第二章 想い出を辿りながら

第9話 運命の環


 夢のようなひととき……暑さでぼやけた意識の中、海斗と再会した事を遥はそう思っていた。



 会いたかった、あの頃と同じ瞳の海斗に、そう言ってしまいそうだった。


 “記憶がないんです”


 でも再会した海斗は……あの頃のことを覚えていない、知らない誰かで。どうして私の名前を覚えていたのか、助けてくれたのか……手渡されたメモを見つめて悩む日々が続いている。


 連絡なんて……いまさら会って何話したら……お礼を言わなきゃとは思っても気が進まなくて、そのまま一週間が経とうとしていた。







「じゃあ、当日は煌雅さんが迎えに行ってくれるんだ、二人で大丈夫? 会話続くかな」

「やっぱりそう思う? 」


 今日は珍しく家に樹梨亜が来て、夢瑠の誕生パーティーの打ち合わせ。


「そうだ! 遥が行ったら夢瑠よろこぶんじゃない? ペガサスの馬車とか借りてさ」

「え~、ペガサスは勘弁してよ、絶対変な人だって」

「はるちゃん! ペガサスの馬車あったよ! 」

「タマも検索しなくていいから」


 楽しい……今この時も環ちゃんや橋本君は大変だからどうしても罪悪感はある。でも、樹梨亜がいてくれてよかった。


「ねぇ、どっちがいい? 」

「ん!? 」

「話聞いてなかったでしょ」

「ごめん……」

「じゃあ、ペガサスに決めちゃうからね! 」

「ペガサスはやだ! 」

「もう! ならちゃんと聞いててよね」


 不満気な表情、なのに樹梨亜がいつも以上に可愛く見える。


「樹梨亜かわいいね」

「はっ!? ちょ、ちょっと……変なごまかし方しないで……ねぇ、タマも何か言ってよ」

「本当のこと言っただけだよ、ねぇ、タマ」

「うん! うちのはるちゃん、二人っきりになると誘惑してくるから気をつけてね」

「ゆ、誘惑……もう、二人してからかわないでよ」


 悩みだらけ、でも樹梨亜やタマと過ごす時間に、少し心が休まった。


「またね! 」


 手を振り帰っていく樹梨亜を見送ると、通りの向こうから環ちゃんが見える。


「遥さ~ん! 」


 笑顔で駆けてくる環ちゃんを出迎えて、私達は仕事の話を始めた。


「来週の配信分はもう出てる? 」

「まだです……数学と英語、物理も」

「3科目か……橋本君は? 」

「粘り強く交渉を続けています。でも無視されたり、色々大変で……」


 私とは入れ違いに補充されたスタッフは、全員あの集会に出ていた社長派閥の社員だった。


 仕事と思想は別……そんな常識は通用しない。


 リーダー代行の橋本君に協力してくれず、仕事をしないのは当たり前で、資料や動画を敢えて消してしまったり……環ちゃんが教えてくれたチームの状況はひどいものだった。


 聞くだけで胸がしめつけられる。


「ごめんね、環ちゃん」

「もう謝らないでください。遥さん、なんっにも悪いことしてないんですから。あれだって社長の悪ふざけが過ぎるんですよ! 」


 会社で言いたい事が言えない反動か、環ちゃんの怒りは炸裂する。でもその度に胸が痛い。環ちゃんも橋本君にも言えていない……本当は反ロイド派に賛同しなかったからこんないじめを受けている事。


 私が、意志を曲げれば済む事なのに。


「なるべく早く何とかしないとね」


 このままにしておくわけにはいかない。あの社長と、また対決しないと。


「でも、遥さん……」

「ん? 」

「醍が……遥さんの身に何かあったらいけないから、動かないほうがいいって」

「橋本君が? 」

「はい、俺がなんとかするって」

「そっか……環ちゃん頼もしいね。橋本君いてくれて」

「えへへ、かっこいいんです。こういう時だけですけどね」


 嬉しそうに微笑む環ちゃん。二人に迷惑を掛けたくない。


「環ちゃん、動画撮るのは無理だけど出来ることはやらせて? 」

「え、でも家で仕事するのは規定違反です。もしバレたら……」

「大丈夫! バレないようにするから。これ以上、橋本君や環ちゃんに迷惑かけたくないの」


 いくつかの仕事を預かって、環ちゃんを見送る。これからまたオフィスに戻って仕事……私が社長に迎合していれば、今頃、環ちゃんや橋本君の負担は軽くなっていたのに。


「タマ、ごめんね」

「大丈夫だよ、はるちゃんのお仕事の為だもんね」


 お仕事の為……悲しい、苦しい複雑な気持ち。悪いことなんて何もしていないのに、何でタマを隠さなきゃいけないんだろう。


「ごめん……タマ。ちょっとだけ」

「うん」


 悔しい。


 タマが明かりを消してくれる。涙が溢れないように顔を上げた、泣いている暇なんてない。それでも伝ってくる涙を腕で抑える。


 悔しい。


 強く唇を噛むほど、悔しさは怒りに変わっていった。







 そして日は暮れ、運命の夜。


 遥は自室で仕事に没頭し、社長への怒りや海斗への複雑な想いを紛らわす。タマに声を掛けられてもベッドで休む気配はなかった。


 一方、海斗の闘いも幕を開ける。


「父さん、ロイドって何……? 」


 まるで泥棒でも入ったかのように荒れたリビングで海斗は父親を見つめる。


「ロイドは通称だ、正式名称はアンドロイド、人工的に産み出された人間の事を言う」

「人工的に……? 」


 この夜、国家機関の捜査員と名乗る黒ずくめの集団に海斗の自宅は襲われた。強制捜査とは言うものの、実際にはロープで英嗣と海斗の動きを封じ、家や病院を荒らし尽くしていく、まるで強盗と同じだった。


「本当に……父さんがそんなの開発してるの? 」


 海斗はまさか自分がロイドなどとは思っていない。英嗣が違法なロイド研究をしている、そんな容疑を掛けられた事すら信じられないでいる。


「医者は疑われやすい、ロイド研究と機械治療は紙一重だ。本当にそんな事をしていたらこの程度では済まない」


 顔色一つ変えない父親に、海斗は安心していいのか心配すべきなのかよくわからない。


「機械治療……それは危ない事なの? 父さんが」

「早く片付けないと朝になるぞ、明日から仕事だろう」


 話しながらも、英嗣はとっくに手を動かし片付けを始めている。申し訳なく思った海斗も同様に片付けを始めた。


 物音だけが響くリビング。


 片付いた頃、英嗣が立ち上がり口を開いた。


「本を読め。お前は世の中を知らなすぎる」

「え……? 」


 思いがけない言葉に、海斗は父親の意図を探るよう表情を見ようとする。英嗣はそらした。


「今時、ロイドが何か知らない奴なんて存在しない、機械治療もだ。人と関わって生きてくなら街に出て学び、本を読んで知識をつけろ。怪しまれたくなかったらな」

「父さん!! 」


 それだけ言ってどこかへ行こうとする父を、海斗は引き止めた。


「院内を片付けてくる。お前は家を頼む」


 消えていく父に、海斗は何を聞きたいか言葉にできなかった。でもまだ本当に聞かなければならない事があるような、もやに覆われたような気持ちだった。







 そして、今夜はもう一人……憂鬱な表情を浮かべ、ベッドでため息をつく女性がいる。昼間、遥と会っていた樹梨亜だ。


「遥さんはどうでした? 」


 慰めるような優しい微笑みでベッドに入ってくる煌雅、まだたまに変な敬語になるな……樹梨亜はそれにくすっと笑う。


「楽しく話せた? 」

「うん、でもちょっと疲れてるみたい。言ってはくれないんだけどね」


 樹梨亜は寂しかった。遥はいつもそう、悩んでいても疲れていてもごまかすだけで何も言ってくれない。


 友達なのに……遥の事がわからない。


 普段は、こういう気持ちもぜんぶ煌雅に話して聞いてもらっているのに、なぜか今日は言葉にするのも億劫おっくうで、想いはため息になって消えていく。


 言葉に出来ないこんな気持ち、きっと煌雅にはわかってもらえない……もう寝ようとした時、煌雅の腕が肩に周り、抱き寄せられた。


 わかろうとしてくれている、煌雅の優しさに樹梨亜の心は緩む。隣で肩を抱いてくれる温もり、樹梨亜も煌雅の肩にもたれると、目を閉じる。


 樹梨亜を見つめる煌雅の瞳……そのロイドらしからぬ熱さに、樹梨亜は気づかない。


「樹梨亜……」

「……!! 」


 囁きが樹梨亜に届くのと同時、彼女の唇はふさがれる。


「煌……どうして……」


 離れた唇、すぐ目の前の煌雅の瞳。問いかけるけれど返事はない。エスカレートする煌雅は樹梨亜を抱きしめ、横たわらせると、優しく微笑み髪を撫でた。


「ぃやぁ……」


 首筋へと降りていく唇に樹梨亜は焦り、混乱する。その間も煌雅が動きを止める気配はない。


「煌……ちょっと待って……ねぇ……」


 樹梨亜の声に、動きを止めた煌雅。


「待たない」

「え……」


 通い合った熱い視線に樹梨亜はそれ以上、あらがうことができなかった。


 運命の環は今、急速にめぐり始めた。

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