部活勧誘


 吉田障子はモヤモヤとした気分で午後の授業を受けた。昼休みの旧校舎裏で、クラスメイトの姫宮玲華に王子と揶揄われたのがショックだったのだ。高校に進学してから面と向かって王子と言われたのは初めてだった。暗い中学時代の記憶が次々と彼の頭の中に浮かび上がってくる。

 休み時間になる度に玲華は障子の元にやって来た。それを障子はジッと俯いてやり過ごした。

 六限目が終わると掃除が始まる。何処かに居なくなった玲華に、障子はほっと息を吐いて雑巾を絞った。

 放課後のチャイム。部活動の準備を始める生徒たち。障子は周りを見ないように下を向いて、サッとリュックに教科書を詰め込んだ。教室を飛び出すと、小走りに階段を降りる。

「わっ!」

「うわぁ!?」

 クラスに姿の無かった玲華が玄関前で障子を待ち構えていた。障子は驚いて体を丸める。それを見た玲華はケラケラと楽しそうに笑った。

「ごめんね、障子クン、驚いた?」

 制服姿の玲華はスッと伸びる白い足を折り曲げて、可笑しそうに障子の顔を覗き込んだ。恥ずかしさと怒りで障子の顔が真っ赤となる。滲む涙を袖で拭った障子は無言で玲華の横を通り過ぎた。

「ねぇ、障子クン?」

「うるさい」

 背後からの声に障子は唇を震わせた。やっと返ってきた返事に玲華は嬉しそうな顔をする。

「聞こえてるんだね? 良かった、あたしって幽霊なのかなって思っちゃってたよ」

「……」

「弁当、ほんとにごめんね? だから怒ってるんだよね?」

「違うってば」

「じゃあどうして?」

「もう、ほっといてよ!」

 校門前で素振りをするテニス部。野球部の息の合った低い声が校庭に響く。

 障子は校門に向かって走り出した。だが、すぐに玲華に追いつかれる。鞄の端を掴まれた障子は驚いて振り返った。大きな瞳を細めて障子の目をジッと睨む長い髪の女生徒。怖くなった障子は視線を逸らした。

「どうして逃げるの? そろそろ、あたしが怒るよ?」

「ご、ごめん……」

「いいよ」

 玲華は微笑んだ。風に流れる黒い髪。

「……じゃあ、僕、帰るね」

 障子はおずおずと頭を下げると、黒いリュックのショルダーハーネスを掴む。すると玲華は、テクテクと障子に付いてきた。

「……あの、姫宮さん、部活は?」

「辞めちゃった」

「ええ? どうして?」

「飽きちゃったから」

「そ、そうなんだ……。じゃあ、僕、こっちの道だから」

 障子はいつもとは違う帰り道を選んだ。その後を玲華が追いかける。

「あの……」

「ねぇ、王子様?」

 玲華は、障子の制服を掴んだ。山の裾から枝を伸ばす木々が、二人の歩く道に影を作っている。神社の長い石段。木漏れ日の中を悠然と佇む鳥居。

 立ち止まった障子は、玲華の細い腕を振り払おうともがいた。だが、玲華は信じられないような力で、掴んだ手を離さない。

「ねぇ、王子様?」

 障子は視線を逸らした。不快感ではなく恐怖心が胸を締め付ける。玲華のクリクリと動く黒い瞳が異様な光を放っていた。

 もしかして、幽霊に取り憑かれているんじゃ……?

 障子はゾッとした。

「あのさ……姫宮さん、大丈夫?」

「ええ、大丈夫です、王子」

 玲華はグイッと障子に唇を近づけた。甘い匂いが障子の鼻腔をくすぐる。

 障子は、ひいっと悲鳴を上げた。

「うふ、あはは」

 玲華は明るい笑い声を静かな通りに響かせる。障子はムッとして玲華を睨みつけた。

「もう、なんなんだよ!」

「ごめんね、王子様」

「その王子様ってのやめろよ! 姫宮さん、高校生にもなって恥ずかしくないの?」

「だって皆んな忘れてるんだもん、障子クンが王子様だったってこと」

「いいんだよ、そんなの昔の話だし。……あれ、姫宮さんって同じ小学校だったっけ?」

「違うよ」

「もしかして、中学校一緒だった?」

「ううん、あたし、今年こっちに引越して来たの」

「……じゃあ、誰からそのあだ名を聞いたの?」

「あだ名?」

 玲華はキョトンと首を傾げた。

 障子は気味が悪くなった。涼しい風が木々を揺らす。

 重なる枝の影も、神社の石段も、そこで首を傾げる髪の長い少女も、段々と景色の全てが不気味なものに変わっていく。

「……ねぇ?」

 玲華は後ずさる障子を追うように、一歩前に足を踏み出した。

「な、なに?」

 激しい恐怖に障子の下半身の力が抜けていく。

 ホラー映画なら、ここで僕が死んで本編がスタートするんだ……。

 玲華の姿が、最近見た映画の亡霊と重なった。

「……ねぇ、一緒に部活作らない?」

「はい?」

「初めはオカ研か占い部でも作ろうかなって思ってたんだけど、やっぱり、一緒に王子様部を作ろう!」

 何を言ってるんだ、このお化けは?

 障子はゴクリと唾を飲み込んだ。



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