海(8/12改稿)

病院を背景にするように社長は車を走らせた。

豪雨の中に佇む誰も居なくなった社宅へと向かう。予定を組んでいた取引先の相手より、山地の母から戴いた言葉が胸を刺す。排水溝に流れきれない雨水はタイヤに踏みつけられては反撃するかののように車体へと跳ね返し八つ当たりをする。

排水口に流れて楽になろうなんて、実は雨はそんなことは考えてないのかもしれない。他に行きたい場所があるというかのように地を這って流れていく。



一方、救急車に乗り込んだ山地を見送った水嶋は自宅の庭先で雨に打たれていた。

「山地さん…、私、貴方のこと……」


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寄せては返す海辺を前にして、男女ふたりが語り合っている。海に溶けてしまいそうな太陽は、水平線に向かいながら黄色から萱草色(かんぞういろ)へと変色していった。夏に咲くオレンジ色のユリのような、儚くも美しく芯のあるような色。そんな海辺の日暮れの時に片想いの水嶋と山地がいた。


山地の声掛けで水嶋とふたりでこの海へと来た。


彼女は彼に告白をした。


『「山地さん、私、貴方のことが好きなの。」』


この言葉にどこまでの意図が詰められていたのだろうか。

ただこの景色は知っている。

そして彼女、または水嶋自身がこの言葉をよく知っている。


ただ山地には………


風が息を殺していても海は波という意識を放出する。

何日も造り上げてきた心の声よりも、自然音に耳が奪われている。


それは山地圭介である。


彼はただ水平線の奥を眺めて、「ごめん、ムリ」とだけ呟いた。山地なりの精一杯の答えだった。


水嶋は必死に積み上げてきた心の堤防をここで崩さぬようにと、山地に言葉を投げかけた。

「私、思い込みが強い方だから勘違いしちゃってたのね。

ただね、今回に限った事じゃないと思う…私。」と言い放った。

彼女の発言に気付かされた山地はビクッとさせて、視線を海の方へ戻しては「…ごめん」とだけ溢した。



沈む太陽は彼女の赤面を綺麗に覆い隠す。


山地はというとさらに独りで背負い込んだ。

人を巻き込んでるという自覚をなしに……


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寄せては返す海のさざ波。


波で削られて心地よくなった砂たちは、山々にある石たちよりも滑らかで心地いい。

人間の悩みもまたこのように削られて心地よくなれたのなら、わざわざ海へ来なくてもストレスは吐き出せるのに…と

山地はあの海の帰り道に馳せていた。


水嶋から伝えてくれる仲間の気持ちを他所にして。


声にならぬ声が、眉間のシワを引き立てる…




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山地の空想世界である心の砂丘にも雨が降り始めた。

しゃがみこんでいた山地を濡らしながら、服を通し、肌を伝い、地面へと染み込んでいく。

雨が降る前に見え始めていた北斗七星は、いまは見えない。


これから行く先の目印だということを山地は知らない…




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母親は息子の山地に置き手紙を書いていた。


時々沸き上がる感情に自分でも驚きながら、そのうち自分にもいつかは本当のお別れが来ることを考えながら、予行練習のつもりで書き綴り進めていた。

母親と息子の間には山地が着用していた上着のジャケットとネクタイ、そしてビジネスバッグが置かれている。キズが付いてしまった革靴も、それは彼の人生だと物語るかのようにベッドの横に添えられいて、いつでも外出出来るようにと足元で待っている。



そして、

母親の肩には社長から直接告げられた言葉を背負う。




「いつもお世話になっております。

この度は私の責任であります…申し訳ありませんでした。

山地さんは、私に業務終わりに退職を伝えにきました。気持ちの高ぶりで大きな声を出してしまい、他の従業員に不安をあおいでしまいましたが数日前から話を伺っており時間を割けずに本人のキズにもなってしまう形としてこのような出来事を招いてしまいました。

私の一方的なお話で失礼します。

山地さんから見せられていたものがありました…本人曰く他の従業員と仕事をするための仕事マニュアルなのですが、こと細かくまとめられていたのですが私の会社は自然を相手にした商品です。自然を相手にした商品というのはマニュアルがあれば良いのではなく、一日一日の観察が必要になっていき商品と従業員の両方をうまく配置して業務遂行していかなければなりません。

ですから、彼の口からは簡単ということを仰っていましたが、社長である私でさえ手を焼いているのにひとつ返事とならないのでお断りさせていただきました。

しかし山地さんは気持ちを納めることも出来ずに、私も馬鹿だったのですが彼の身体まで気に留めることも出来ずにただただ暑いからと炭酸水を差し出しところ、更なる触発を招いてしまい、結果、会社を飛び出した際に倒れてしまいました…。この度は誠に申し訳ありません。」



何度も眉間にシワを寄せながら、そして視線を動かしながら言葉にしていく社長。要らぬ言葉も出てくると自覚をしながら、しかし、それでもそれだけ愛しく思えた社員だったのだと伝えたく語った。

山地圭介はどんな受け止め方をしていようと、社長にとっては優秀な社員の一人だったのだ。


母親は病室の外で社長から息子の手荷物を受け取り静かに頭を下げて帰っていった。

ここだけの話と取り出された書類たちが、母親に用意してもらっていた判子と直筆サインをもって社長の懐に納められた。

母親は息子が目が覚めすのを待たずに手紙を鞄に忍ばせ、病室に影を残すようにして帰宅した。



実のところ目を覚ましていた山地はただただ天井を眺め、洗濯仕立てのシャボンの匂いが漂うパジャマで鼻をすすった。そして横たわるベッドの天井を地図に例え、人生の設計を描きはじめた。

ふと、腕時計の文字盤が逆さになっているのを気付いては静かに微笑み、地図を塩水で濁らせ時を刻むのを楽しんだ。




行きすぎた気持ちがあるのなら、海のように引き戻そう…


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圭介の心の中に、若々しく鮮やかな緑の芽が生えた


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