7、力の差

  吐き出される唾と短い悲鳴。腹にめり込んだ膝は容赦なく脳髄を揺らしたし、白けていく視界は意識の喪失寸前だった。

 内臓が潰れたんじゃないかと思うほどの衝撃に足は止まり、体は地面に転がった。土が全身を汚し、盛り上がった根っこに体をぶつけて新たな打撲を作り出しても気にするだけの余裕がないのである。

 「アサカ!」「アサカさん」一匹と一人が叫ぶも、彼らに彼女を気遣う暇はない。物陰から現れた金髪の少女にミ・アンは押さえつけられたからだ。


「フラウ、村のガキに手を出すなっ!」

「しかしっ」

「命令されてただろうが!!」


 ミ・アンを襲ったのは、逃亡前に弓を射った獣耳の少女である。アサカを襲った男は妖精には目もくれず、少女を怒鳴りつけると、転がり呻く女を一瞥した。手応えはあったのだが、男なりに次の一手を警戒しての一撃でもあった。これしき程度で身動き一つとれないのは不思議で仕方がない。


「……なんだこりゃ? オレぁかるーく膝入れただけだぞ」

「演技でしょう。」

「いや、演技にしちゃおかしいだろ。素人じゃねえのか、これ」

「ありえません。妖精を連れているヒトがただ者なわけないでしょう」

「おい、俺に意見してる暇あったらそのガキ離せ。手を出すなっつったよな、次言わせたらお前も蹴るぞ」

 

 無精髭が本気で苛立っているのを察したのだろう。渋々ながらも少女はミ・アンから離れるも、不満そうなのはかわりない。解放されたミ・アンがアサカに近寄ろうとするのを男は止めたが、こちらは大分控えめな手つきである。


「アサカさん、大丈夫!?」

「おうおう坊主は近寄るな。……いいから言うこと聞けや、おっちゃん達に乱暴させんでくれよ」

「でも、具合が悪そうだ」

「捕らえるだけだよ、殺さねえから」


 無精髭はミ・アンに暴力を振るう気はないらしい。ぶんぶんと周囲を飛ぶパックを五月蠅い、と言いたげに片手で払っていたが、無理に触ろうとはしない。それどころかパックに対しては対処を決めあぐねているようで、困惑の眼差しさえ含まれていたのである。


「おい、おいおいおいアサカー!?」


 当のパックは腹を押さえて動かないアサカに動揺を隠せない。せわしなく彼女の名を呼ぶが、本人は咳き込むばかりで返事もできないのである。起き上がることのできない盗人に無精髭は目を丸め、困ったように呟く。


「……演技なら一発キめてやるけどよー……お前本気で動けんの? 軽く膝をぶち込んだだけなんだが」

「てめえらの軽いはこいつにとっちゃ死活問題なんだよ!」


 パックはぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるも、結局の所それだけだ。妖精はヒトを幻惑で惑わせたりはするが、見た目通り非力なので力はない。できたところで皮膚を引っ掻く程度だろう。男は胡散臭げにパックを見やり、アサカに対しても「わけがわからん」と頭を掻いた。


「妖精が味方してるし、フラウがぎゃあぎゃあ騒ぐから、さぞ見事な遺跡荒らしとと思ってたんだが、とんだハズレじゃねえか。走って損したわ」

「なっ、あたしは騒いでない!」

「直前の命令も覚えてねえ半人前は黙ってろ」 


 少女に対する男の当たりはなかなか厳しい。男はアサカの上体を起こすと目線を合わせるようにしゃがみ込む。ミ・アンには自らを「おっちゃん」と称していたが、見た目通りの年なら三十代半ば頃だろう。黒く短い頭髪とつり上がったまなじりが特徴的な、野生じみた男である。


「一応縛らねえでおいてやるから、黙って座ってろ」

「リゲル!」

「こいつ弱すぎて話にならん、縛るのもアホらしいわ。フラウ、逃げたらこいつの腹を射ろ。そこなら防げねえだろ」


 リゲルと呼ばれた男はアサカに興味を失ったようで、近くの木に背を預ける形で座り込んだ。フラウと呼ばれていた少女は納得がいかないようだが、ミ・アンとアサカを見比べると、やがて下唇を噛み、獣人の少年を離れた場所へ誘導する。男の言葉から察するに、少女の方はミ・アンの保護を任されていたのだろう。

 放置されたパックは辛そうに息を吐くアサカの前に飛び込むと、マスクの目元から中を覗き込む。中は薄暗く目元でしか感情は読めないが、真っ赤を通り越して血の気が失せていることは把握できたようだ。


「――動けるか」

「あと、ちょっとだけ時間、欲しい」


 呻くような返事である。膝をたたき込まれた腹はいまだ鈍い痛みを訴えているし、骨が折れたかと勘違いしたほどだ。胃からは酸っぱいものが食道にせり上がる手前で、内容物を吐き出してしまえば楽になれると判断したのだが……。

 無理矢理吐き気を呑み込んで息を吐いた。


「パック、ここの、空気は…………」

「脱げるかってことか? やめておけ、ここはオレにとって特に気持ちのいい場所だ。お前にはきっと澄み過ぎてる」

「りょう、かい」

「加護は坊主に使っちまった。しばらく無理だ」

「いいよ、耐える。……でも……」

「おい、お前ら余計な話をするな! いつだってこの弓はお前を穿てるのを忘れるな!」


 パックはいつになく真面目だし、妖精にとって過ごしやすい場所ならアサカにとっては一等きつい毒だろう。そういうわけで、嘔吐はなしだ。妖精と不審者のやりとりを眺めていたリゲルは感情の読めない眼差しでアサカを監視している。

 言うことを聞いている限りは再度の暴力に襲われることはないだろう。鈍痛に耐えながら息を整えている間に、続々と足音が近付いてくる。

 二人の仲間とおぼしき者達は全員が同じ服装に身を包んでいた。


「ミ・アン!」

「母さん」


 彼らに連れられてフ・アンまでもがやってきたのは、少年にとって意外な話だっただろう。母親は息子を見るなり駆け寄ると、全身で子を抱きしめたのである。一同の中には村の村長も混ざっており、軽蔑も露わにアサカを睨むのだ。


「……この泥棒が」


 村長は一帯の山を知っているから彼らを案内していたのだろう。いまのところ睨むだけで留めているが、制服の者達が止めていなければ、すぐにでも爪で引っ掻いていただろう。


「……騙したのは事実だから否定はしないけど」


 アサカもパックも言い訳はしないようだった。

 都の者達は縄をかけられていないアサカを疑問に思ったようだが、リゲルを問いただす無駄な時間はとらなかった。褐色の方の耳長は一見なよっとした細身の男で黒髪のくせっ毛を後ろで括っている、どこか学者然とした眼差しが印象的である。顔の彫りが深く、顎を撫でながら興味深げにアサカを眺めていた。

 その男と並び経っているのが、物腰柔らかな白い耳長である。立ち位置的に、強い発言権を持っているのは褐色の方だろう。

 格好的にリゲルやフラウは白い方の部下だろう。他は彼らと似たような制服を着ているし、それぞれが物騒な武器を携えている。

 パックはそっと耳打ちする。

 

「最初より人数が減ったな」

「研究員ぽかったし、置いてきたんでしょ」


 この頃には傷みも大分減ってきた。パックを相手にするだけなら小声で充分事足りる。ただ、マスク越しではぼそぼそ喋っているようにしか映らず、明らかな不審者だ。

 子供のようにパックが頬を膨らませたとき、褐色の耳長が言った。


「妖精の声は私に届くようになっている。下手な相談はしないほうがいい」

 

 げえ、とあからさまに嫌そうに呻く。パックがその気になれば音にせずともアサカと会話ができるのだが、とっくに対策されたらしい。男の手のひらに四角形の透明な箱が浮かんだかと思えば、急激な膨張と共に周囲に広がり溶ける。


「アサカ、結界を張られた。どこにいても見つかるぞ」

「それはなんとなくわかった。これだから魔法は嫌いなんだ」


 こういう反則技を使ってくるから、ため息が隠せないのだ。妖精以外にも様々な種族が存在していると述べたが、この世界、ファンタジーの名に恥じぬ通り魔法なる不思議パワーも存在している。遠隔通話、魔力探知、簡易火起こし、便利な魔導具類も、この世界においては化学の代わりが魔法であると考えれば良い。村では使い手がいなかったが、都や都近くの村では比較的馴染み深いツールだから、魔法によって文明が発達していると考えて良いだろう。

 ただ魔法の概念を聞いた感じ、魔法が得意不得意な種族には別れるようだ。アサカは当然使えない側で、妖精郷で世話になった保護者殿曰く「まったく才能がないどころか力の片鱗も見出せない」らしく、その辺についての勉強は適当である。

 使えないものに執着するより言葉と文字を覚える方を優先したからこそ、意思疎通が図れる程度には喋れるようになったのだった。

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