もう少し待って (ほのぼの)
八月十六日。お盆最後の日。私は冷蔵庫を開け、氷をたっぷりと入れたグラスに、作っておいたアイスコーヒーをなみなみと
ダイニングチェアに腰かけ扇風機の風を受けながら、ぐいと飲み干す。爽やかな苦みが喉を潤すが、涼を感じたのはほんの束の間。キンキンに冷えたアイスコーヒーも、最大の力で部屋中に風を送り届けている扇風機も、日本の夏の暑さに敵わない。もう夕方だというのに、だ。
「さて、と」
しばらくして私は立ち上がる。送り火をそろそろしなければならない。日が落ちて暗くなる前に、母を向こうに送らなければ。
送り火とは、迎え火によってお盆に帰って来たあの世の人々を、再びあの世に送り出す行事のことである。
今年は同居する父がうっかり転んで腰を打ち、先月から入院したので、十年前に亡くなった母を送り出すのは私の役目となった。
役目、というと大層に聞こえるけれど、ただ玄関に盆提灯をおき、扉と門を開けて見送るだけだ。本来は家の前などでおがらを焚くが、入り組んだ住宅街で火を出しては危ないので、我が家ではやらないことにしている。まあ形式にこだわらず、亡くなった者を思う気持ちが大事なのだ、と思っている。
私は伸びをして、玄関に向かおうとした。すると、
「もう少し待ってよ、
ふいに和室の方から女の声がした。思わず足を止める。心臓の鼓動が早くなる。少し鼻にかかる、のんびりしたその声は、間違いなく、母の声だった。
リビングと続いている和室に、そこそこ大きな仏壇が置いてある。襖を開けて部屋を覗くと、コーヒーの匂いがした。
仏壇には、写真の中に笑う母と、ささやかな盆飾りに紛れて、グラスに
仏壇に近づいて、氷がたっぷり入ったグラスを見る。
少し減ってる……?
自分のと同じように、なみなみと
まさかなあ、と私は首を捻った。まさかなあ……と、は、思うけれど。
ダイニングに置いてある全力の扇風機を和室まで引っ張って来て、畳に足を投げ出して座った。やっぱり、送り火はもうちょっと後にしようと思う。
お母さんだって、暑いものね。キンキンに冷えたアイスコーヒー、飲んでから帰りたいよね。
きっと、そうに違いない。
母の遺影を見つめながら、私はそのままごろんと寝転がった。
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