第39話:波乱

「――結局は、エルガの言うとおりになったね。それからすぐ私はこの足と片目を失って、傭兵を抜けた。かといって村に戻ることもできず、奴隷にまで堕ちてそれから……」

「モーディさんもう……」


次第に早口になっていったモーディを、横のオプール父が止めた。言われ、自分が平静で無くなっていたことに気付いたモーディは、机の上に用意されていた茶を一杯すすった。


「……これが、私の知っていることの全てさ。大した話じゃなくて済まないね」

「その、エルガさんって人とはそれから……」

「分からないね。私が抜けた後も傭兵は続けていたはずだから、そのまま戦いの中でおっ死んだか、今でも戦い続けているのか、それとも……」


そう語るモーディの目は、辛そうでもあり、心配しているようでもあり、様々な感情が渦巻いているように見えた。


「どこかで、生きていてくれたらいいけどねえ」


ため息をつくかのように、微かにモーディはつぶやいた。


とにかく、これで聞きたいことは終わりだ。かつての世界のこと、俺の故郷かもしれない村のこと、そしてその場所。


俺は居住まいを正しモーディへと礼を言った。


「色々参考になった、ありがとう」

「それでお前さんは……お前さんらはこれからどうするんだい」


尋ねられ、俺とリンはお互いの顔を見た。リンは何も言わなかったが、その表情には分かりやす過ぎるほど不安が滲みでいていた。


俺がすぐにでも、話に出た「未開の地」とやらに向かいたいと言い出すのではないか。そんなことを心配に思っているのだろう。


リンの不安を和らげるために、机の下でその手を握る。


顔をモーディの方へ向け直した。


「『未開の地』ってのはどこにあるのか分かるのか?」

「ルー……?」


握り返す手の力がグッと強まった。本当なら今すぐにでも彼女が安心できるような心強い言葉をかけてやるべきなのだろう。


だが情報もない中、気休めにいい加減なことを言うのは、俺は嫌だった。


「未開の地っていうのは、今いる大陸から海を渡って南東に位置する大陸のことだ。かつては魔物が跋扈する危険な土地で、どこまでどのように広がっているのか誰も分からなかった」

「今は違うってことか」

「たぶんね。魔王が滅んで魔物も昔と比べたら大人しくなり、人間の支配領域は格段に広がった。その分獣人は肩身の狭い思いをしているが……恐らくだが、大陸の東側の事情はその子の方が詳しいんじゃないのかい?」


指名され、リンは俯いたまま体を固まらせた。


その反応は、恐らく図星だ。


「リン、何か知っているのか」

「………………うん」


これは簡単には教えてもらえなさそうだ。


リンは優しい子だ。俺が知りたいといえばきっと教えてくれるだろうとは思うが、しかしその情報は彼女にとっては不都合なものになるだろう。俺が「未開の地へ向かいたい」と言い出せば、彼女は俺と別れるか村への帰還を後回しにするかの選択を迫られることとなる。


その葛藤が、彼女の中ですでに始まってしまっているのを俺は感じていた。


モーディは立ち上がり、固まるリンのそばまで近づくと、穏やかな声色で俺たちに告げる


「二人でしっかり話し合うといいさ。ガレの村はどれだけでも、お前さんらの滞在を歓迎するよ」

「……恩に着るよ」


俺はリンの手を取りながら立ち上がり、足取りの鈍い彼女を引きずるようにしてモーディの家を後にした。



外に出ると、待ち構えていたように狐の獣人兄妹が駆け寄って来た。


「獣神様、出立はいつごろになりますか。フェイリオはいつでも準備万端でございます!」

「ミュンも支度できたの~」


かと思ったら、今度は言い合いを始めた。


「馬鹿、お前のような弱いやつが付いてきても獣神様のご迷惑になると言っただろう」

「いや、ミュンも行くの」


妹の方が兄から隠れるように俺の後ろに回ったかと思うと、腰辺りに腕を回して抱き着いてきた。


「お、おい」

「ミュンも行く~」

「ば、馬鹿! 獣神様に何てことを」


兄は慌てて妹を引っ張るが、俺に遠慮しているのか、抱き着いてきている妹の腕の力に比べ明らかに勢いが弱く引きはがすことができない。俺が妹に引っ張られ、妹が兄に引っ張られているという訳の分からない状況が生まれていた。


リンも横で目を丸くしていた。その視線で「何なのこれ」と訴えてくるが、俺の方も「訳が分からん」と諦め顔で伝えることしかできない。


何というか、本当にこの兄妹にはペースを崩されるので苦手だ。


そこへ、見送りに出てきてくれていたモーディが今思い出したという風に大きな声を上げた。


「ああ、そう言えば伝え忘れていたね! 何かね、この兄妹があんたたちの旅について行きたいらしいんだよ」

「はあ!?」


何だそれ、意味が分からん。


俺は背中をそらし、必死に俺に抱き着いている妹越しに兄の方を見やった。兄は俺の視線に気づくと、一旦妹から手を放しコホンと咳払いしたのち、仰々しくその場に跪いた。


「貴方様たちの旅に、このフェイリオをご同行させて頂きたいのです。多少は戦闘の心得もございます故、不肖ながら旅の一助になることをお約束いたします」


この兄の方が割と強いというのは、俺も知っている。そんじょそこらの魔物相手には引けを取らないであろう戦闘センスがあるのは認めるし、一緒に戦えたら色々な場面で彼が役に立つことは多いだろう。


だが重要なのはそんなことではない。役に立ちそうだからと言って「はい、じゃあ連れて行きますよ」ということにはならない。俺たちには俺たちで旅の目的があるのだから。


俺は疑問を兄の方へとぶつけた。


「何で着いてきたいんだ? 俺たちの旅は、ただリンの故郷目指して東へ進んでいるだけだぞ」

「はい」


もしこいつが俺たちの旅の目的を誤解して、自分達も故郷に連れて行ってもらおうと思っているのならば、そこはしっかりと否定しておかなくてはならない。


「お前らの故郷になんか寄っていられないぞ、俺は別に慈善事業で旅をしている訳じゃないんだ」

「存じております」


しかし、目の前の獣人は全てを承知した。その上で、俺たちの旅について行きたいと頭を下げているのだ。


「俺は、貴方様がたのお役に立ちたいだけです。そして……もっと強くなりたい」

「うーん……」


理由を聞いても、やっぱりよく分からなかった。何で俺たちと一緒にいたいのかもよくわからないし、強くなりたいなら一人で勝手に強くなれと思う。俺に師匠的な役割でも期待しているのだろうか。だとしたら面倒くさい。


リンの方を見る。現時点で、俺はこいつらを連れて行くことに消極的だが、このことは俺の一存で決められることではない。


リンは未だに良くわからなそうに首をかしげながら、俺に抱き着いて離れない妹の方を見た。


「ミュンちゃんは、妹さんはどうするの?」


それも問題だ。兄だけなら問題ないかもしれないが、こんな小さな子供を連れて行くのは危険も多い。


そして兄の方は連れて行くつもりはなさそうだが、妹は着いてくると言っている。そこのところの意志は統一しておいてもらわないと、俺たちとしてはただ困惑するばかりだ。


「もちろん置いて行きます!」

「もちろん行くの~」


全く真逆の言葉でハモるのはやめて欲しい。ますます状況がカオスになる。


またしてもぶつかり合う兄妹のやり取りに、リンが一石を投じる言葉をかけた。


「私は、家族が離れ離れになるようなことにはなってほしくないかな。どっちにしても、ちゃんと兄妹で一緒にいれる方法を話し合ってほしい」


「それが私の連れて行く条件」と付け加えたリンの言葉に、獣人姉妹は気まずそうに下を向くばかりだった。今現在家族と引き離されている状況にあるリンの言葉だからこそ、それは重みを増して兄妹の心に響いたのだろう。


何にせよ助かった。俺自身この先の旅程をどうするかについてリンと話し合わなければならないところに、兄妹間の問題まで持ち込まれてはたまったものではないのだ。


せめてまずは兄妹で結論を出してから、話を持ち掛けてほしい。リンの一言によって、それが見事に実現しそうだ。


気持ちが沈んだせいか、俺に抱き着く妹の拘束が緩くなったので、いい加減放してもらおうと頭一つ分下にある妹に声をかけようとした。しかし俺の試みは、またしても予想外の人物の登場によって妨害されることとなってしまった。


息を荒げながら駈け込んで来た見知った人影が、呼吸を整えることもせずに俺へと頭を下げて来たのだ。


「ルーさん! どうかうちのお兄ちゃんを一回ボコボコにしてやってください!!」


あの浮かない顔をしていたオプール妹が、目じりを吊り上げた厳めしい形相を浮かべ、ずいぶん物騒なことを叫んでいた。


もう何なんだよ、次から次に!?

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