第4話 ヴェルザ 王都 帰るしかない
対面のヴェルザの唇の片端がぴくぴくと痙攣している。彼女は今、思い出したくない過去を脳裏に浮かべているのだろうと察したヘルギが口を開く。
「……帰国して直ぐに事件の顛末を知った王太子殿下が国王陛下を諫めてくださったのだが、あの馬鹿王子可愛さと御自分の非をお認めにならないのとで陛下が意固地になられてしまってな。ヴェルザとアルネイズの処分の撤回を求めたのだが遅々として進まず……ああ、思い出すだけで腸が煮えくり返る。仮にでも君主でなければ、さっさと狼の餌にでもしてやれたものを……」
「義兄君、不敬罪で訴えられてしまいます。お言葉には十分にお気を付けください。お気持ちは物凄くよく分かりますが」
ヘルギは妹たち可愛さに文句を言っているのではない。公私混同を嫌う彼は、二人が理不尽な理由で処分を受けたことに怒っているのだ。正当な理由での裁きであれば、彼は文句を言ったりはしない。少々、日頃の鬱憤が姿を見せているような気もするが。
「兎に角、一度王都に戻ってきてくれないか、ヴェルザ?王太子殿下がヴェルザと直接話をしたいと仰っているのだ。私が此処にいる時点で察していると思うが、逃げられないぞ?」
「狩りが得意な義兄君から逃げられるとは思いませんよ……義兄君を見た瞬間に、終わった!と思いました。……あの~、駄目元で申し上げたいことが」
「何だ?ヴェルザを連れて帰るのは決定事項だが、言うだけ言ってみなさい」
「王族の方々と今後一切接触をしないで済むので、現状に満足しています。警邏の仕事もやり甲斐があって……ですから……王都に戻りたくないのです」
これからはちゃんと手紙を書くし、クヴェルドゥールヴ一家を訪ねる機会も作るので。と、ヴェルザははにかみながら義兄にお願いしてみた。それを耳にしたヘルギは片眉を跳ね上げて、にっこりと微笑む。室内の温度が一気に下がった。珍しく義兄に反抗の意を示したヴェルザの背に、ぞぞぞっと悪寒が走った。
「……そうそう、ヴァトナボルグを訪れるまでに色々な事があってな。ヴェルザの主君であらせられたヒミングレーヴァ王女殿下が宣言されたのだ、自らの手で暗愚な父王と兄王子を冥府に叩き落すと。王女殿下の行動力を恐れた国王陛下は馬鹿王子を伴い、王太后殿下が住まわれる離宮に逃げ込まれてしまったのだ」
王太后は良く言えば、慈愛の心に満ち溢れた聖母の如き御方。悪く言えば、脳内にお花畑を標準装備した箱入り娘の成れの果て。戦争や紛争を喧嘩と同列に考え、話し合いをすれば全て解決できると信じている人物だ。そんな祖母を苦手とするヒミングレーヴァ王女は離宮に近づかない。同じ空間にいると頭痛に苛まれるらしい。そのことを知っている王の行動に、周囲の者たちは呆れて物も言えなかったという。
「それは……一大事ですね。然し、姫君が自ら手を下されずに済んで良かった。姫君は聡明な御方ですから」
ヴェルザの心の天秤はまだ辞令の拒否に傾いていると見抜いたヘルギは次の話題に移る。
「それからな、我らが
「それはまた不味い事態ですね。然し、敬愛する義父君は私情で軍を動かすなどという愚行はなさらない賢明な御仁です。腹立ち紛れに冗談を仰っているだけなのではないでしょうか?」
「若しも冗談ではなかった場合、父君が軍勢を連れて遊びにいらっしゃったら……私は私が自由にできる部隊を巻き込んで、仲良く王城で遊びましょうと父君に申し上げるだろう。王国軍の人材がざっと四分の一は減るのかな?」
「義兄君、時間を少々頂けないでしょうか?今すぐロスガルジに戻り、荷造りをして参ります」
これは冗談ではない、
「そしてトドメに」「トドメとは」
「この度の件に関わってしまったアルネイズについてだ」
ハムセール王子が赤っ恥をかく原因となったとして、アルネイズも無期限の社交界出入り禁止処分を受けたのだが――
『アルネイズ嬢がいない社交界など、ぺんぺん草しか生えない荒れ野に等しい。父王にお願いして、アルネイズ嬢の処分は取り下げてもらったよ』
頼んでもいないのにハムセール王子が嘆願したことで、アルネイズはお咎め無しになった。アルネイズはそれが許せない。ただ巻き込まれただけのヴェルザの処分が自分よりも遥かに重く、撤回されないことに抗議をするとして、自らの交友関係を一切断ち、屋敷から一歩も出ないという徹底した謹慎生活を送り続けている。
話を聞きつけたハムセール王子が能天気にクヴェルドゥールヴ家の屋敷を訪ねてきたことが何度かあるそうだが、その度にアルネイズは二階から弓矢を放って追い払っているそうだ。国王に失望しているクヴェルドゥールヴ夫妻は娘の行動を咎めない。国王から文句が来ても、知らん顔を決めこんでいるほどで、最悪の事態が起こっても事故として処理しようと企んでいる。出来る自信がある。また、ハムセール王子も「これは初心なアルネイズの愛情表現だ」と独自解釈をしているので、暗殺ではないと判断され、アルネイズはまたしても処分を免れた。アルネイズはそれもまた気に入らないと地団駄を踏み、へらへらした顔で訪ねてくるハムセール王子に殺意しか込めていない弓矢を放つ。
「しつこい馬鹿王子に疲れ果てたアルネイズは、目も当てられないくらいの肥満体形になれば、あの馬鹿王子も夢から覚めるのではないかと考えたらしくてな。己の容姿を憎んだあの娘は、肉体改造に励んだのだ」
「……自分なりに考えたのだと想像できますが、アルネイズは何故、その方法を思いついて実行に移してしまったのでしょうか?あの娘は可憐な見た目に反して、筋肉思考だからでしょうか?」
「ところがどうして、ぷよぷよの皮下脂肪を身に着けるはずだった体はバッキバキの筋肉の鎧を纏い、アルネイズは何とか流奥義継承者にならんばかりで面白いぞ、うん。あれなら単身で要塞一基を壊滅させられるのではないかと期待してしまうほどだ」
「義兄君、今すぐ王都に向かいます。大した荷物もありませんので、後ほど、下宿先の女将さんに荷物の処分をして欲しいと手紙を送ります。義兄君、帰りましょう……!」
「ふむ、それではすぐに列車の切符を買いに行こうか。ヴァトナボルグ観光はまたの機会にしよう」
現在のアルネイズは野性味溢れた顔をしていて、筋肉に力を込めただけで服をビリビリにしてしまう一発芸を身につけた。ヴェルザと共に王都に戻ったら披露してもらおうと、ヘルギが笑う。
「ところで義兄君。中将閣下がお独りで此方までいらっしゃったのですか?よくお見掛けする側近の方々のお姿を見ていないと思うのですが……」
「そんな訳はないだろう。私は南方司令部の連中にあまり好かれていないからな、何かあっても不思議ではない、警戒を怠るはずがないだろう」
「そうですね。義兄君、愚問でした。どうかお忘れ頂きたく……」
「誰も気が付いていないようだが、この建物の内外には部下たちを潜り込ませている。私の部下たちが優秀なこともあるが、単に危機管理能力が低いのかもしれないな、此処の連中は。ふふふ、後日、南方司令部に嫌味を言ってやろう。それにしてもヴェルザまで気が付かんとは……観察力が落ちたか?まあ、元気にしていたから良いか、はははっ!」
この国に、この人を敵に回す勇気のある人は家族以外にいるのだろうか。ヴェルザは乾いた笑いを顔に貼り付けて、ヘルギの後について部屋を出ていった。
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