第三章 上級編開始

第367話 魔術師リアムの上級編開始

 ぱち、と目を覚ますと、辺りはまだ暗かった。


 一瞬自分がどこにいるか分からなくて、焦って祐介を探す。


 ……いた。


 隣の布団で、いつもの様に横向きに丸まって寝ていた。リアムはふう、と小さく息を吐く。目を開け真っ先に祐介を探す様では先が思いやられるな、と自嘲した。


 リアムは半身を起こすと、テーブルの上に数本の缶ビールが空いた状態で置いてあるのを見つけた。そして思い出した。折角温泉に来たというのに、祐介と話を沢山しようと思ったのに、寝てしまったことを。祐介は、リアムが寝てしまった後、一人で飲んでいたのだ。折角二人で来たのに、悪いことをしてしまった。


 四つん這いになり、隣の布団の祐介の枕元に行く。気持ちの良さそうな寝息を立てている祐介の前髪を、そっと掬った。


 寝入る際、聞いた様な気がした祐介の自分本来の名前を呼ぶ声。あれが夢でなければよかったのに、と思う。


 でも祐介はサツキの名しか呼ばない。だからリアムは知っている。祐介はリアムの存在は信じてくれてはいるが、サツキを通してしかリアムを見ていないことを。


 リアムは手を離した。


 だがそれでいい。へんてこで半端者のリアムは、この世界では余計な存在だ。いずれリアムはサツキに擬態して、リアムなど知らない別の男と家庭を築くのだ。リアムは、祐介の前ではもう自分を騙せないから。受け入れられないと分かっているこの気持ちをぶつけて互いに気不味くなるよりは、このまま自然と離れていく方がいいのだろう。祐介の為にも。


 そこまで考えると、胸がぎゅ、と苦しくなった。気持ちと考えが相反しているのは、もう理解している。だから後はリアムが諦めればそれでいい、それも分かっている。でも、それを考えるだけで苦しかった。


「……風呂に入ろう」


 ダラダラとしているからこの想いに囚われるのだ。温泉に浸かれば、その気持ちよさにきっと心も軽くなるに違いない。


 リアムは時計を見た。時刻は四時半。確か大浴場は朝は六時からと中居さんが言っていた覚えがあるが、部屋についている露天風呂はいつでも入れる。寝ている祐介をちらりと見た。起こさぬよう静かに行けば、まあ大丈夫だろう。


 リアムはバスタオルと髪留めを持つと、露天風呂に続く扉を開けた。音をなるべく立てぬ様そっと閉め、浴衣を脱ぐ。早朝の空気は冷たく、温まっていた肌の体温を一気に奪い去っていった。


 足を浸けると、温度はややぬるめといったところか。コポコポと給湯口から流れ落ちる側に近寄ると、暖かかった。


 リアムは腕をへりに乗せ、空を仰いだ。空はやや白ばみ始めているが、まだ星も見える。こちらの世界はリアムの世界よりも星は少なめだったが、祐介曰くそれは見えないだけで、空気のきれいな暗い場所に行けば見えるそうだ。確かにこの世界は常に明るい。


 いつか、あの師がリアムの為に作ってくれた星空の様な空をこちらの世界でも見ることが出来るだろうか。


 その時、リアムの隣には誰がいるだろう。一瞬祐介の顔が思い浮かんだが、リアムは頭を振ってその映像を追い出した。


 この想いを抱えたままでは、隣に誰がいてもきっと駄目だ。だったら、暫くは一人でいいのかもしれない。


 リアムはそう思い、目を閉じた。

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