ロストがみんなをわかつまで!

藤子

一章

1.迷宮、記念すべき一歩




 右を見ても闇、左を見ても闇。視界に入る全てが、完全な黒。

 両手を目の前に翳しゆっくりと動かしてみるが、それすらも全く見えない。不思議な感覚だ。まるで自分の体がまるまる透明になってしまったかのようだ。

 顔をぺたぺたと触り、その感触から自分がしっかりと「ある」ことを確認すると、エンショウは顔を顰めてため息を吐く。


 あーあ。まったく、どうなっちまってんだ。


「……視力を失っているわけではないな」

「暗いだけね、いずれ慣れるはず」


 項垂れていると、仲間たちが近くで話し合っている声が耳に届く。

 声のした位置から考えるに、どうやら自分は彼らから少し離れた位置にいるらしい。腕を伸ばして周囲を確保しながら歩き出す。

 苔の生えた湿った壁に触れ、若干左へ方向転換。腕を上下させながらじわじわと小股で進んでいくと、下へ振り下ろした指先が、不意に柔らかいものに触れた。


 これは。


 手をひっこめ、その感触を確かめる。

 丸々としていて、暖かくて、弾力があった。布越しだったが、間違いない。本物に触れたことは無いが、間違いない。


「わ、悪い」


 エンショウは口元を抑えながら慌てて謝る。そういえば、女の子も二人、一緒にいることをすっかり失念していた。

 どさくさで女性の下半身を触るような男だと思われたくない。とはいえ、どちらに触れてしまったのかは正直、気になる。

 無論、事故だ。事故だとも。

 事故であるからこそ、しっかりと本人に謝りたいというのは当然のことだろう。そこに一切の下心はない。


「わざとじゃねぇんだよ。ほら、暗ぇからさ」


 へらっとした笑顔と共に言い訳を付け足す。すると、暗闇の中から、照れたような笑い声が返ってきた。


「エンショウくん……かな? ふふ、怖ぁいオバケかと思っちゃったぁ。びっくりしたけど、大丈夫だよぉ♡」


 高くて、柔らかくて、ころころと愛らしい。なんとも蠱惑的な響きを含んだ……男の声。


「ヨミチくんかよ。ゴメンネ」


 もう一度同じあたりで手を振ると、パシン! といい音がして丸い肉が揺れる感触と、「いたーい!」という悲鳴がした。


「やめてよぉ、せっかく大事に育てた僕のお尻なんだから……乱暴しないで?」


 暗くて見えないが、大きな目に涙を滲ませた上目遣いのうるうる顔が見えるようである。

 尻育てるってどういうこと? 水でもあげんの? と、ヨミチの声がした方に顔を向けて問い詰めていると、


「騒がないで」


 と女性の声が言葉を遮った。

 ドワーフの戦士、カノウ。真面目で頼りになる、エンショウの友人。


「とりあえず状況を整理しよう。まずは全員ここにいるかの確認からだね」


 確かに、まず人数を確認するべきだった。

 この暗闇である、はぐれたり調子を崩しているメンバーがいてもおかしくない。男の尻を叩いて遊んでいる場合ではない。うっかりしていた。緊急時のカノウはやはり殊更に頼りになるな、とエンショウは唸る。


「よし。じゃあ、点呼をとるよ。……番号!」

「「「いち」」」

「……に」

「さん……?」


 沈黙が落ちる。


「……よく考えたら誰がどこに立ってるか分からないのにこの方法での点呼は無謀だった。完全に私が悪い。名前を呼んでくから返事してね」


 カノウは、本当に真面目で頼りになるドワーフなのだ。協調性があり、思慮深く、勇気ある戦士でありながらとても慈悲深い。そして同時に……無自覚に少し抜けていて、時折こういうことをやらかす。

 数回の咳払いの後、一拍置いてからカノウは再度の点呼をとっていく。


「ウミ」

「あァ」

「エンショウ」

「うい!」

「ハレ」

「ここにいるヨ」

「ヨミチさん」

「はぁい♡」

「ハナコちゃん」

「はい」

「そして、私、カノウ。良かった、六人全員いるね」


 声に安堵を滲ませ、カノウは頷いた。


「あ、頷いてんの見えた」


 エンショウは思わず声をあげた。先程まで何も見えなかったはずの暗闇の中に、仲間たちの輪郭がぼんやりと見えるようになっている。


「そうそう。さっきハナコちゃんと話してたんだ。すごく暗いだけだから、目が慣れてきたら問題なく行動できるだろうって。ウミなんかは目がいいからもうだいぶ見えてきてるんじゃない」


 リザードマンのウミは、こめかみの当たりからうなじにかけて棘が生えているため輪郭だけですぐにこれだと分かる。ウミは周囲をぐるりと見渡すと、「まァ、見えるな」と答えた。

 引き替え、人間であるヨミチとハナコ、分厚い瓶底メガネをかけたフェアリーのハレは暗順応に苦労しているらしく互いを見つめて必死に目を凝らしている。

 ほとんど人間であるとは言え目のいいホビットの血の入ったエンショウは、彼らに比べたら見えている方なのだろう。


「迷宮に入る度に毎回こうだと、少し考えなきゃいけないわね」


 ハナコが、長身を屈めてヨミチの顔を至近距離で見つめながら、うんざりしたように言った。


「っていうか、やっぱり迷宮の中なのかココ」


 ハナコの言葉を受けてのエンショウの言葉に、カノウは「そこだよね……」と呟く。


「状況整理を続けよう。まず大前提として……私たち、迷宮の入口からちょっと入っただけだったよね?」


 体格も身長も様々な五つの影がそれぞれに大きく頷いた。


「入っただけだよぉ。本格的に迷宮に潜る前に、なんか空気感とか知っておきたいね〜ってみんなが言うから、仕方なぁく少し入って、すこぉし歩いただけ」

「一番後ろにいたワタシが入った瞬間、真っ暗になったヨ。ビックリしてみんな散り散りに動いたカラ、入ってきたところも分からないネ。暗くて見失ったヨ」


 そう。迷宮に「入っただけ」なのだ。エンショウは、ここに至ったきっかけを一つずつ思い出していく。

 初めは、他所の街から来て迷宮の場所すら知らないヨミチ、ハナコの兄妹へ、迷宮までの道案内をするというところからだ。


 そこからなぜ、こんな暗闇に飲まれてしまうに至ったのか。

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