31.蠱毒


 致命傷に近い傷を治癒で治すと、強い飢餓感を覚えるというのは有名な話である。


 その理由に「治癒」により傷が治る仕組みが、怪我を負った個人が持っている生命力…自然治癒力を魔力を使って過活性化させ、通常数日、数ヶ月かかる工程を早回しに行っているから、という説がある。体の機能に命令して無理やり傷を治させているため、エネルギーが一瞬で消費されてしまうのだ。


 ならば、傷を負い、更に餓死寸前の冒険者に治癒を施すとどうなるのか。エネルギーを使い切り息絶えてしまうのだろうか。

 ある日の迷宮行の最中ハレが疑問を口にすると、ハナコはふむと少し考え、まるで教科書を読み上げるかのように淡々と答えた。


「その場合は、治癒は発動せず、傷も治らないわ。いわゆる、不発ね。都合のいいことに生命維持に必要なギリギリのエネルギーは、治癒には回されず残されるの」


 へぇ、と興味深げにハレは頷く。

 大学では魔法具の作成を専攻していたらしいハナコだが、その知識は広く、こうして神秘の領域についてもハレ以上の知識を有している。

 妖精の森で生まれ、神秘に身を浸して生活をし、それを扱うに至るハレよりそのものに詳しいというのは、ハレからすれば己の無知を恥じ入らずにはいられない事態ではあった。

 そのことをハレが小さく零すと、「視点が違うから仕方ないわ」とハナコは首を振った。

 つまり、生活に根ざした文化として事象を主観で見ているのと、学問として客観的に眺め回すのはまた違うということらしい。


「私も、生の情報を得られて有難いと思ってるのよ。妖精の森は基本的に他種族は入れないもの」


 静かに微笑むハナコに、ハレは短く生えた顎髭に触りながら照れ臭そうに笑い返した。


「疑問といえばさ。治癒って、完全に消滅したパーツでも元に戻るのが、不思議だよね」


 思い出したようにハレは口にした。

 例えば腕や足を切り落とされたとしても、傷が完全に塞がる前ならば治癒を使えば再び生えてくるという話だ。


「そうね。おかしな話よね。ヒトデじゃないんだから。これに関しては、まだ仮説なんだけど…。治癒を使う際に現れる光があるでしょう。魔力に反応し、地中、空気中から現れるもの。あれは、人体を構築する物質の…「種」のようなものなのではないかっていう話があるの。人の体に触れ、エネルギーを吸い、芽吹き、体に予め控えられている設計図をもとに肉体を作る」

「あ。つまり、その究極が"蘇生"…」


 死亡した冒険者の行く末は二つある。一つは、そのまま生物としての死を迎えること。心臓が止まり、呼吸が止まり、脳が機能を停止し、そうして肉体は朽ち果てていく。

 もう一つは「蘇生」と言う神秘を施され、健常の姿を再び得て生を続行すること。

 蘇生は通常、死体を「寺院」へと運び、そこで多額の金を払って行われる。

 だがやはり、生命を弄る行為に絶対はないらしく、どれだけの金を積もうと失敗はつきもののようだ。

 蘇生に失敗した場合、肉体は灰のような粉状の物体へと姿を変える。更にその灰からの蘇生にも失敗すると…「ロスト」と呼ばれる状態になる。すなわち、消滅だ。この世からの完全なる消失。


 迷宮を行く僧侶の目指すところは、この「蘇生」の獲得だ。

「蘇生」は、迷宮内でしか行えない。寺院がどういう仕組みで迷宮の外で蘇生を行っているのかは不明だが、これはかなり異常なことらしい。

 迷宮内においてのみ蘇生が成功する理由は、ハナコが話すところによる「人体を構築する物質の種」が迷宮内においては活性化する…もしくは、迷宮内に存在する「人体を構築する物質の種」のみ、特殊な力を持っているのではないかと、考えられる。


 迷宮内において冒険者の命は、ただ一つ尊き有限のものではない。

 歪んだ死生のあり方は、冒険者として歩む生き物たちの心を少しずつ変質させていく。


 -


「死んじまったわけじゃねェんだからよォ…。ンな辛気臭ェ顔並べてんなや」


 トラップによって負った傷の治癒を終え、ようやく落ち着いたウミは、自分を見つめる面々の蒼白な顔にげんなりと首を振った。

 アザーの作った弁当をしっかりと食べて迷宮に潜ったウミは、治癒に回せるだけのエネルギーが大量に残っていた。

 そのため、限りなく致命傷に近い傷だったが、空腹と引き換えにその弾けた下顎も抉られた肩も、無事に元に戻すことに成功した。


「ほれ。この通りだからよォ、気にすンな」


 そう言って軽々と腕を回して見せるが、仲間たちにとってはそう簡単に切り替えられることではない。

 仲間が、死ぬところだったのだ。成すすべもなく。手の届く、目の前で。

 強大な敵に出会い、一歩及ばず負けてしまうとか、何かを救うためだとか、誇りのためだとか、そういうことでもなく。

 モンスターたちの餌場と化している暗い部屋で、ただ仕掛けられていたトラップを踏んだというそれだけの理由で。


「死んでねェなら別にいいって思え。ンなことだと、この先やってけねェぞ」


「でも…」と苦い顔で口を開いたカノウの言葉を、背後から響いたドンッという鈍い音が遮った。

 視線を向けると、件のトラップの仕掛けられていた部屋の中からだ。

 どうやらウミを食べ損ねたことでモンスターたちの晩餐会は凄惨な喰らい合いへと発展したらしい。扉の内から、激しい物音と共にグチャグチャという嫌な音が聞こえてくる。

 再び扉に何かがぶつかり、ドンッと先程より大きな音が鳴った。ドアノブを抑えているヨミチは「ヒッ」と悲鳴をあげると、縋るようにウミを見る。

 ウミは「待ってろ」とジェスチャーをしながら立ち上がると、大きな鉤爪のついた指ではだけた服を器用に直し、武器を差している腰のベルトの緩みをなおす。


「なんにせよ、だ。二層に降りるってしつこく言ったのは俺だ。俺の怪我で気に病むな。そのせいで探索効率が落ちるのは気に食わねェ。今日は腹ァ減っちまったから帰るがよォ、次からは治癒が間に合うようならちった無理してくぞ。メソメソすンなら俺を押し退けるくれェ強くなってくれ。ハレは蘇生を覚えろ」


 蘇生、という言葉にまたウミを除く面々が言葉を無くす。その様にうんざりしたようにウミはため息をつく。

 視線を落とすと、血に塗れた自身の服が目に入った。脳裏に、兄弟たちの返り血に濡れた、あの幼い日がよぎる。


「わ、わ、わ」


 ヨミチの慌てた声で現実に引き戻される。扉の下の隙間からずりずりと巨大なムカデが這い出してくるのが見えた。どうやら、狂乱の共食いを生き延びた最後の一匹のようだ。血と体液に塗れたムカデはウミの衣についた血の匂いに反応したようで、その首をもたげ威嚇するように毒牙を剥き出しにする。


「生き残るってのァよォ、大変だよな」


 嘲るように喉で笑い、慌てるヨミチを押しのけてムカデの頭を一息に踏み潰すと、ウミは一層へ続く階段へ足を向けた。

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