第2話 また会ってくれますか?
九月のある日曜日。
僕は駅の改札にほど近い、駅ビルの入り口付近に立っていた。
千葉、埼玉、茨城の三方向とつながっている大きなターミナル駅で、行き交う人の数が田舎とは比べものにならないほど多い。
塾のリュックを背負った小学生、部活に向かう体操着姿の中学生、手をつなぎ合う高校生カップル、にぎやかな大学生らしきグループ、家族連れ……。
僕はそわそわと、大勢の人の群れのなかに綾さんの姿を探す。
僕がイメージする綾さんは、親しみやすい、愛嬌のある女の子だ。
一方で、僕の心には、綾さんからもらった返信の最後の言葉がずっと引っかかってもいた。
――私に会えば、がっかりするかもしれません。
あの言葉は、いったいなにを意味するのだろう?
僕は期待と不安がない交ぜになったような気持ちで、綾さんらしき女の子がいないか、懸命に目をこらす。
「あの、もしかして、律くんですか?」
ふいに、背後から声をかけられた。
僕の背筋がぴんと伸びる。
声に反応して、思わずふり返る。
そこには、清楚な水色のワンピースに身を包んだ、長い黒髪の、きれいな女の子が立っていた。
くりっとした丸い目でうかがうように僕を見上げ、返事をじっと待っている。
「そ、そうですけど」
「よかったァ。ちがったらどうしようかと思っちゃった」
「ということは、もしかして、綾さんですか?」
「はい、私が綾です」
綾さんが柔らかい笑みを浮かべる。
たちまち、心臓が高鳴って、カアァッと顔が熱くなってきた。
がっかりするなんて、とんでもない!
アイドルみたいな子が来ちゃった!
僕はすごく嬉しいのに、内心、かえって慌ててしまった。
綾さんは上目づかいに僕にたずねてくる。
「で、どうですか? 律くんから見た私は。 イメージ通りだった?」
「いえ、イメージしていたよりもずっと美人で、動揺しています」
「ぷっ。なにそれ」
綾さんがおかしそうにコロコロと笑う。
「……ちなみに、綾さんから見て、僕はどうですか?」
「うーん。わりとイメージ通りだったかな」
「どんなイメージだったんです?」
「素朴で純粋な感じ。で、ちょっとかっこよければいいなーって」
綾さんが正直に打ち明け、悪戯っぽく微笑む。
「律くん、立ち話もなんだし、カフェにでも行こっか」
「はい」
綾さんは踵を返し、駅ビルのほうへと先に歩き出した。
けれども、綾さんの足はなかなか前に進んではいかなった。
あれ、どうしたんだろう?
僕は違和感をおぼえた。
綾さんの歩みは、どこか人とは異なっていた。
歩幅が極端に狭いのだ。
綾さんは足をわずかに前後に開き、細い身体を左右に揺らしながら、小さな一歩を慎重に積み重ねていく。
綾さんが背負っている、ナイロン製の黒いリュック。そこには赤い札が括りつけられていた。
赤地に白い十字とハートマークが描かれた『ヘルプマーク』だ。
――綾さんって、もしかして、障害を抱えている?
私に会えばがっかりするかもしれないと話していた、その意味を僕はようやく理解した気がした。
僕はつい視線を下ろし、あまり開かない綾さんの細い足に見入ってしまった。
綾さんも僕の視線に気づいたのだろう。僕のほうをふり返り、寂しげな笑みをこぼした。
「先に謝っておくけど、私、歩くのすごく遅いから。ごめんね」
綾さんは、ゆっくりとした足取りで、僕を駅ビル五階のカフェへと案内してくれた。
抹茶やほうじ茶、冷たいグリーンティーやスイーツなどが並ぶ、和テイストのおしゃれなカフェだった。
店内は圧倒的に女性が多く、なかにはカップルもいる。
「どうしたの、律くん。きょろきょろして」
「いえ、こういうところに来るのは初めてなので」
落ち着きのなさを綾さんに指摘され、恥ずかしくなる。
綾さんみたいなきれいな人とおしゃれなカフェにやって来て、平然としていられるほど、僕は肝が座ってはいないのだ。
綾さんがティーカップを唇に運び、ひと口飲む。
そして、言った。
「残念だったね。大学に通えなくて」
「それはもう」
無念としか言いようがない。
綾さんがため息交じりに声をもらす。
「私ね。大学に行ったら、友だちをたくさん作るつもりだったんだ。高校の時、ほとんど学校に通えなかったから」
「……病気だったんですか?」
リュックについた『ヘルプマーク』が気になって、思わずたずねてしまう。
綾さんが神妙な顔でうなずく。
「高一の時に病気だって分かって。それから二年は入院してたかな。退院してもすぐには学校に通えなくて、ふたたび学校に顔を出した頃には、もう卒業が近づいていた」
僕には想像がつかない世界だ。
綾さんはおっとりとした口調で話す。けれども、その声には苦労の色がにじんでいた。
「でも、すごいですね。それでもちゃんと大学に進学するんですから。優秀なんですね」
「まあね」
綾さんは得意げに胸を張り、
「浪人はしたけどね」
と眉をハの字にして苦笑した。
年上でしたか。どうりで同じ一年生なのに、僕よりしっかりしているわけだ。
だからね、と綾さんは話を続ける。
「高校で味わえなかった青春を、大学で取り戻そうと思っていたんだけどね。でも、大学にまで通えないとは思わなかったなー。呪われているのかしら」
綾さんは薄く笑い、肩をすくめる。
僕はどう声をかけていいのか分からなかった。
障害を持った人と話をするのは初めてだったし、なにより、綾さんと僕とでは、大学に通えない状況は同じでも、その意味や重みがまるでちがう。
「綾さんはえらいと思いますよ」
「ふうん。どの辺りが?」
「青春をあきらめないところとか。ちゃんと前に進んでいるところとか」
僕の言葉に綾さんは目を丸くし、それからクスっと微笑をこぼした。
そして、教えてくれた。
「私が病気だって分かった時、お婆ちゃんが泣いて、私に言ったんだ――『自分の命と交換してあげたい』って。その時にね、思ったの。私の命はけっして軽くない、いいかげんな生き方はできないって」
「そのお婆さんは、今は?」
「一緒に住んでるよ。今でも私のことをいろいろ気づかってくれる」
綾さんはそう言って、ふたたびティーカップを口に運んだ。
綾さんと僕とは同世代なのに、これまで積み重ねてきた人生の経験値があまりにちがうから、なんだか圧倒されてしまう。
「お婆ちゃんだけじゃない。両親にもたくさん支えてもらってる。ちょっと難しい親なんだけどね」
「僕も――」
僕の口から、しぜんと言葉がもれた。
「綾さんのこと、支えてあげたいです」
綾さんを励ましたい、その一心で飛び出した言葉だった。
綾さんのきょとんとした目が、まっすぐ僕に向けられる。
僕は、伝えた言葉が意図とは異なる響きをふくんでいることにハッと気づき、慌てて言いつくろった。
「べ、別にそういう意味じゃなくてっ。深い意味はないんですけど」
たちまち頬が熱くなる。
綾さんが、ぷっと吹き出した。
「あはは。ありがとう、励ましてくれて。一年生同士、これからも一緒に頑張ろうね、律くん」
その後もしばらく会話をして、僕たちは別れた。
綾さんは駅からバスで帰ると言う。
僕はバス停まで綾さんを見送って、最後に告げた。
「今日は楽しかったです。……また会ってくれますか?」
「ええ、私なんかでよければ」
綾さんの優しい笑顔は、僕にはまぶしすぎた。
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