第11話 大人なんだから、もうちょっと、ねえ?

 財務院特別会計室は静かではあるが、ウルサイ。

 カリカリ、ガリガリは羽根ペンで文字を書く音。ペラペラ、パタン、バタンは分厚い資料や書籍を捲ったり閉じたりする音。ツカツカ、スタスタ、ウロウロは必要な物を求めて室内を歩き回る音。その他にも、集中力が切れてしまった誰かの欠伸、計算が合わず苛立った誰かの舌打ち。それとなく気になる音の種類が豊富だ。


「職員の皆さ~ん、耳だけを拝借したいのですが~」


 所用で王宮へと出向いていたクラキ室長が戻ってきた。年がら年中顔色が悪いと評判の彼は様々な書類で埋もれてしまっている自席に向かいながら、間延びした口調で職員全員に向けて声を放った。

 国民の税金で賄われている王族の為の予算や、王族が所有する財産などの管理を任されている特別会計室は、国家予算、軍事予算、国民の税金の管理を任されている部署に比べたら忙殺される時間は少ないが、それなりに忙しい。職員たちは仕事の手は止めずに、視線もクラキ室長には向けず、彼の声に耳を傾ける意志は向ける。

 それを理解しているクラキ室長は何事もないように、手にしている書状の封を切り、丸まっているそれを丁寧に広げた。


「え~、話を続けますね~。王太子殿下の侍従の方からお願いされてしまったことがありますので、皆さんの御協力を賜りたいです。何でも、王太子殿下が推薦する御方との縁談話があるようでして、王宮、軍、官庁などありとあらゆる場所から希望者を募っていらっしゃいます」


 クラキ室長の言葉に独身の職員たちの手が一斉に止まる。独身ではあるがそういった話に興味が無いハルジや、既婚の職員は我関せずと仕事を続ける。但しハルジ以外は、何か面白そうな話が聞けるかもしれないと期待して、確りと聞き耳を立てている。


「この縁談に興味のある独身男性の皆さんは一旦仕事の手を止めて、室長の席に集まってくださ~い。あ、因みに現在独身であれば、結婚歴がある方でも構わないそうです」

「室長!募集しているのは独身男性だけですか?独身女性の募集はしていないんですか!?」

「残念ながら、今回のお話では独身男性だけを募集しています。ですが!麗しの女性職員の皆さん!縁談や安売りの話題が耳に入りましたら、職場で遠慮なくガンガン流していきますので、御安心を!」


 室長の言葉で、出会いの場を激しく求めている独身女性職員たちの纏う空気が柔らかくなり、ほっと胸を撫で下ろす人がちらほら。一方、募集要項に該当する男性職員たちはウキウキしながら室長の周囲に集まっていくが、その中にハルジの姿はない。独身男性且つ恋人もいない彼だが、本当に興味が無いらしい。


「クラキ室長!相手の女性はどのような方なんですか!?」


 鼻息も荒く、クラキ室長に詰め寄っているのは、四十代後半独身のスヴィーンホフジ財務官。結婚歴が無い彼は年齢も年齢だけあって焦燥感を持っているようで、積極的に出会いの場に足を運んでいるようだが、成績は芳しくない。上司が持ってきた縁談に望みをかける彼だが、その必死な姿が未婚、既婚問わず女性をドン引きさせていることに気が付くことが出来たら、光は見えてくるかもしれない。


「王太子殿下が態々そのようなことをされるということは、若しかして、相手の女性は王族か貴族、はたまた名家の御令嬢ですか……!?」


 地方出身であることに劣等感を抱いているらしい、三十代前半独身のエイクラウフ財務官。最先端の流行を気にする彼は外見も気にする為か、見目が良く感じられる。生まれも育ちも王都である女性とばかり付き合っていると噂されている彼だが、結婚相手には若く美しい良家の子女を求めていると豪語しており、職場の女性陣に白眼視されていることに全く気が付いていない。

 その二人以外の独身男性たちも期待に胸を膨らませて、ついでに鼻の下も伸ばす。クラキ室長は書状に目を落とし、静かに告げた。


「お相手の女性は。元近衛師団中隊長のステルキ元准佐です。ちょっとした手違いで降格されて左遷までされてしまいましたが、元より第三王女殿下の信頼厚く、名門クヴェルドゥールヴ家の後見を受けている女傑ですから、良縁間違いなしですよ~」


 その名を耳にした途端、緩ませきっていた顔の筋肉をきゅっと引き締め、独身男性職員たちは蜘蛛の子を散らすようにその場から去っていき、各々の席に着いて、職務に励み出した。

 ”自滅のワルツ事件”の当事者と結婚なんてしたら、奇異の目で見られるに決まっている。出世の道が閉ざされる予感しかしない。

 器が小さいと言われても結構。自分よりも背が高くて格好良い女性なんて無理!

 腕っぷしの強さはどう考えてもあちらのが格段に上。夫婦喧嘩をした日が命日になるに違いない。

 正直、ステルキ元准佐よりも彼女の背後にいるクヴェルドゥールヴ家の息女アルネイズと結婚したい。

 ――彼らには彼らなりの理由がある。然し、大人の男性として、その反応は如何なものか。


「……反応が露骨過ぎて笑えないわね」


 ハルジの隣席にいる既婚者女性のブローミ財務官が、嫌悪感を露骨に出して、ぼそりと呟く。


「特別会計室からの希望者は無し……と」


 クラキ室長は王太子の侍従から預かった書状にサラサラと記入して、それを机の引き出しにしまい、通常業務に戻った。


『面倒に巻き込まれないようにと心がけて生きているのに、面倒に巻き込まれて損をするのが得意というか……最早特技なんですよね、あの人』


 ハルジの脳裏に、ふと、人懐っこい笑顔が印象的な青年の言葉が蘇る。彼はこうも言っていた――前世でとんでもないことをやらかして、今生でその罰を受けているのでは。そう思わずにいられない不運を、ステルキ元准佐は笑って誤魔化していると。


(周囲の人間に裏目にしか出ないことばかりをやらかされたら、鈍い僕でも落ち込んで、思考の沼にずぶずぶと嵌って抜け出せなくなりますね。彼女も笑って誤魔化さないで、はっきりと巫山戯るなと言い放った方が、案外事態が好転するのでは……?)


 共感能力が著しく低いハルジだが、一度も会ったこともない、顔も声も知らない彼女に同情してしまった。

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