バイト上がりと雨の中

「――結構降ってるな」


 バイトが終わって店から出ようとした俺は、目の前に広がる光景を見て、特になんの捻りもない感想を漏らした。


「マジかよ……バイト中に窓から見えて気が付いてはいたが、止まなかったか」


 後ろから近づいてきた玲央も面白くなさそうに呟いている。

 こんなことなら天気予報をよく確認しておくんだった。


「どうっすかな。1番近いコンビニもそこに行くまでに全身ずぶ濡れになるだろうし……おい優希人、ちょっとひとっ走り傘買ってこいや」


「ざけんな。もし買いに行ったとしても俺の分だけ買って戻ってくるわけないだろうが。そのまま置き去りにして帰ってやる」


「ちょっと2人ともー、店先でケンカはやめてよねー」


 胸ぐらを掴み合う俺たちを呆れた目で見ながら、湊が店の中から出てきた。

 その手には2本のビニール傘が握られている。


「傘なら貸したげるから、ほら」


 俺と玲央は口々にお礼を口にしながら、傘を受け取ろうと手を伸ばす。

 そのタイミングを狙ったように、雨音に混ざるようにして、ここにいないはずの人物の声が響いた。


「その心配はいりません。玲央の分はわたしが持ってきましたから」


「ゲッ、梓!? なんでここに!?」


「夫がずぶ濡れになって風邪でもひいたら大変ですから。これも妻の役目です」


「夫じゃねえし妻でもねえ!」


 突如として現れた相羽さんに、玲央は身を仰け反らせながら声を荒げた。

 ふむ、隙だらけだな。今ならこの男を簡単に亡き者に出来るのでは?

 幼馴染みが傘持って迎えに来るとか絶対に許せねえ。ラノベ主人公か貴様は。


「はあ、もういい。傘を持って来てくれたことには感謝する……が、オレの傘はどこだ? 見た感じ、お前他に荷物とか持ってないよな?」


「あ、すみません。忘れてしまいました」


「は?」


「なので、わたしと相合い傘で――ああっ!? 待ってくださいよ、玲央! どうして逃げるんですかぁ!」


 相合い傘という単語が相羽さんの口から出た瞬間、玲央は傘も持たずに雨の中を走り去っていく。

 なにやってんだあいつ。湊から傘を借りて普通に断ればよかっただろうに。

 まあいいや、そのまま風邪ひいて熱出して寝込め。


「で、早瀬はどうする?」


「俺はありがたく借りる。サンキュ、じゃまた明日な」


「んー、バイバーイ」


 玲央と相羽さんのやり取りを眺めていた俺は、同じく見守っていた湊から傘を受け取って、家へと歩き出した。

 

 ――ポツポツポツ、ピチャピチャピチャ。

 降りしきる雨に身を委ねるように歩いていると、俺の通った浅い水溜まりに雨粒とは違う大きな波紋が広がって、また雨粒がそれを消し去って、新たな波紋を生んでいく。


「……そういや、腹減ったな」


 朝を食ってからなにも食ってなかったし、バイトで動いて余計に腹が空いた。

 コンビニで小腹を満たせそうなもんでも買ってくか。


 俺は欲求に従い、近くにあったコンビニに入って、サンドイッチと飲み物を購入して外に出て、家への歩み再開させる。


『ねえ、いいじゃん。ほら、雨も降ってることだしさ! どこかで雨宿りついでにお茶してこーよ!』


『い、いえ……! わ、私、急いでて……!』


「ん?」


 今の声は……いのりの……?

 雨音を縫うように聞こえてきた聞き覚えがある声。


 一瞬足を止めた俺だったが、声が聞こえてきた方角、俺の家がある方向の曲がり角を曲がる。

 そこにいたのは、3人の男に囲まれているいのりだった。

 

『ねっ、ちょっとだけだからさ!』


「きゃっ!?」


 その中の1人、そこそこ顔が整った、恐らく3人の男の中のリーダーがいのりの腕を軽く掴んだ。

 

 ――オーケー、死にたいようだな。


 不埒な輩を成敗すべく、そいつらに近づいていく。

 4人が傘を持って密集しているせいで、死角が多いらしく、俺の接近にはまだ気が付いていないらしい。


 すぐ後ろまで接近した俺は、傘を畳んでしゃがみ込み、そっと傘の柄の方を腕を掴んだイケメンの股の間に差し込んで、


「――こんにちはーっ!!」


「ほぐぁぁぁあああああああああああっ!?」


 容赦なく1番上まで勢いよく引き上げて、力の限り傘の柄を引き抜いた。

 イケメンが悶絶しながら、持っていた傘を放り出して水溜まりの中を構わず転がる様子を見て、俺は一仕事やりきった職人の如く、爽やかな顔をして立ち上がった。


「ユ、ユキくん!?」


「大丈夫か、いのり」


 傘をさし直し、いのりを背に庇うように立って、ナンパ男どもと対峙する。


『だ、大丈夫か!? お前、なんなんだよ!?』


『不意打ちとか汚えぞ! しかも股間を躊躇なく……お前同じ男としてなにも思わないのか!? こいつが悶え苦しむこのザマを!』


「なにも思わないのか、か」


 未だに水溜まりの中に沈む男を見て、呟きながら、デイパックからコンビニで買ったサンドイッチを取り出して、開封して、一口囓った。


「――いやあ、イケメンが這いつくばってるのを見ながら食う飯は最高に美味えなあ」


『クズだァッ!? こいつ紛れもないクズだァ!』


『なんて野郎だ……! 恥を知りやがれこのカス外道!』


「るっせえこのバカどもが! 人の家族に手を出して怖がらせやがって! 見ての通り俺は男の股間だろうと容赦なく攻撃出来る男! とっととそいつ連れて俺の前から失せねえともっと痛めつけんぞゴラァ!」


 恫喝してみせると、ナンパ男どもは蹲ったイケメンを連れて、悪態をつきながら去って行った。

 

「ったく。なにもされてないな? なんかされてたら今からでも追撃行ってくるけど」


「だ、大丈夫だよ!? ちょっと腕摑まれてビックリしただけだから!」


 それだけでも処すに値するんだがな。


「ところでいのりはなんでここに?」


「雨降ってたみたいだし、ユキくんもしかしたら傘持って行ってないんじゃないかって」


 言いながら、いのりは鞄から折りたたみ傘を取り出した。

 義理のきょうだいが傘を届けに来てくれる俺も玲央と同じくラノベ主人公だったようだ。


「届けてくれてサンキュ。まあ、見ての通りバイト先で借りたから、なんかただナンパされに来させただけみたいになった。ごめん」


「ううん、助けてくれてありがとう。すっごく怖かったから」


 人見知りにとって、見知らぬ異性に数名に囲まれたら、そりゃ怖いに決まってる。

 

「とにかく帰るか」


「うんっ」


 2人並んで、家へと歩き出す。


「ところで、だな……」


「うん?」


「さっきは悪かった!」


 隣を歩くいのりに向かって勢いよく頭を下げた。

 

「えっ!? さっきって、なにが?」


「あの、荷造りの時に……」


「荷造り……あっ! あれは、その、ユキくんが悪いわけじゃないから! 私もビックリして、素っ気なくなってごめんね!」


 いのりも俺に向かって頭を下げる。

 いのりはなにも悪くないのに……くっ、なんていい子なんだ!


「お詫びと言ってはなんだけど、バイト先で何個かデザートもらって来たから、好きなの食べてくれ」


「えっ、本当に!? わぁ、ありがとう!」


 相変わらず雨は降っているが、その笑顔はバイト前に感じていた憂いもなにもかもを吹き飛ばしてくれそうな晴れやかな眩しすぎる笑みだった。

 家に帰ったいのりが食べ過ぎて太ることを心配する以外は、お詫びの品は大盛況だった。

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