が人を心から信頼するには、もう少し時間がかかりそうだ。




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