暗がりの占い


 人けの無い教室。下校時間の過ぎた校舎。西日が徐々に山の向こうへと落ちていく。

 吉田障子は文庫本を片手に、先ほどから姫宮玲華の奇行を眺めていた。

 ──誰が最初に障子を「王子」と呼んだのか。

 玲華は昼休みに自分がそれを見つけ出すと宣言をした。

 障子にはそれをする意味が分からなかったし、また分かりたいとも思わなかった。そもそも、障子は名付け親が三原千夏だと覚えていたため、玲華の無意味な行動に半ば呆れている。

 だが、玲華の暴走を放って置くわけにはいかないのだった。彼女がいったいどのような方法で人探しをするのか、想像も出来なかったからだ。もしも玲華が全校生徒一人一人に聞いて回るような方法をとった場合、障子は引き篭もるか、引っ越すかの二択を迫られる事になるだろう。

 幸いにも玲華は地道な作業が嫌いのようだった。そして、占いで探し出すという奇策に走る。取り敢えずほっとした障子は、玲華に付き合ってあげることにしたのだ。

「何してるの?」

 玲華はコップに張った水を上から眺めていた。

「覗いてるの」

「いや、水を覗いてどうすんのさ?」

「水晶玉が無いからね」

「ええ……?」

 それは先ほど、障子が水道から汲んできたものだった。隣の机にはタロットカードが散らばっている。

 玲華は暫くコップの水を眺めると、腕を組んで唸った。どうやらまた上手くいかなかったようだ。

 今度は鞄から薄紫の巾着袋を取り出した。袋の中からはジャラジャラという音がする。

「何それ?」

「ルーンストーン」

「……いや、ほんと何それ?」

 障子は薄暗くなっていく窓の外を見ながら、焦燥感に駆られた。だが、本当は幽霊が怖いなどと、口が縦に裂けても言えない。

 玲華はふんふんと鼻歌を歌いながら袋の中に手を伸ばした。桃色の小石が出て来る。小石の表面には奇妙な模様が描かれていた。玲華はまたも唸る。

 校庭は夕暮れと夜の境界に差し掛かっていた。既に廊下は暗闇の中である。

 ふと、どうしてこんなに暗いんだろうという疑問が障子に湧いた。まだ教師や、遅くまで部活動を続ける生徒が残っているはずだった。校内は異様に暗く沈黙している。

「ねぇ、今日はもう帰ろうよ!」

 障子は立ち上がった。羞恥心に勝る恐怖心。玲華の細い腕を引っ張ると、無理やり立ち上がらせる。

「もう、強引な王子様」

「何でもいいから帰ろうよ! なんか変だ、学校が静かすぎる」

「あら、ほんとね。どうしてかしら?」

「とにかく帰らないと」

「待って、まだコックリさんやってないから」

「やってたまるか!」

 障子はリュックを持って教室の外に飛び出した。

 やはりあの子は幽霊なのだ。そして幽霊に取り憑かれた僕は、哀れな脇役のように、これから悲惨な死を迎えるのだ。

 湧き上がる妄想に強まる恐怖心。障子は階段を駆け下りた。

「待ってよぉ、王子ぃ」

 背後から不気味な怨霊の囁きが響いてくる。暗い廊下を必死に走る障子。今朝見た悪夢が脳裏をフラッシュバックする。

 正面玄関にたどり着くと、運動靴を手に取った。靴下のまま土間に下りると、玄関の扉を強く押す。そして愕然とした。鍵がかかっていたのだ。

 障子はパニックに陥った。鍵を回せなければ外に出られないという多くの幼児がぶつかる問題。混乱する障子には解く事の出来ない難問である。

「王子ぃ」

 徐々に迫り来る亡霊の高い声。

 障子はとにかく必死にお経を唱えた。

「こんな時間まで何やっとるんだ!」

 急に懐中電灯を照らされた障子は、うわっと目を腕で覆い隠した。恐る恐る顔をあげると、世界史の福山茂男が鬼の形相で仁王立ちしている。

「おい、お前ら、吉田と姫宮だな? こんな時間まで何をしていた!」

 こんな時間とは何だろう?

 障子は疑問に思ったが、とりあえず恐怖から解放された安堵で涙が出てきた。

「あー、先生、王子を泣かせた!」

 姫宮が、世界史の福山を睨みつける。

「おい、何で先生が責められにゃならん? 吉田! 男ならメソメソ泣くな!」

「だって……ひっ……お、怨霊が……!」

 障子は、玲華を指差して泣いた。玲華はキョトンとして障子を見つめる。

「ああ? 何を言ってるんだお前は? お前ら、ほんとに何してたんだ?」

「お……怨霊が、ぶ、部活、作るっ……て、う、占いで……ひっ……人探すって……」

 福山は、嗚咽で切れ切れになる障子の言葉に要領を得ず、首を傾げた。

 まぁ、活力漲る高校生の男女なんだ。如何わしい行為の一つや二つしょうが無いか……。

 福山は坊主頭を掻いた。

「うーん、取り敢えず、早く帰れお前ら。……あー、いや送ってやろうか? どうする? 親御さんは来るのか?」

「大丈夫でーす!」

 玲華はピースをして嗚咽する障子の腕を掴むと、玄関の鍵を開けた。

「おい、ちゃんとゴムはつけろよ!」

 ガハハと下品に笑う世界史の福山。玲華は、にっこりと笑って中指を立てた。

「ほら王子、泣かないで? 大丈夫だよ、明日にはちゃんと見つけられるから!」

「も、もういいから……」

 玲華と共に校門を出た障子は、人前で号泣した恥ずかしさに俯いた。街灯の薄明かりが、人けのない道をぽつぽつと照らしている。街は学校と同様に静まりかえっていた。

 聞き慣れた携帯の着信音が夜道に響く。障子はポケットからアイフォンを取り出した。

「障子? 大丈夫?」

 母の声。真智子は何やら心配そうに息を震わせている。

「……何が?」

 障子は首を傾げた。

 もしかして世界史の福山が、母に電話したのだろうか?

「何が、じゃないでしょ! 何で今まで電話に出なかったのよ!」

「な、何だよ、急に怒鳴って。電話なんてかけてきてた?」

「かけたわよ! 何度も何度も! 今何時だと思ってるのよアンタ!」

「えっ、何時なの?」

「二時よ! こんな時間まで何してたの!」

 障子は、真智子の言葉にポカンとする。そっとアイフォンの画面を見てみると、午前二時十二分を表示していた。

 ……何で?

 混乱する頭。呆然と固まったまま障子はホーム画面を睨み続ける。

「ちょっと? 障子……」

「ごめんなさい、お母様。あたしの用事に障子クンを付き合わせてしまったの」

 玲華が、言葉を失って固まる障子の代わりに返事をした。

「あっ……らら? ……えっ? 玲華ちゃんかしら?」

「はい」

「あっ……そうだったの? ふーん、うふふ、そういう事?」

「はい、そういう事です」

 何がそういう事なのか分からなかったが、とにかく障子は早く家に帰らなければと焦った。

「お母さん、ごめん! すぐ帰るね!」

「うふふ、いいのよ? お母さんだってね、障子くらいの年の頃は、よく朝帰りしてたんだから」

「……はい?」

 何を言ってるんだこの人。

 障子は、ホーム画面を睨んだ。

「うふふ、では、ごゆっくり」

 真智子はそう言って電話を切った。

「ねぇ、王子? お母様の許しを貰ったんだから、もう少し探さない?」

 障子は気が抜けると、途端に睡魔に襲われた。大きく欠伸をする。

「いや、ほんと何言ってんの、君? もう僕眠いし、帰るよ」

「そう? じゃあまた明日ね!」

 玲華は少し残念そうに笑うと、手を振った。

「……因みに姫宮さん、どうやって帰るの?」

「えっ? 歩いて帰るよ?」

 それは流石にマズイんじゃ……?

 障子はため息をつくと、回らない頭を奮い起こすように両眼を擦る。

「送るよ……」

 障子はフラフラと玲華の後に続いた。

 玲華は意外そうな顔をして口を開くと、目を細めて優しく微笑んだ。

 



 

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