9.本部棟前

「透一さんはリニモですよね? 私はバスなのでこれで」

「ああ、うん。また……」


 夕食を終えた透一とサフィトゥリは、食堂を出たところでいったん立ち止まる。


 日中に降っていた雨は上がり、濡れた路地は光を反射し輝いていた。


 透一は次に食堂で会ってもらえる日を心待ちにして、手を振ろうとした。


 しかしサフィトゥリは、透一にさらに声をかけた。


「今度また仕事の日以外で会いませんか。私はまだ普通に来場者として会場を歩いたことないので、良ければご一緒に」

「もちろん、ぜひ。俺も全然パビリオンとか見とらんから」


 思いがけない誘いに、透一は一も二もなく承諾した。そのうちこちらからデートを申し込む日もあるかもしれないとは思っていた。彼女の方から切り出してくれるのは少し情けない気がするけれども、それでもとても嬉しかった。


「それじゃ、日程はメールで決めましょう。楽しみですね」


 サフィトゥリはスマートに話をまとめて去って行った。あんまりにも要領が良いので、透一はエスコートされている女の子のような気分になった。


(いやでも当日もこんな調子じゃ恥ずかしいから、きちんと会場のことは調べとかないと)


 透一は駅へと歩き出しながら、デート中の算段について考えた。


 その時突然、後ろから若い男の声がした。


「彼女と男女の関係になる予定なのか? それとももうなった?」


 男女の関係という唐突な言葉に振り向くと、一人の外国人が妙に馴れ馴れしく笑いながら立っていた。


 海外ドラマから抜け出てきたような金髪碧眼の美男子で、年齢は多分三十代半ばくらいだろう。短く刈り上げた金髪と甘いマスク、キラキラの青い瞳に、そんじょそこらの女子なら多分イチコロである。

 万博警備員のIDカードを首に下げているが、服装は警備員の制服ではなく真っ黒なレザージャケットにジーパンというワイルドなものだ。西洋人らしく背も高く体格も良いので、ものすごく似合っている。


 しかしそれはそうとして、プライバシーもデリカシーもない男だと透一は思った。


「関係を持つとか持たないとか、そんなんじゃないですよ」


 透一は困惑しながら、サフィトゥリとの男女交際を否定した。


 外国人だから見知らぬ人にもセクハラめいた話をしてくるのだろうかと推し量るが、それにしては訛りのない自然な日本語だった。サフィトゥリの日本語が完璧に学習されたものなら、男の話す日本語は日本で育った者が話す日本語だ。


「そうか。まずはキスくらいからか」


 透一の抗議に、外国の男はさらに茶化して笑った。たいがい失礼なことしか言っていないのに、美男子だからか笑顔は魅力的に見える。

 男は透一に、続けて言った。


「君の恋と青春はさておき、この万博は国際的なテロ組織に狙われている可能性があるんだ。もしも怪しい予兆があったら、警備隊に知らせてくれ」


 さておきも何も急に話してきたのはお前だろうと反感を覚えたが、男はどうやら本題らしいことを言って透一に万博会場の警備組織の連絡先が書かれたチラシを渡す。


 正直この男こそめちゃめちゃ怪しいが、首に下げたカードホルダーの中の身分証は一応本物に見えた。

 面倒事とは距離を置きたい透一は、訝しみながらもカードを受け取った。


「はあ、そうします」

「よろしく、少年」


 透一がしぶしぶ従う様子を見せると、男は慣れた日本語で軽く念を押した。そして映画のワンシーンみたいに背を向け、夜の闇の中へと去って行く。


(本当に万博には、いろんな人が集まるな)


 鞄のポケットにチラシを折って突っ込み、透一は再び駅へと歩き出す。


(金属探知機とか毎日あんだけ厳重な警備をしとるんだから、そりゃ多少は危険があるんだろうけど……)


 男は名乗らなかったし、どういう役職の人間なのかもわからない。

 しかし男がどんな人間であれ、テロもテロリストも透一には関係のない遠い話にしか思えなかった。

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