24.味噌煮込みうどん専門店
世界最大のモントリオールに迫る勢いで拡張を続ける大名古屋の地下街は、地上の様子よりもさらに大勢の人でごった返していた。
レストラン、ブティック、写真館、クリーニング店、金券ショップ、妙に安い靴屋……。この地下街に行けば、手に入らないものはないと思えるほど、多様な店が並んでいる。
「味噌煮込みうどんは、もう食べたことある?」
「いや、まだです」
「じゃあうどんの店にしよう」
透一はいかにも知っている店に連れて行くといった体でサフィトゥリを案内した。実際は、昨日友人の直樹に昼食場所の相談をしたから迷わずに行けるだけである。
着いた店は、県内でも有数の味噌煮込みうどんの専門店だ。昼時ということもあり満席だったが、休憩時間が決まっているサラリーマンの客が多いようで回転率は高く、待てばすぐ入ることができた。
着席すると、男性のアルバイト店員がお冷やを持ってやって来た。
「ご注文はお決まりでしょうか」
「えっとじゃあ、私は
「俺は天ぷら入り味噌煮込うどんのランチセット」
冷やしうどんなど季節限定のメニューも存在はするが、味噌煮込みうどんに絞ればバリエーションはそう豊富にあるわけではない。
そのためサフィトゥリも透一も、メニューを一瞥すると即答した。
「
透一とそう変わらない年頃の男性店員は、バイト中の透一とそう変わらない様子で注文をとってキッチンへ戻っていった。
「名古屋めしって味噌カツと味噌煮込みうどんの他に何がありましたっけ」
「あとは確か天むすとか、手羽先とか、小倉餡トーストとか、どて煮とか……。天むすは三重のものらしいし、八丁味噌も三河の岡崎のものだけどな」
「ああ天むすは、万博の会場でも売ってますよね。お昼に差し入れでもらって食べたことがあります。美味しかったので、また今度は自分で買ってみたいです」
「そうなんだ。俺も今度会場で買ってみようかな」
二人は名古屋めしについて、ぼんやりとはっきりしない話を続けた。
名古屋めしという言葉でまとめられたローカルフードをテレビや雑誌で見るようになったのは、ここ数年の話である。透一は三河人であるので、味噌煮込みうどんはまだわかるものの、名古屋めしと言われてもいまいちぴんと来ない料理も多い。
文化人類学者のアルジュン・アパデュライは、ローカリティが近代社会で四面楚歌にあるとは社会理論の大いなるクリシェの一つであるが、ローカリティとはそもそも本来的に瓦解しやすい社会的達成なのであると述べた。
他者と近接の中でローカリティは生まれ、ローカリティが他者との近接を作り出す。
日本中が均質化し地域と地域の距離が縮まったからこそ「名古屋めし」のようなローカルフードが可視化され、ローカルフードが全国に広がることで地域と地域の距離の距離はさらに接近した。
グローバル化によって純粋にローカルなものを想像することはできなくなったが、新しい形のローカリティが世界を覆いつつあるのだと、透一はアパデュライの視座と名古屋めしを絡めて考えた。
そして、やや長めに待つこと二十分弱。
「お待たせしました。ご注文は以上でございますね」
男性店員が順番に鍋とお椀の載ったトレイを運んで去っていく。
地下の狭い店舗であるので、トレイが二つ並ぶと机の上はいっぱいだった。
「わあ、熱々ですね」
サフィトゥリは鍋のふたを開け、さっそく箸をとって食べ始めた。
「うどんが硬めなんけど、どう? 粉っぽくて苦手っていう人もいるんだけど」
店舗によってはやわらかく煮込む場合もあるが、味噌煮込みうどんは味噌のこってりした味に負けたり煮崩れたりしないように、硬く張りのあるうどんを使う。そのため県外の人が食べた場合、半煮えではないかとクレームをつけることもある。
「んん、確かに歯応えがありますね。炭水化物と炭水化物になってしまいますが、ご飯がすすむしっかりした味噌味です」
多少お世辞を言っている面もあるだろうが、サフィトゥリは美味しそうにうどんを湯匙に取り分けて、ご飯と交互に食べている。
「それなら良かった。ちなみにこの鍋は湯気抜きの穴がないから、ふたをとりわけ皿代わりにしても便利だって」
透一はほっとして、自分の分を食べ始めた。
鍋のふたを開けると、赤褐色の濃厚な豆味噌の汁にうどんとネギがぐつぐつと浸かり、上に生卵とかまぼこが添えられた味噌煮込みうどんが姿を現す。透一が頼んだのは天ぷら入りであるため、さらに海老の天ぷらが二尾乗っていた。
その食欲をそそる強い香りの湯気を、透一は深く吸い込んだ。そこまで空腹な気分ではなかったはずだが、いざ料理を目の前にすると今すぐ食べたい気持ちが強まる。
(俺は卵は半熟よりも固まった方が好きだからっと)
透一は卵を箸で割って、固まるように鍋の中へと突っ込む。
そしてうどんと取り分けて、ふうふうと冷ましながら食べた。
(やっぱりこのやけずる寸前の熱さが良いよな)
ほどよい塩気のある硬めのうどんを、透一は火傷しないようにゆっくりと味わって噛みしめた。普通のつるつるのなめらかなうどんももちろん美味しいが、すするというよりは食べる気持ちで食せば、芯の残った熱々のうどんも美味だ。
汁は鰹節の出汁がしっかりと効いているので、単純な味噌味ではない深い旨みがある。そのため添えられた海老の天ぷらを浸せば、やや安っぽく厚めの衣に味噌の汁が絡んでじんわりとした美味しさが生まれた。
「名古屋コーチンじゃないただの鶏肉でも、十分食べごたえありますね」
「県民の俺も名古屋コーチンの何が特別な肉なのか、よくわかってないからな」
二人はときどき言葉を交わしながら、せっせと味噌煮込みうどんを食べた。
(あとは最後にご飯を入れて)
うどんを食べ終えた透一は、残った汁にご飯を投入した。そうするとくたくたになるまで煮えたネギと、とろりとした黄身の残った卵を具にした、即席の味噌おじやが出来上がる。
(濃いのにまろやかなんだよな、八丁味噌は)
透一は、味噌の汁を吸ったご飯をレンゲでかき込んだ。このころになると、もう適度に冷めているので勢いよく食べても火傷の心配はない。
「ごちそうさまでした」
汁も米粒も残さず鍋を空にして、透一は味噌煮込みうどんを食べ終える。予算は一五〇〇円強と値が張ったが、がつんと食べ応えのある昼食だった。
「満腹です。赤味噌をとことん、味わえました」
ほぼ同時に、サフィトゥリも完食する。
「それじゃあ、行こっか」
「はい」
口についた味噌をペーパーナプキンでぬぐって、透一とサフィトゥリは会計を済ませ店を後にした。
今日もまた、透一は奢ることができず割り勘になった。
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