優と劣
彼女と次に出会ったのは、あれから3日後のことだった。
この前と同じお昼頃に図書館に着くと、彼女はいつも通り特等席を陣取っていた。今日も学校の課題をしているようだ。
今日も“例の
劣な自分にツッコミを入れて、私は彼女の隣の席を目指す。
ありがたいことに彼女はまだ私の姿を捉えてはいない。当然だ。彼女の後ろ姿が私の目に映っているのだから。
歩きながら、おとなしく“例の
が、まだ、やめておくことにした。
なんというか。
ほんの出来心だった。
いや、違う。
これは多分、劣な私だった。
集中する彼女の隣の席に腰を下ろして、いつもと変わらない挨拶をした。
「こんにちは。…小野さん。」
挨拶を終えた私は、いつもの文庫本を取り出して、いつもの栞から読み始める。
いつもと違うのは彼女の名前を呼んでみたこと。
私は予想外に高鳴る己の心臓の鼓動を見ないように、できるだけ平静を装った。
彼女の表情はあえて見なかった。というか見れなかった。たったそれだけのことが、自分が思っていたより、どうにも気恥ずかしかったようで。三十を目の前にしたおっさんが聞いて呆れる。
ただ、一つ気がかりなのは彼女からのいつもの反応がないことだった。いつもなら「こんにちは。」の後に彼女らしい一言を添えて挨拶を返してくれる。
もしかして、名前を間違えたか?いや、そんなはずはない。もしくは最悪のケース…名前をいきなり呼んだことを気持ち悪がられたか。
そんな思いが頭の中を
意固地になっていた劣な私を半ば諦めて、彼女の方を見ると彼女はいつもと変わらぬ笑みを浮かべてこちらを向いていた。
「やっとこっち見てくれましたね。こんにちは。今日は傘持ってきましたか?」
なんて言うもんだから、何だか拍子抜けした。
枕詞以外はいつも通りで、もしかしたら聞こえてなかったのかもしれないとも思った。ともかく彼女の表情から見るに私の不安は的外れで安心した。少しがっかりしたが、気持ち悪がられるより随分マシだ。
まあいいか。と考えを改めて傘の有無について返答しようとしたその時。
「…なんか名前で呼ばれるのも悪くないですねえ〜」
手放した気持ちがいきなりキュッとつままれて私の中で跳ねた。
「…気づいてたんですか。」
出来るだけ声に波がないように私は言う。
「はい。」
満面の笑みで彼女は言う。
私は彼女が一枚上手だったと早々に降参して、素直に受け入れることにした。
本に目線を移動させて、それから華麗に身をかわす。
「…傘は持ってきてないです。」
「え!夕方から降りますよ?」
「…そうなんですか…じゃあ、それまでには帰ります。」
「また傘貸しましょうか?」
「…いえ、これ以上借り物が出来たら身が持ちませんよ。」
「……そんな重い物貸した覚えないですけど?」
「……小野さんって天然って言われたことないですか。」
彼女は全力の否定と抗議の後、本当のことを少しむくれた表情を隠しながら小さく教えてくれた。
出会った頃からそうだ。彼女との間には優も劣も不必要なものだった。
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