第365話 魔術師リアムの中級編五日目の夜

 思えば、ドラゴンのダンジョンでゴブリンの大群に追われた時も咄嗟に唱えたのはメルトの呪文だった。焦り過ぎて力一杯放ってしまい、結果として大穴を開けて自分が落ちてしまった。


 そのことも祐介に話すと、祐介が興味津々で尋ねてきた。


「今もそのメルトは使えるの?」


 リアムは首を横に振った。


「もう使えん。あれは上級魔法に分類されるものだからな、サツキの魔力では発動すらしないだろう」

「そうなんだ」

「少々惜しい気もするが、まあ致し方ない」


 なんせ得意中の得意の呪文だった。自分から生まれた呪文なのだから当然だ。


 リアムと祐介が楽しく会話をしていると、中居さんが入ってきた。食事の片付けを行なってくれ、この後は布団を敷きに来るのだという。至れり尽くせりだ。


「祐介、温泉旅館とはかくも素晴らしいものなのだな」

「上げ膳据え膳だからね」

「よし、羽田の件が片付いたら、今度は私が祐介を招待してやろう!」

「え、いいの? やった」


 これまでの感謝の意を込めての招待をするのだ。そこで、この先のことをその時に今一度話をすればいい。それまでは横に置いておく。何も常に別れを意識していなくてもいいだろう。


 先程、家族との別れを語ったばかりのリアムには、祐介との別れは暫くは考えたくないものだった。


 とりあえず忘れよう。今は今を楽しむのだ、リアム!


 すると、今度は男性従業員が来て、布団をものの五分程度でささっと敷いていった。リアムは素直に感動した。すると、またくらっとした。


「サツキちゃん、大浴場行ってみる?」


 祐介が尋ねてきたが、今この状態で一人で女湯に行くのは危険そうだ。リアムは笑顔を作りつつ、言った。


「少し食べ過ぎた様だ。後で行くから、祐介は行っていていいぞ」

「量かなり多かったもんね。――うん、じゃあちょっと行ってくる」

「ゆっくり浸かるんだぞ」

「はいはい」


 祐介が慌ただしく部屋を出ていくと、リアムは布団にぼすっと横になった。この身体に一体何が起きているのか。明日にはよくなっているだろうか。


 少し休もう。リアムはそう思い、目を閉じた。



 ガタ、と戸が開いた音が聞こえた。


「ただいまー。あれ? サツキちゃん寝ちゃったの?」


 祐介の声が聞こえる。風呂から上がってきたらしい。目を開けよう、開けたらきっと体調はよくなっているだろうから、まだ今日は祐介といっぱい話をしたいのだ。


 だが、目が開かなかった。身体も重くて、動く気配をみせない。やはり疲れが溜まってしまったのだろうか。温泉に浸かることで、疲れがどっと表面に出てきてしまったのかもしれない。


 リアムが微睡まどろんでいると、祐介が近づく気配がした。起きたいのに。


 祐介がそっと布団を掛けてくれた。温かいな、と感じる。身体が冷えてしまっていたらしい。


「ゆう……」

「お疲れ様、いいよ寝てて」


 祐介がそう言いながら、布団の上からぽん、ぽんと叩く。眠気をいざなうそのリズムに、リアムの意識はどんどん遠のいていく。


 だから、これは夢だろう。


 祐介がリアムのおでこに軽いキスをした後、こう言った気がしたのだ。


「おやすみ、リアム」


 でもこれはきっと夢だ。何故なら、祐介はリアムの名は呼びはしないのだから。

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