第7話 噂
ドアを足で蹴って閉めると、ルーファンは藻掻く彼を力づくで抑えて落ち着く様に説得する。少し落ち着いたらしいジョナサンは大丈夫だと頷き、二人から少し距離を置いた。やはりサラザールの事が気になっているらしい。
「座ったらどう?」
サラザールが話しかけてくる。ジョナサンは断ろうともしたが、彼女の人間とは思えないギラついた眼差しを恐れて従う他無かった。
「食べる?」
「あ、ああ…では、どうも」
恐る恐るジャムを塗ったパンを受け取り、ジョナサンは彼女が見つめる中それを食べた。オレンジのピールを使っているらしく、柑橘類の爽やかな香りが口に広がる。彼が食べたのを確認してからサラザールは呆れた様にルーファンへ顔を向けた。
「あなたの事を知ってるようだけど、このチビは誰?」
「お前がデカいだけだ。チビだなんて失礼だろ。闘技場で世話になってな…名前は確か、ジョナサン…えっと…ああ、カルロス」
「惜しい。カロルスだ」
ルーファンは紹介しようとするが、紛らわしい苗字のせいで結局本人に訂正されてしまい渋い顔をする。一方でジョナサンは目の前に広がる情報量の多さが原因で話の切り出し方に困っていた。暫くルーファンとサラザールを交互に見た後、ようやく相手をサラザールに絞ったのか、なるべく彼女の目から下を見ないように心掛けながら口を開く。
「もしかして君は彼の御友人かな?その、いきなり押しかけた事は悪かったが…こちらにも事情があったんだ。えっと、名前は…」
「サラザールよ。因みに苗字じゃなくて名前」
「分かった。それではサラザール、改めてすまなかった」
押しかけた身である以上、やはりまずは詫びだろう。ジョナサンは彼女の名前を聞き出してから胸に手を当てて謝罪をする。自身の口の事についてとやかく言わない辺り、初対面の相手に対するモラルはあるらしいとサラザールは分析する。見られてしまった以上は仕方が無いと割り切っているという理由もあった。
「…何の用事があって来たんだ?もしかして報酬か?情報を渡くれたから」
ルーファンは二人のやり取りを終わらせようと話に割って入る。彼女の事だから見られたことに対しては気にも留めないだろうが、食事中にあれこれと茶々を入れられてはかなわないだろう。自分が話し相手になってやるしかないとジョナサンに食って掛かった。
「とんでもない。俺がそういうアコギな商売をするのは自分にとって気に入らない相手だけさ。あんたは合格」
「なら一体なぜ?それにどうして居場所が分かった?」
「不思議がる程でも無い。この辺りは街の中で最も人の動きが活発な区域だ。表向きには語られない違法な賭け試合だが、街のどこでもその賭け試合と謎多き剣士の噂で持ち切り。だから道行く人の中でアンタの話をしてる奴らに片っ端から尋ねたんだ。手配犯を追う衛兵のようにね。名前を聞いていたのも幸いだった。下にいる店の主人達には、あんたの名前を出して知り合いだという風を装った。それでも怪しむもんなんで、少しだけ贈り物をしてやったら喜んで通してくれたよ。資本主義万歳」
自分の所在を掴んだ事に驚いていたルーファンへ、ジョナサンは得意気に且つ早口で経緯を語ると手を付けてないらしいビールを飲んだ。
「だが分からない。こうして俺に会ったところで何が目的だ?」
水を少しだけ口に含ませてからルーファンが問いただした。
「それを話す前に、今のこの大陸における社会情勢を知っておいて欲しい。どこまで把握してる?」
いよいよ本題に入るという直前で、ジョナサンは前提となる知識の有無について質問し返す。決して馬鹿にしているわけではない。背景を説明しなければ間違いなく納得してくれないだろうという考えによるものだった。
「…いや、ほとんど」
知ったかぶって話をこじれさせても得はしない。そう考えたルーファンは正直に言った。大まかには人づてによって聞いていたが、詳細までは把握していないのもまた事実である。
「やはり…ああ失礼、こちらの話だ。まず事の経緯は今から三年前に起きたパージット王国の滅亡にまで遡る。大陸側とはそれほど関りを持たなかったとはいえ、〈聖地〉の保有国が武装勢力によって陥落し、民に魔力を与える〈依代〉も殺され、さらには管理されていたという〈聖地〉も失われた…実行したのが他でもないリミグロンだと分かると、タチの悪いカルト教団扱いで済ませていた多くの国家が手のひらを返し、彼らを危険因子として扱う様になった。ここまでは良いな?」
ジョナサンが事の始まりについて説明すると、確かにルーファンは頷いたが心境は決して穏やかな物じゃなかった。質問が無い事を確認したジョナサンは、引き続き情勢についての解説を続ける。
「大陸に存在する〈聖地〉の保有国は、表向きこそ協力していく姿勢を見せたが、結局はただのパフォーマンス…リミグロンの正体も分からない。どこに手先が潜り込んでいるのかさえ知らない状態だ。次第に国家間での人の出入りが制限され、今では限られた人間や政府によって発行された通行手形が無ければ問答無用で刑務所行き…だが、これで別の問題が発生してしまった」
首を振って笑うジョナサンは次の話題に移る。小馬鹿にしたようなその笑みは、自分達に向けられたものではない事だけは確かだった。
「他国からの人の流入が無ければ、物資の取引もままならない。そんな限られた状況下で〈聖地〉を守るには持っている軍事力を結集させる必要があった。するとどうだ?戦略や経済基盤の都合上、どうでも良いと判断された土地は見捨てられ、行政も碌に機能しない無法地帯へとなり下がる…この店の壁に自警団募集の張り紙があったのは見えたか ? ここが自警団の集会所になってるらしくてね。この街は完全に腐りきっているわけではないらしいが、凡人に毛が生えた程度の自警団で防衛が出来る相手なら苦労しないさ。いずれリミグロンの手に落ちる。そうは思わないか?」
上に立つ人間達への個人的な不満も感情に込め、ジョナサンは大陸におけるスラムの増加と秩序の悪化について語る。闘技場を始めとした見世物もそうだが、この街もどこか暗い雰囲気を纏っており、人々の顔からも疲労や不安が垣間見えた。余所者を信用できず、どこか距離を置こうとしている冷ややかな態度をする者が非常に多い。サニーを除いては。
この酒場が繁盛しているのはそういう理由なのだろう。ルーファンはジョナサンの話によって気づいた。そんな荒んだご時世と雰囲気の中、ああして気丈に振舞える者の存在は一種の清涼剤となり得る。やはり人は癒しを求めているのかもしれない。
「大事なのは意志だ。どれだけ力があろうと、行動に移さないのであれば何の役にも立たない。やる気があるだけでもマシだろう」
こちらの反応を窺っているジョナサンに気づき、ルーファンは行動できるだけ大したものだと自警団たちを擁護する。ジョナサンは否定する事なく相槌代わりに頷いていた。
「そうだとも。必要なのは勇気、恐怖に立ち向かうおうとする強い精神力だ。しかし、それが出来るのは己の中の可能性を信じている者に限られる。残念だが世間の大半はそうじゃない。自分に自信を持てず、故に行動も起こせず、誰かからの施しを待っている連中ばかりだ。なら、どうするか?…彼らを導き、後押しする存在が必要になってくる」
酒が入った事で饒舌になったのか、ジョナサンの声はだんだんと五月蠅くなってきた。そして彼が熱い視線でこちらを見始めた時、これは長くなりそうだとルーファンは察し、どんな面倒くさい事を言い出すのかと覚悟を決める。
「僕がそんな事を考えていた時、最近になって巷で流れ始めた噂について耳にした」
物語の語り部気取りなのか、ジョナサンは演説のように大げさな態度で再び話を切り出した。。
「一年ほど前から…漆黒に染まる剣と見た事も無い魔法を振るい、リミグロンやそれに加担する邪悪な無法者たちを恐怖に陥れている剣士がいると、そんな情報がまことしやかに囁かれ始めた。どこから来たのかも分からない、目的も知らない。だがハッキリと言えるのは、命乞いや泣き声さえ斬り捨てんとする冷酷な意志を持つ戦士という事だけ」
彼の話し方からして熱がこもっているのが手に取るように分かった。食い入るようにルーファンへ話し続けるジョナサンを、サラザールは馬鹿馬鹿しいといった様子で眺めている。
「ある者は自分達の聖戦を汚す忌まわしい悪鬼と糾弾し、一方では混沌を終わらせるために悪人達へ下された天罰だと言う…今更聞く迄も無いだろうが、君だろう?リミグロン狩りを行っている剣士というのは」
ジョナサンは体を前のめりにして問い詰めた。その顔は期待に満ち溢れ、「その通りだ」という答えを今か今かと心待ちにしているようにも見える。
「さあな。何のことだか」
「とぼけないでくれ。俺は見たんだ。アンタが試合で見せた奇天烈な動き、剣に何かを纏わせていたのも…賭けても良い、魔法だ。それもこの大陸由来の流派じゃない。今は亡きパージット王国で受け継がれ続けていた〈闇の流派〉。違うかい?」
白を切ろうとしたルーファンへ、そうはさせないとジョナサンは追及を続行する。魔法についても調べていた事が幸いし、ルーファンが使った魔法の正体は一目で分かっていた。
「話を聞く限りパージットの出身ではない筈よね。それなのに一目見ただけで分かる物かしら?なぜ彼の使った魔法が〈闇の流派〉だと断言できるの?」
不信感を露にしてサラザールが口を挟んだ。とぐろを巻く蛇のような息遣いが僅かに聞こえ、ジョナサンは思わず縮み上がりそうになる。恐ろしい開き方をしている口や異形の舌といい、どうやって発声しているのかは謎だったが問題はそこじゃない。
質問を聞いていたルーファンもジョナサンを睨んでいたのである。どうやら鎖国を維持している内に、彼らの持つ知識や文化についても門外不出になっていたらしい。今の自分はリミグロンへの密告者か、諜報員としての疑惑を彼らから持たれているのだろう。返答次第では壁に立てかけてある剣を掴んで、死体に変えられてしまうのではないかという緊張感が、ジョナサンの背筋を無理やり伸ばさせた。
「少なくともこの大陸に存在する流派については、僕は一通り目を通してきたつもりだ。しかし、君が使ったのはどの流派の特徴にも一致しない。古い資料ではあったが、パージット王国へ訪れた者の記録を読んだ事がある。実際に見たわけではないが、君の戦い方を見てすぐに理解した。これが〈闇の流派〉に違いないんだと」
少し間をおいて、ジョナサンは凛々しさを保とうと力強い口調で話す。実のところを言うと、パージット王国には一度だけコネを使って訪れた事があった。しかし大した調査をしておらず、ましてやそんな事をこの状況で話してはさらに疑われかねないという不安に駆られて、咄嗟に嘘をついてしまった。ルーファンだけならばきっと話したのかもしれないが、彼の向かいに座っているサラザールをジョナサンは酷く警戒していた。人間のとは思えない形相、そしてルーファンとの関係など分からないことだらけな相手というのが、何をして来るか分からないという恐怖心を一層際立たせた。
「…そうか。まあ、分かった」
引っ掛かりがあるのか断言するような口ぶりでは無かったが、ルーファンはひとまず満足してくれたらしい。若干眉間に寄っていた皺が薄れていた。サラザールも訝しさを感じなかったようで再び酒瓶を開けていた。気が付けば床には既に空き瓶が十本近く転がっている。
「とにかく、僕の推理が正しければ君はパージット王国で起きた襲撃を生き延びたか、或いは運よく国外へ出てたお陰で居合わせていなかった。そして、同胞の仇を取るために今、こうして大陸で戦っている。あながち間違いではないと思っているんだが、どうだい?」
「…好きに思ってくれて構わない」
ジョナサンが勝手な推理を立てる一方、話を進めて欲しい一心で投げやりな返事をルーファンはした。さっさと宿に戻って仕度をした後に街を出たいという焦燥感によるものか、自分の中でジョナサンに対する煩わしさが募っているのを感じていた。
「噂が各地で広がり始めているという事は、旅をしながら戦っているんだろう?話の本題はそこにある」
ようやく切り込んできたジョナサンだったが、気合を入れるためか酒を一回呷った。今から行う告白は、本人にとってはかなり勇気のいる事らしい。
「何が言いたい?」
ルーファンは敢えてこちらから尋ねた。向こうが口を開くのを待つよりは時間を無駄にしないで済むだろうというせっかちな理由である。
「その旅路に僕も同行させてもらえないだろうか」
「…酒を飲みすぎてるな。帰って寝た方が良い。明日がキツいぞ」
真剣な顔つきで頼み込んだがルーファンは冗談扱いして全く相手にしなかった。サラザールは嘲笑や怪訝な態度を示すわけでも無く、この男は何を言っているのだろうかと不思議そうにしている。
「おいおい!僕は真面目だ!別に君の行いに感銘を受けたから、共に戦いたいなんて言ってる訳じゃない…腕っぷしに自信も無いしな」
「悪いけど尚更連れていけない。こちらにとっては心配事が増えるだけ、あなたにとっては危険に晒される可能性が高まるだけ。互いに損しかない」
「そ、そこまでハッキリ言わなくても…いや、それでもだ!他の方法で役に立つ事だって出来るぞ!こうなったらネタばらしだ。ほら、これを…」
サラザールが足手纏いにしかならないと彼の同行について見解を伝え、ジョナサンは少し落ち込んでしまう。それでも食い下がる様に手帳を取り出して何やら紙きれをルーファンへ渡した。ジョナサン・カロルスという彼の本名の上に、どこかの会社の名前が記されている。
「僕の名刺だ、受け取ってくれ。ふふん…驚いたかい?大陸、まあ主に都市圏を騒がせ続ける新進気鋭の新聞社、〈レイヴンズ・アイ〉で僕は働いてる」
誇らしげな様子で自分の経歴を語るジョナサンだったが、肝心のルーファンたちは反応に困っているらしかった。
「新聞っていうと、情報を伝えるために売られているあの紙か?」
「その通り。そしてビックリしないでくれよ。何と僕は記者であり、その会社の創設者の一人でもある。そんな僕がなぜ君の旅に同行したいのか…答えは簡単、真実の追求とそれによって生み出される本物の記録を人々が求めているからさ」
ジョナサンはさらに気合を入れて自身の行動の原動力について語り始める。まさか暫くこの演説を聞いて無ければいけないのかと、サラザールは溜息交じりに余所見をし、ルーファンは眉間を指で抑えて小さく項垂れた。
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