第18話 裏切り

「早く入って!」


 人々がパニックに陥り、悲鳴や建物が倒壊する音が響き続ける中でサニーは叫んでいた。酒場の周りには自警団たちが剣と槍、そして一般的に知られている類の、鉛玉を発射する形式の銃を構えており、かき集める様にして生き残った者達を店へ押し込んでいる。もう誰もいないかと思っていた直後、周囲の建物の中からだけでなく、屋根の上からもリミグロン兵が現れる。完全に包囲されつつあると知った自警団たちにも焦りが見えていた。


 直後、酒場から市場を挟んだ先の古書堂の屋根に乗っていたリミグロン兵が翼を生やしたサラザールによって蹴り飛ばされる。遠くへ吹き飛ばされ、へし折る勢いで煙突に叩きつけられた兵士の鎧にはハイヒールの靴跡の形をした陥没が出来ていた。翼で空を舞いながら襲って来る彼女に兵士達が気を取られている隙を見て、ジョナサンは急いで酒場へと駆けていく。


「おーい!僕も入れてもらえるかな?」


 肩で息をしながら駆け寄るジョナサンを自警団たちは慌てて酒場へ押しやる。道中までは確かにあった緊張が解け、薄汚れた床に投げ出されるような形でジョナサンは店に入り込む。そして疲労を見せながら窓の近くで外の様子を窺っているサニーの方へ向かった。やはり外で暴れ回っているサラザールに驚いているらしく、口を半開きにしたまま呆気に取られていた。


「何なの…あれ?」


 ジョナサンと目が合った彼女が言った。


「翼が生えた人間って…」

「人間かどうかはさておき、頼りになるボディーガードだよ」


 ジョナサンはそう返事をしながら状況を見ようと目を凝らす。サラザールがリミグロン相手に殴り倒し、蹴り倒し、怪力で投げ飛ばすなどの大立ち回りを繰り広げているが、数は敵の頭数はどんどん増えているらしい。自警団たちは頭が回って無いのか、ひるんで何も出来ないのか分からないが立ち尽くしたままであった。


「おい、ぼさっとしてないでやれよ!何のための武器だ!」


 不意にどこか別の窓から怒号が発せられ、それを皮切りに次々と便乗する様な野次が飛ばされる。戦う素振りすら見せずに引き籠っているお前らが言えた義理じゃないだろうとジョナサンは声に出さず彼らを侮蔑した。何もせず安全圏でうつつを抜かす連中に限って無意味に喚き立てる。立場的な都合もあって偉そうに出来る訳ではないがジョナサンは自警団に同情した。


 当然、助けに行くつもりはない。行った所で死体にされるのがオチだというのが目に見えている。自分にとっての武器は剣ではなく文字と紙であり、それを果たさなければならない。自分が見ているありのままを万年筆で書き込みながら、ジョナサンは仕事における考え方を頭の中で復唱していた。


 一方、外で戦っているサラザールは次第に追い詰められているのを周囲の状況から察していた。案山子同然に立ち竦んでいる自警団連中などハナから当てにはしてないが、こうも自分ばかりに挑まれてはたまらない。


「間違いない!報告にあった女だ!」


 どこかから聞こえ、恐らくは自分を相手にするのが最優先事項になっていると気づいたのはそれから少しした後だった。


 ルーファンと違い、強力な魔法が使えない彼女ではどうしても相手に出来る数が限られており、出来る範囲で交戦していた最中にそれは起こった。銃から放たれる光弾を躱して蹴りを見舞った直後、不意に背後から現れたオニマの振るう大槌が彼女の体に衝突する。そのまま市場に放置されていた屋台やらを滅茶苦茶にして、彼女は開けた場所に転がった。起き上がろうとした直後、巨体に似合わない跳躍で距離を詰めたオニマが傍らに着地し、彼女の腹を踏みつけようとしてくる。咄嗟に躱したサラザールは、先程自分の体があった地面に出来た亀裂を見て少々驚いた。


「久しいな」


 亀裂から足をどかしてオニマは話しかけてくる。


「奴はどこだ?」

「自分の足で探したら?おデブちゃん」


 サラザールは軽く煽ったが、既にリミグロン兵達が酒場を取り囲んでいるのを目にしたせいで、面倒くさい事になったと舌打ちをしてしまう。




 ――――ルーファンはひたすらに走り、やがて西に設置されていた関所の前に辿り着く。ここから先は首都へと通ずる街道になっており、ここを重点的に封鎖するのは間違っていないと即座に判断した。下手に人を通してしまい、首都から軍を送り込まれるような事態を避けるつもりなのだろう。周辺には逃げるつもりだった住民や、抵抗し続けたら自警団らしい武装した死体が転がっている。


「自分から来てくれるとは思わなかったぜ」


 声が聞こえた。刹那、無駄に勇壮な関所の上から何者かがこちらへ飛び下りる。兜のせいで顔こそ分からなかったが、そのどこか陰気臭い他人を馬鹿にするような憎たらしい声は確かに聞き覚えがあった。


「殺したと思っていたら生きている。そして、しつこく目障りな形で付きまとう…さながら蠅かブヨだな」


 アドラは皮肉っぽく笑いながら言ったが、剣を抜いたルーファンを見てすぐに笑い声を抑える。周囲の物陰だけではない。背後からも気配を感じたルーファンは辺りヘ少しだけ視線を向けた。


「安心しろ、まだ手を出さないように言ってある。俺としても色々と話したいんでな」


 気を利かせたつもりなのかアドラは得意げに言った。つまりこの男は分かっているのだ。自身の所為で何が引き起こされたか、同郷の者が自分の前の前で剣を抜いている理由さえ。にも拘らず彼には懺悔をしそうな様子どころか、一言の詫びさえ入れる素振りもない。何かの間違いかもしれない、もしくは彼にも理由があったのかもしれないという思いが消え失せ、ルーファンの中で次第にこの男の苦しむ姿がみたいという加虐欲が芽生え始めていた。


 戦士たるもの、感情に任せて力を振るってはならないという教えは十分に理解しているつもりだった。しかし、リミグロンやそれに関わる者を前にしてしまう度、思い起こされるのは無念と喪失感、そして冷たく固い死体の感触である。


「島への攻撃が止んだ後、俺は死体を埋め続け…そしてお前の死体だけが無い事に気づいた」


 ルーファンは静かに口を開く。


「考えたくなかった。きっと何かの間違いだろうと思い続けた。あの国で戦士として鍛え上げられた仲間の中に裏切り者がいたなんて」


 アドラの返答次第では、すぐにでも飛び掛かってしまうだろうという程に疼いている衝動を抑えつけ、ルーファンは島で自分が感じた違和感と今も尚信じたくないという心情を吐露する。まだだ。ここで狂ってしまっては彼を喜ばせてしまうばかりである。言い分を聞かねばならない。きっと何かある。彼を邪道へ走らせてしまった何かが。自分や義父でさえ知らない彼自身の深い感情が絶対にある筈だ。それは半ば洗脳に近い様な諭し方だったが、ルーファンの心理は必死に自己の暴走を食い止めようと格闘していた。しかし、アドラはそんな虚しい努力を盛大に裏切ってくれた。


「戦士になるために勉学に励んだ事をよく覚えているよ」


 不意に笑顔を保ったままアドラが話し始めた。


「元々平民だったが、あの頃は必死だった。ようやく軍に入隊した後も、まだ他国と交易があった頃には進んで船の護衛に就き、色んな物を見聞きしようと努力した。でも外界を知り、俺の故郷がいかに糞にまみれた骨董品のような場所だったと知って…心が折れた。無知な愚民でいた方がどれだけ楽だったか」

「勝手に失望した挙句、信頼してくれた人々の想いを踏みにじっておきながら被害者気取りか」


 ルーファンの声が僅かに震える。このアドラという人物に対する温情が、急速に自分の中で失われていくのをルーファンは感じた。出来る事なら傍に寄り添ってやりたいという仲間としての意識が薄れ、彼という存在が随分と隔たりのある場所へと離れていると錯覚してしまう程だった。


「被害者だからだよ。外界との過度な接触による文化の消失が嫌だとほざき、閉じこもった時点で未来は無いとまともな思考があれば誰だって分かるだろう?俺もお前も能無し共のせいで可能性を潰された被害者だ。お前の義理の父親を始めとした高官や兵士達の助言にさえ評議会や王族は耳を貸さなかった。今の自分の生活さえ脅かされなければどうでも良かったんだろうな。その点、リミグロンは物分かりの良い連中だったよ。ちゃんと対価を払ってくれる。誇りや…名誉なんていう飯の種にすらならないまやかしを有難がっている土人とは違った」


 言い切ったアドラは首を横に振って指を鳴らす。周囲からリミグロン兵が現れ、ルーファンを取り囲み始める。


「ルーファン、俺と来ないか?その気があるならすぐにでも口を利いてやる。〈幻神〉の行方についても、現時点におけるパージット王国で使われていた流派の唯一の使用者という点でも、お前は貴重なんだ…見ての通り、俺はもう使えない立場だしな」


 アドラは妙に活き活きとしながらルーファンを誘う。情けを掛けているように見せかけているが、実の所を言えば優越感を味わいたかっただけである。今の自分はそれほどの力を持っていると誇示したいがための虚しい聖人君子ごっこだった。本心からの優しさや義理によるものではなく、有利な状況に胡坐をかいているだけという仮初めの余裕であるにもかかわらず、彼は本気で喜んでいた。


「…何も無いのか」


 ルーファンは怒りがこみ上げてくるのを感じながら言った。


「お前のせいで皆が死んだ。帰る場所さえも無くなった…何も感じないのか」

「全く」


 こちらへ殺気を向けるルーファンに対してアドラは言い返す。どうせこの状況では何もできないだろうと高を括っており、そのせいで元来から持っていた彼の他人を見下したいという性分が存分に発揮されていた。


「不思議な事にな。全く可哀そうだと思わない」


 追い討ちをかける様にアドラは続ける。


「先細りしていく事が分かっていた国だ。いつか死ぬ。その寿命を速めてしまった事については申し訳なく思っているよ。だが、自分達で選択した事だろう?俺は付き合いきれなかった。それだけの事だ」


 気が付けばルーファンには果てしない憎悪と、強烈な使命感が生まれていた。殺し、裁かなければならないという怒りをも超越した義務感がルーファンの目つきと形相を無機質なものにする。何も感じてはいけない。この男に対しては一切の情を持ち合わせたくない。自分の体を刺した害虫を殺す時のような苛立ちに近い物があった。全てを奪ったにも拘らず満たされている彼の姿が、何よりも耐え難い苦痛だった。


「やるか」


 臨戦態勢に入った事を察知したアドラは呟き、背中に携えていた槍を構える。槍の切っ先が月のような白くボンヤリとした光に覆われており、その切っ先からルーファンは自分が操る魔法とよく似た気配を感じ取った。

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