第369話 魔術師リアムの上級編初日、祐介の焦り

 リアムがのんびりと露天風呂に浸かっていると、部屋の方からバタバタとする音が聞こえ始めた。祐介が起きたのだろうか。祐介は普通に起きていた様だから、まだ睡眠は足りない様に思うが。


 もしかしたら厠……ではない、こちらの言葉ではトイレというのだった。そのトイレでの用足しで起きたのかもしれないな、とリアムは思った。


 風呂に浸かる以外することもないので、リアムは耳を澄まして中の音に集中する。壁を隔てたところに祐介がいる、そう思うだけで心がじんわりと温かくなるのは、もうどうかしているとしか思えない。いつの間にこれ程祐介に惹かれていたのか。我ながら呆れた。


 まだバタバタと音がする。一体何をしているのだろうか。部屋の中を移動している様だが。


 すると、段々と足音がこちらに近付いてきた。


「え」


 今、リアムは完全に裸である。そして湯は無色透明だ。鍵は……掛けていない。あったことすら気付かなかった。身を隠せる様な小さいタオルも持ってきていない。リアムは扉に向かって急いで背を向けた。


 リアムが背を向けるのと、扉が開かれるのとはほぼ同時だった。


「……いた」


 少し枯れた祐介の声がした。焦りと安堵を含む様なその声色に、リアムは顔だけ少し後ろに向けた。


 そこには、浴衣の前がややはだけた状態の祐介が立っていた。そして寝癖が酷い。リアムはそのあまりにも可愛らしい姿に、思わず笑みを零した。


「祐介、寝癖が酷いぞ。それにその格好も」

「あ」


 祐介は慌てて前を閉じ合わせると、次いで頭に手を触れ、そして笑った。笑った後、真顔に戻った。一体どうしたというのだろうか。随分と焦っていた様子である。


「どうした? 何かあったのか?」


 裸を晒しながら聞くことでもないかとは思ったが、祐介も立ち去る様子はない。ならばここはまず祐介がどうしたのか、話を聞き出してあげようと思った。


 祐介が、言った。


「起きたらいなくて、それで不安になって、靴は玄関にあるし、トイレにもいないし、焦って、それで」


 リアムは思わず笑ってしまった。


「はは、それで慌てて探しに来たのか」

「……うん」

「しかしな、祐介」

「うん」

「私は今裸だぞ?」

「そうですね」

「いつまでもそこに突っ立っていられると、一向に上がれないのだが」


 言外に、早く戻れと言ったつもりだった。勿論、祐介だったら分かるだろうと思い。だが、祐介の返答は違った。


「焦って汗かいたから、僕も入る」

「へ?」

「そっち向いててよ」

「え、お、おお」


 まあ、昨日同じ風呂には浸かってはいる。だから初めてではない。ただ、とリアムは今自分が浸かっている風呂を見た。二人で入るにはぎりぎりの大きさしかないのだ。


 衣擦れの音がし、祐介がこちらに近付いてくる足音も聞こえた。ちゃぽ、と足を浸ける音と、祐介の気配。拙く……ないだろうか。いやこれは拙いだろう。さすがに拙い。肌が直接触れる距離しかないのは目に見えているのだから。


「ゆ……」

「思ったよりも狭いね」


 祐介が腰を下ろすと、湯船から湯が湯気を上げてザバッと溢れた。


 祐介の手が、背後からリアムを引き寄せた。

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