第30話 誤認逮捕(3)絶望
桑本は混乱した。
なぜか検査の結果、自分の手から有罪の証拠が出てしまったのだ。
「関係なく触ってしまったかもしれない」
そう主張してみたが、チカンと騒がれてから後、制服に触れていない事が目撃証言でも駅のカメラでも残っていた。
そしてチカンの事が新聞に載ると、妻と娘は冷たい目をして、妻の実家へ行ってしまった。
それに追い打ちをかけるように、桑本が自白を強要している事、それで梶浦真之も誤認逮捕した事、反社会的勢力との癒着、証拠の捏造。それらが次々とネットで明らかにされて、示談や懲戒免職だけでは済まない大問題に発展し、連日マスコミが家や警察署に詰めかける騒ぎになっていた。
桑本は、絶望していた。
色々とネットを騒がせたリクは、その首尾に満足していた。
「警察だって威張って大きな態度をとってたのにねえ」
リクが言うのに、モトは鼻を鳴らす。
「あっという間に加害者だ。怖い怖い」
それにセレが、そっと言う。
「加害者、被害者、傍観者。その境界線なんて大したもんじゃないんだな。簡単に踏み越えて、変わってしまう。
境界線なんて、あっけないもんだな。
そのくせ、物凄く高くて分厚く感じるのに」
リクは肩を竦めてコーヒーサーバーをセットし、モトは桑本の疑惑を報じるテレビを消した。
「俺達はその境界線を、人知れず行ったり来たりしてるわけだな」
セレはソファにもたれこんだ。
「忙しいな、全く」
「さあ、最後の仕上げだ」
モトはそう言った。
事情聴取され、一応家には帰されたが、出歩かないで大人しくしているようにと桑本は言われた。
言われなくとも、出かける気力は無い。家にあったアルコールを飲み、冷凍食品や買い置きの菓子類を食べ、電話の呼び出し音から耳を遠ざけていた。
「あいつらも、こんな気持ちだったんだろうか」
初めて、梶浦真之や、ほかの被疑者の事を思った。
缶ビールが数本しかなかったのですぐになくなったが、買いに外に出るのは、面倒だし、目が気になった。近所も店の店員も、皆が自分の事を知っているような気がする。
「ああ。これが逃亡中の被疑者の気持ちか」
桑本は薄く笑った。
そしてゴロリと仰向けになると、天井を見ながら考えた。
(証拠の捏造も反社会的勢力との癒着も証拠はない。強要だって、言った言わないの問題だしな。
だとすれば、シラを切ればどうにかなるか。チカンは、何で俺の手に繊維片が付着していたんだろうな。乗る前でも下りてからでも、制服に触った覚えはないのによ)
ううむと唸り、起き上がって腕を組んだ。
「でも、そうなるとチカンはギプスのガキって事になるな。
駅長室にあのガキは来なかったが、どこの誰だ」
呟きに応えるように、何者かの声がした。
「知ってどうする」
「!!」
振り返ろうとした桑本の肩を、がっしりとした誰かが押さえる。
「お前、あのサラリーマンか!?」
モトは小さい声で言った。
「眼鏡とかつらで印象が変わってたはずなのに、腐っても刑事か」
セレは素知らぬ顔で、ハンガーがぶら下がっているぶら下がり健康器にロープをかけ始めた。
「ああっ!?お前、ギプスはどうした!?」
「捨てた」
短く言って桑本の方を向く。
「てめえら、グルか。俺をはめやがったんだな!?」
そう言って抵抗しようとするが、モトにツボを押さえられ、力が出ないままぶら下がり健康器の下へ連れて行かれ、首をロープの輪に入れられ、焦った。
「ま、待て!何でだ!?」
暴れようとするが、モトもセレも冷たい目を向ける。
「お前がした事だろう?自分の番になっただけだ。気にするなよ」
モトは皮肉気に唇を歪めた。
桑本は、必死になって助かる道はないかと考えた。
「こんな事をして、どうなると思ってるんだ!お前ら、お、俺をどうするつもりだ!」
セレは桑本を見た。
「さあな。
加害者、被害者、傍観者。もともと境界線なんて、細くて、いつでも踏み越えられるものなんだろうな。
あんたは、加害者だったし、傍観者でもあったし、これから被害者になる」
「お前ら、何だよ……」
「被害者であり、加害者になった者、かな」
言って、モトは男を支えていた腕を離すと共に、足の下にかましていた椅子を蹴り飛ばした。
一気に首にロープが食い込み、全体重がそこに掛かって首の骨が折れ、気管と血管が圧迫され、まず失神した。そして、死んでゆく。
縊死特有の死に方をするのを見届け、モトとセレは遺留物のチェックをすると、来た時同様、素早く姿を消した。
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