蹲る闇(二)
姿を現した虎谷の出で立ちは、まるで志藤をからかうようにポロシャツ姿であった。ベージュ色の無地で、胸ポケットにワンポイントコサージュされたタイプ。志藤とペアルックとはさすがに思われないだろうが「おじさん」が二人揃ってファッションセンスの無さを露呈した形だ。
虎谷はいささか痩けた頬に、それと比例するかのような痩けた頭髪。その特徴だけを挙げてみると病院から抜け出した重篤患者のようにも思えるが、実際の虎谷は日に焼けた、いささか健康的すぎるほどの迫力がある。姿勢も良いし、その点では志藤はまさにその逆だ。身長は百八十に届こうというほどあるし、身体の厚みにも信頼できる力強さを感じる。
もっともそれは職業柄と言っても良いのかも知れない。虎谷は現役の警察官であり、もっと絞り込むなら足立区の刑事でもある。
「それにしても、ちょっと迷っちまった。駅前って言うからすぐだと思ったんだけどな」
「管轄では問題あるかと思いまして……」
そんな虎谷の言い訳に、志藤が追従してみせる。もっとも志藤が松戸市まで虎谷を呼び出したのは何も所轄の外で話をしようというだけの理由では無い。松戸市には青田が住んでいるのだ。そういった「要素」も話を聞き出す上で重要なことになるだろうと、そんな計算が志藤にはある。そんな自分の計算を誤魔化すように志藤は傍らに置いたスマホで時刻を確認。二時十分。なるほど、言い訳の必要性に頷けるだけの遅刻だ。
「それはお前。有り難い話だけどよ。そんな事配慮されたからと言って話せないものは話せないんだよ」
「理解しているつもりです。とにかく私の話を聞いてみてくれませんか」
「そうだなぁ……」
言いながら虎谷は志藤と向かい合うように壁際のソファに腰を下ろした。丁度、水を運んできた来たウエイトレスに向かって虎谷は躊躇いなく「ビール」と告げ、続けてウィンナーを注文した。
「虎谷さん……」
「俺は非番だ。それを形にしておくんだよ。決して家だと遠慮してしまうからじゃ無い」
虎谷は続けて声を潜めた。それを裏切るような凄みのある笑みと共に。
「……アルコールが入っていた、何て言い訳は今もまだ割と通用するものでな」
それを聞いた瞬間、志藤の背に緊張が走った。つまり虎谷にも何かしら情報があると言うことだ。電話で取りあえず「概略」については告げてある。元々所轄内で起こった「事件」であるから関わりがあるとは思っていたが……
となると青田絡みである事を本気で期待してのことかも知れない。であれば自分はどうすべきか。いや、考えるまでもなく正直にこちらの思惑を告げるしか無いだろう。元々、青田絡みで始まった話だ。志藤としても、最後まで青田を出し惜しみするつもりは無い――恐らくは。このところ俯瞰が上手く出来ないわけだが、やはりどちらにしても情報収集は必要になる。そんな「言い訳」の存在を確認しながら、志藤は先日の永瀬との「打ち合わせ」を虎谷に披露してみせた。もちろん永瀬の存在については曖昧にしておく。
もっともすぐにバレるであろうが、情報源の秘匿は当たり前の倫理だと志藤は考えていた。それよりも重要なことは青田絡みである事を匂わせておくこと。例えばこの段階で青田に話を持っていくと……やはりどう考えても自分が使い走りになる未来しか見えない。
虎谷は本当にビールのつまみとして話を聞き続けてくれた。その途中で青田が乗り出してきていない事も気付いたはずだが、表面上の変化は見られない。やがて志藤が話し終えると虎谷は肩をすくめながらこう告げた。
「いや、その件についてはかなりバレてるよ。ほとんどそのままだ」
「ですが、この段階でどうにも首を捻る部分があるんですよね。毒の入手経路です。どんな毒なのかはわかりませんが」
「ああ、作家先生はさすがにそこに引っかかるか。もちろんどんな毒かなんて事は教えないけどな。それでも、その辺りはキチンと調べたよ。当たり前に」
「それで?」
「藤田さんな。毒を入手していてもおかしくはない」
「おかしくはない? ――何だか話がややこしくなってませんか?」
「実際、ややこしいんだから仕方が無い。藤田さんはどうにも付き合いがな。あまり素行がよろしくは無い。その素行がよろしくない状況で、毒を入手したとなれば、実のところ把握するのが難しい」
「難しいって……」
「自殺であると片付けられるなら、片付けてしまいたいほどにはややこしいというわけだ。死体を動かした、無理矢理飲ませた。そんな形跡はまったく無かったんだからな――例えば毒を飲ませたとして、それをどういう風に行ったのか皆目見当がつかない」
そこまで聞いた志藤は、一端間を置くようにすっかり水っぽくなっていたアイスコーヒーに口をつける。ほとんどは自分の推理の再確認とも言える内容ではあったが、それでも何もかもがこの氷の溶けたアイスコーヒーの様に薄くなったわけでは無い。
むしろ逆に、濃くなっている部分もある。すなわち――
「……それって毒の入手経路では『犯人』を追うことが出来ない、ってことですよね?」
志藤がそう指摘すると同時に、虎谷がウィンナーを囓る。やけに小気味のいい音が響いた。
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