素人男性による心理社会論

ミソジニストな男性しかいない?

ケイト・マン、上野千鶴子、江原由美子、らの功績によって、ぼんやりとしていたミソジニーという言葉の本質が鮮明になってきた、つまるところそれは非常に巧妙な支配のやり方のことである、では逆に考えれば、支配というのは男性の本質なのであろうか?男性同士でも支配したがる、女性にも支配欲はあるのだろうか?あるが、その表出の仕方が違うのであろうか?女性に従属しているかのように見える男性も何らかの形で女性を支配しているのであろうか?そもそも、ミソジニストではない男性などこの世に一人でもいるのだろうか?いないとすれば、その理由はなぜなのであろうか?やはり支配は男性の本質、いや、下手をすると人間の本質なのであろうか?もしそうだとするならば、我々人類はどうすれば良いのであろうか?どちらの方向に進んでいけば良いのであろうか?なにをどうしようとも、誰かが誰かを支配するのであろうか?ジェンダーとか、平等とか、表面ではなく本当に理想的になる日など来るのだろうか?わからないが、しかし、分析や明確化は歴史とともに、人間の努力によって確かに進んでいってはいる、言葉によって発見がなされていっている。


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