第241話 魔術師リアムの中級編三日目の呪文

 祐介に背中を押されながら会社を出ると、外は蒸し暑い。リアムはスーツの上を脱ぐことにした。それを祐介が見守っている。目線が胸元に来ているのはもう男のさがなのだろう。祐介に限って何がある訳でもないので、まあここは流しておこう、そうリアムは思った。


「サツキちゃん、それで何食べたいの? あ、牛タン以外でね」


 やはり祐介は分かっていたのだ。思わずリアムが軽くめつけると、祐介がリアムの頭をぽんぽんと撫でた。


「悪かったって。だって木佐さんすごく楽しみにしてたっぽいよ? 邪魔しちゃ悪いでしょ」

「……出来ればご一緒したかったのだ」

「のだって言われても、駄目。それはお邪魔虫になっちゃうよ」


 確かに木佐ちゃんが楽しみにしている潮崎との牛タンの場に祐介とリアムが行ってしまうと、どう考えても余計な存在ではある。それは分かる。分かるのだが。


「祐介は気にならないのか!? 昨日と今朝何があったのか!」

「えー……うん、まあそれ程」

「なんと……」


 驚くリアムをあきれつつ見た祐介が、道端でくるりとリアムの前に立ちふさがると、リアムの両頬を手で挟んだ。


「むご、何をふるゆうふけ」

「はい、こっち見て」


 祐介はそう言うと、リアムの頬を押さえたまま顔を近付けてリアムをじっと覗き込み始めた。近い。近いぞ祐介。


「目を逸らさないで下さい」

「む……」


 祐介は、リアムが祐介の目に視線を戻すまで待つつもりらしい。リアムは渋々祐介を見た。祐介の頬が緩んだ様に見える。これはからかわれているのだろうか。


「サツキちゃんの目の前に今いるのは誰でしょう?」

「ゆ、ゆうふけら」

「うん、じゃあ、サツキちゃんとご飯を食べるのは誰でしょう?」


 何を言いたいのか分からないが、リアムはとりあえず回答することにした。


「ゆうふけ」


 腕を掴んで取ろうとしてみたが、びくともしない。まだこの身体の鍛え方が全然足りないのだろう。


「正解。じゃあ、僕を見て下さい」

「み、みへおる」

「じゃあこれは呪文です。サツキちゃんは今日はもう僕しか見ません、他のことは気になりません」

「ふ、ふお?」


 祐介も魔法を使えたのか? だが特徴的な呪文は何も言っていない。だが確かに、祐介しか今は目に入っていないので効力がありそうではある。それに、祐介の目は思ったよりも綺麗で、このまま見ていていたいと思えた。


「……そろそろ効いたと思うので、手を離します」


 そう言うと、祐介は手を離した。リアムは祐介をそのまま見つめてしまっていた。


「すごいぞ祐介、効いておる!」

「はは、やったね」


 祐介は軽く笑うと、リアムの手を取り、珍しく手を前後に振り始めた。非常にご機嫌らしいのが、見て取れる。


「今日はさ、サツキちゃんが観たがっていた豚の方観ようか?」

「観る!」

「じゃあご飯は簡単に済まそうね。帰りにぱっと寄れるところにしようか」

「そうだな、そうしよう」


 少し高鳴る心臓に疑問を覚えつつも、リアムは祐介に微笑み返したのだった。

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