首都ヴィレノーザ(2)

 翌日、正午きっかりにアネットが迎えに来た。

 向かう先は町はずれ、海とは反対側にある駅舎だ。その前には、既にジョルジュが到着して待っていた。いつもの灰色の薄手のコートを羽織り、スーツケースが一つだけ。ルークたちを見て、片手を上げて合図する。

 「急なことで申し訳ないですね。せめて客車は一等にしておきましたよ、経費で」

冗談とも本気ともつかない口調で言ってから、男はルークたちの反応を待たずに秘書のほうに目を向けた。

 「それでは、行ってきます。後のことは頼みます」

 「はい。行ってらっしゃいませ」

列車は既にホームに停車して、白い煙を上げている。列車を見るのは初めてのミズハが大はしゃぎして駆け出そうとするのを必死で静止しながら、ルークは、大急ぎで構内に向かった。


 これから行くヴィレノーザには、「大陸横断鉄道」の中心駅がある。大陸を南北に貫く縦路線と、東西に貫く横路線が十字に交わる場所だ。このフォルティーザは縦路線の最南端だから、ここからは北を目指すことになる。


 大陸横断鉄道は、”神魔戦争”が終わり、大小様々な二十ほどの国が集まって「国家連邦」が形成されてすぐ、それらの国々の間をほぼ十字に走るように作られた。

 中心駅のあるヴィレノーザは、かつて、この大陸では最大の勢力を誇ったフィオナ国の首都であり、人類の存続をかけて"巨人"と呼ばれる未知の種族との苛烈な戦争の先頭に立って戦い抜いたとされる都市でもある。戦争が終わって百年が経った今でも、町には、当時の戦いの痕跡がハッキリと残っている。いわば、人類の「未知」への勝利を象徴する町なのだ。

 列車は今、その町に向けて長い道のりを走り出そうとしていた。




 列車は、フォルティーザを出て丸一日以上も走り続けていた。

 「海が見えないねえ」

初日には見知らぬ乗り物に大騒ぎしていたミズハも、二日目になると少し飽きてきたようだった。

 「波の音も聞こえない」

生まれてからずっと海の側に暮らしてきた彼女は、初めての内陸の空気に困惑しているようだった。

 「不安ですか?」

 「ちょっとだけ。風が違うの、なんか…体が重い感じ」

 「ふむ」

ジョルジュは、腕を組んだ。

 「もしかしたら貴方の力は、内陸では制限がかかるものかもしれませんね。試してみる価値はあるかもしれません」

 「…ジョルジュさん」

 「おっと失礼。つい」

男は苦笑し、しかしすぐに、その笑みも表情から消えた。


 この列車の旅の最初から、ジョルジュはいつになく言葉少なだった。そもそも、支部長が本部に呼び出されるということ自体、異例のことだ。

 本部が、南の海への探検を恐れているのはよく知っている。ルークが”霧の巣”へ挑んだあの旅も、許可が降りるまでにジョルジュには随分無理言って申請を通してもらった。もしかしたら、本部に待っているのは何か、ジョルジュをしても対処の難しい話なのかもしれない。

 「ねえ、あれなあに?」

そんな二人の空気を紀にした様子もなく、ミズハは相変わらずマイペースだ。窓にぺったりと張り付いて指差している先にあるものは、何もない原っぱに散らばる、白い大きな柱のようなものだ。

 「あれは、巨人の棍棒って言われてるものだな」

 「巨人?」

 「巨大な、人の形をした生き物だったらしい。ずっと昔、人間を滅ぼそうとしてこの辺りに攻めてきたんだそうだよ。その巨人が使っていた武器。…ちなみに、巨人は倒されるとみんな消えてしまったそうだ。骨も、亡骸も残さずに」

説明しているルークの手元に、影が落ちる。

 見上げると、日差しを遮るようにして立つ半ば崩れかけた巨大な城壁が通りすぎてゆくところだった。


 その壁は、一つではなかった。その次、またその次と、石と土盛りで作られた分厚い障壁が、見渡す限りの草原に弧を描くように連なっている。

 過ぎてゆく城壁の大半は、見る影もなく壊されていた。そこかしこに壊れた遺跡や大岩が散らばり、その合間に住んでいる人間はおらず、放牧された羊の群れがところどころにポツポツと見えているくらい。

 「"神魔戦争"の時代には、この辺りは何度も戦場になったと言われていますの」

と、ジョルジュ。

 「…巨人との戦いは、その、"神魔戦争"の最後の戦いです。この国は、常に南の海からの侵略者たちに攻められ続けてきたのですよ」

だから、とルークは心のなかで呟く。

 戦争が終わり、巨人族もその他の敵も居なくなった今でも、人々は海の向こうを恐れるのだ。


 そもそも、戦争が終わったからといって、人間に害をなすような巨人や魔物が本当にいなくなったかどうかなど、誰に証明できるだろうか。また戦争が始まらないと、誰にも断言できないのだ。今のこの状態を、"神魔戦争"の時代の「終わり」と見なすことにすら反対する学者がいる。この百年の平和は、単に世界が危うい均衡状態を保っているだけの休戦期ではないのか…と。


 列車は走り続け、次第に壊れていない立派な壁が現れてくるようになった。戦争の最後まで無事に立ち残り、人の住む町を守ったものたちだ。その奥には、整然とした大都会の街並みがある。

 「さあ、そろそろですよ。あれがヴィレノーザです。」

この国の、…国家連邦の盟主たるフィオナの首都、この大陸最大の都市の一つ。

 列車は、その中心となる駅のホーム目指して、速度を落としながら滑りこんでいった。




 何年か振りに訪れるヴィレノーザは、記憶にあるよりも大きく、圧倒的に見えた。

 中心部にそびえ立つ塔は、かつての王城を改装して作られた国家連邦の本部。そして、隣接している建物が”協会”本部だ。大陸中の様々な国から訪れた人々が行きかい、通りはごった返している。歴史ある石造りの建物が未知の両脇に林立し、各国から訪れた旅行者たちの聞きなれない訛りが飛び交う。何度か来たことがあるはずのルークでさえ、久しぶり過ぎてお上りさんのような気分になってくる。

 「さあ、行きましょう」

ジョルジュだけは冷静だ。「上ばかり見ていると、穴に落ちますよ。」

 「あ、はい」

観光に来たわけではない。これから待っているのは、憂鬱な本部での査問会だ。

 「ほら、ミズハ。行くぞ」

ごく自然に少女の手をとると、ルークは上司の後について歩き出した。

 本部の入り口は、厳重に警備されていた。各自が身分証を提示し、荷物のチェック。一次滞在の許可しか持たないミズハは特に念入りに調べられたが、支部長のジョルジュと一緒なので、そう時間はかからず解放してくれた。

 「これから、お偉方と面会です。」

奥へ向かう道すがら、ジョルジュは、どこか気乗りしない口調で言った。

 「まず私が、エレオノール号の件について概要を説明してきます。あなたたちは後から呼ばれるはずですので、控え室で待っていてください」

 「…はい。」

ジョルジュは、会議室の前で足を止めた。本部づきの秘書が近づいてきて、二言、三言、言葉をかわし、ルークたちのほうに向き直る。

 「この方が案内してくれるそうです」

 「どうぞ、こちらへ。」

ジョルジュと別れ、ルークとミズハは町を見下ろせる見晴らしのよい待合室に案内された。窓辺の植え込みに咲く花々の向こう側には、戦争時代の城壁、そして、乗ってきた列車の到着する大きな駅が見えている。

 「人、いっぱいだねえ」

ミズハは、この町に来てからずっと驚きっぱなしだ。「フォルティーザの町より一杯いるよね?」

 「そうだな。」

ずっと島で両親とだけ暮らしてきた少女にとって、これだけ人間がいる風景は想像以上のものに違いない。ルークですら、あまり人と接しない海の上の暮らしに馴染みすぎて、ヴィレノーザの人混みには早くもうんざりしつつあった。


 広い部屋には、居心地のよいソファや暇つぶし用の本棚、自由に飲める飲み物などのほか、特に何もない。壁には、歴代の本部長の肖像や、”協会”の業績を示す写真が並べられ、年代ものの時計が時を刻んでいる。

 「ミズハ、ここに来る前に話してた件だけど」

 「ん?」

 「海を離れると、飛ぶのに体が重くなったりするのか」

 「んー… 試したことないから。でも風がないと、飛ぶのって大変だよ?」

少女は、窓辺に腰掛けながら言う。

 「飛び立つ時は羽ばたくけど、空に上ったら風を捕まえて滑るじゃない?」

さも当たり前のような口調に、ルークは、思わず苦笑する。

 「いや、おれは飛べないから分からない」

 「そっかー。」

 「でも、港のカモメが飛ぶところなんかは見てるから、言いたいことは分かる」

鳥たちは、つねに羽ばたいているわけではない。上空では、風に乗ってほとんど羽ばたかずに滑空する。羽ばたき続けるのにはエネルギーが要るし、風に逆らえばその抵抗も受ける。

 「海が見えないのって、初めてなの。」

ミズハは、窓の外を見渡した。「陸ってこんなに広いんだね。」

 そう、この大陸の、既に地図の作られている地域だけでも決して狭くはない。

 ただしそこには二十もの国々がひしめき合い、人は、既にこの大地が狭いと感じ始めている。




 ドアをノックする音がした。

 「はい?」

 「失礼します。」

入ってきたのは、制服に身を包んだ少女だ。十五、六歳だろうか。肩まであるカールした髪に、利発そうな大きな目をしている。腕章からして通信技師だな、とルークは思った。 

 「あの、こちらにルーク・ハーヴィさんが来ていると伺ったのですが…」

 「おれ?」

 「あ!」

少女は、嬉しそうに笑顔になり、ルークに駆け寄った。

 「はじめまして、私エリザです。エリザ・アーベント! ハーヴィ号の担当をさせていただいてます。ああ、やっぱり想像の通りだ~」

 「君が?」

ルークは驚いた。本部と通信する時にいつも話している相手とはいえ、声は知っていても顔までは分からない。いつもの声の落ち着きぶりからして、もっと年上かと思っていたのだが、想像していたよりずっと若い。この年で通信技師になるのは、並大抵ではなかったはずだ。最もそれは、対して年は変わらないのに単独で探検船に乗っているルークが言うことでもないのだが。


 エリザは、興奮した様子で一人でしゃべり続けている。

 「本部に来られるって聞いて、一度、お目にかかりたかったんです。通信機だと声だけですし。あの、すいません。いつもおまたせしてしまって。今回も、ごたごたに巻き込まれてしまったんでしょう? 大変ですね。すいません、ほんといつも…」

 「いや。その…」

なんとか喋るのを止めようと、ルークはちらとミズハのほうに視線を投げた。それに気づいて、エリザははっと口元に手を当てる。

 「あ、すいません。その、私ひとりで喋ってしまって。あの、この方は?」

 「ミズハ。例の、ハロルド・カーネイアスの娘だよ」

 「ああ! あの時の」

ぽん、と手を打ち合わせ笑顔になる。

 「はじめまして、ミズハさん。えっ…と。その、何ていうか、」

ルークに対する時とは違い、しどろもどろになっている。

 ミズハは、ひとつ欠伸をした。

 「あたし、ちょっと外見てくるね」

 「あ、…」

言い残して、ゲストルームと隣接するトイレの扉が、ぱたんと閉まる。エリザは、困ったような顔でルークを振り返った。

 「変わった人…ですね」

ルークは、頬をかく。

 「まあ島育ちだし。」

 「でも、見た目は普通ですね。その、あの方…何か普通の人間じゃないとか、噂を聞いたんですけど」

手が止まった。

 その話をエリザも知っているということは、やはり今回の呼び出しの目的は、あの少女なのか。

 「…人間だよ。確かにちょっと変わってるけど」

恐れるようなものではない。少なくとも、百年前にこの大陸を攻め滅ぼそうとしていた、巨人や魔物たちとは関係ない。

 …はずだ。




 待たされること、一時間と少し。ようやく出番が来て、ルークたちは会議室に呼び出された。

 てっきりジョルジュもそこにいると思ったのに、別室にいるという。査問会というから偉い学者たちに取り囲まれて質問攻めにでもされるのかと思ったが、待っていたのは、四人だけ。いずれも老齢に達した、雰囲気からして権威らしき学者たちだ。

 そのうちの一人は、ルークも顔見知りだった。祖母の紹介で形式的に入学した、ヴィレノーザ大学の学長だ。…といっても、通信教育で在学していたから、卒業証書を受け取りに行った時くらいしか会ったことはないが。

 「これだけですか?」

ルークは、部屋の中を見回した。

 「そうだ。座りなさい」

四人の学者たちの前に、椅子が二つ。そこに座れ、ということだ。

 ルークは、ミズハを促して自分も腰を下ろす。

 学者たちの後ろには大きなガラス窓。広い部屋は静まり返っていて、逆に緊張させられる。

 「報告書は読ませてもらった。ルーク・ハーヴィ、君の”霧の巣”探索について、質問がある。正直に答えなさい。」

端の黒縁眼鏡の老学者は、硬い口調で相手の返事も待たずに続ける。

 「君の訪れた島には、住人は二人だけだった、という認識でよいかね」

 「……。」

ルークは、思わず息を飲み込んだ。「…あの、どうしてそんなことを?」

 「答えなさい。」

 「…質問の意図がわかりません。二人では数が合いません」

 「では質問を変えよう。そこにいる少女は、ハロルド・カーネイアスと現地住民の女性との間に生まれたという。その女性とその子のほかに、住民はいなかった、という認識でよいのかね?」

核心を突いた質問だ。ルークは戸惑い、どう返事してよいか迷った。想定していたいずれの状況とも異なる。この学者たちは何を聞きたいのだろう。

 だが、彼が答えるより早く、隣のミズハが口を開いた。

 「そうよ。お母さんと、あたしと、お父さんだけだよ。」

 「おい、ミズハ…」

 「成る程。」

今まで喋っていた学者の隣の、やや若い痩せた学者は、手元の資料に何か書き付けている。

 「我々の想定した島の広さからして、住民がいたとしても最大数十人といったところだ。それより更に下回る数値ということであれば、繁殖の持続は不可能だろうが、ひとまず想定の範囲内ではある。では次の質問だ。付近に他の島は? 他の陸地の人間との交流は無いのか」

 「無いよ。たまに船が来るけど、島には近づけないし、すぐに遠くにいっちゃうもの」

 「君たちと同種の種族は近くにはいないということだね」

 「同種?」

 「君は自分の種族のことを何と呼んでいる?」

 「……??」

ミズハは眉を寄せ、考え込んでいる。「…どういう意味だろ」

 「すいません、たぶん… その辺りは、本人もよく分からないと」

 「ふむ、まあ宜しい。」

メモする学者の隣、小太りでヒゲを蓄えた学者が次に口を開いた。

 「可能性は低そうだが、敢えて尋ねておきたい。君が島から持ち帰ったものは、島の砂サンプルと、そこにいる少女、それにハロルドからの調査報告書一式、それだけだね?」

 「あの…」

じれったくなって、ルークは四人の学者たちの顔を見回した。

 「一体、この質問は何でしょうか。先生方は、何を知りたいんですか?」

 「”霧の巣”の位置づけをどうするか、その最終判断を下すための材料だ。」

口を開いたのは、ルークもなじみのあるヴィレノーザ大学の学長だった。

 「エレオノール号のことは説明するまでもあるまい。闇の海の向こうにある未知なる大陸のことを、我々は『レムリア』と呼んでいる。今後、レムリアとの関わりをどうするか。探索は行わねばならない。だが、最新の注意を払って、持ち込むものをあらかじめ検査する必要がある。”霧の巣”はレムリアに属してはいないが、"闇の海"の一区画にある。調査制限をかける危険区域かどうかの判断材料が必要なのだ。…もっとも」

老学者は、ミズハを見てにこりとした。少女は、良くわからないまま笑顔で応える。

 「その島には、危険より不思議のほうが多そうだがね。」

 「報告書にも書きましたが、あの島は並の船では近づけません。変わりやすい風と潮流を知り尽くした現地民がいなければタイミングが読めないんです。実際、おれの時も、近づくには彼女の手助けが必要でした」

 「ふむ。では、無許可で上陸する船の心配はしなくてよいだろう。ただし、世論が騒いでいる。今後は、"闇の海"全般について、今まで以上に調査制限が厳しくなることは避けられん」

そう言って、老人は指を組んだ。

 「探索だけではなく、"闇の海"の海域を航行することはそのものが制限対象になるだろう。意図せず危険なものを持ち帰らないように、という理由からな。そういうわけで、お嬢さん、しばらくは島に戻っていただくことが出来ない」

 「構わないよ」

少女は、平然という。「それに、今の話って船で帰るときの話でしょ? 帰りたくなったら、空飛んで帰ればいいよね」

 「ははは、出来るのかね。遠いよ」

 「大丈夫。海なら迷わないもの」

学者たちは顔を見合わせ何か囁き合っていたが、ややあって左端の黒縁眼鏡の学者は、再び口を開いた。

 「――ところでミズハ君、もう少し聞いてみたいことがあるのだが」

 「なあに?」

 「好きな食べ物は何かね」




 何時間も質問攻めにされ、結局、ルークたちが解放されたのは、夕方近くなってからだった。

 権威ある学者たちに囲まれるのにも、意図が読みづらい質問ばかりされるのにも疲れ、ルークとしては、一刻も早くベッドに倒れこみたいところだった。今夜の宿は、本部の客舎を借りることになっているはずだった。

 質問の雰囲気からして、学者たちは、最初からそれほどミズハを危険視はしていなかったらしい。ただ、エレオノール号の惨事と重なったことが悪かった。エレオノール号と同時期に、同じ"闇の海"から「未知の人間を」連れ帰った、というだけで、過剰に反応する学者たちもいるために、方針決定のための材料が必要だったようなのだ。

 「これは君が知っておく必要はないことだが、メテオラは、ハロルド・カーネイアス本人が帰国していないことを不満に思っている。」

解放される間際、ヴィレノーザの学長は、ルークにそっと耳打ちした。メテオラは大陸の西のほうにある大国で、ハロルドの出身国だという。国家連邦の中では、このフィオナと双璧をなす勢力を誇る。


 元々、フィオナとメテオラの仲は良くない。

 ――というより、歴史ある軍事大国として、"神魔戦争"時代に人間の住処を守るために多くの兵を戦場に送り出していたメテオラとしては、国家連邦の盟主に相応しいのは自分たちだという自負が今もあり、フィオナのやり方を嫌っているらしい。"闇の海"に対しても、もっと積極的に調査し、活動範囲を広げるべきだという強硬路線を取っている。


 いわく、「敵がいるならば打ち倒せばよい」だ。


 "神魔戦争"終結後、多くの国が軍事力を失ったままになっている現状においても、メテオラだけは相変わらず国軍を有し、新しい世界の理に法った兵器の開発に余念がないのは、そのためだ。メテオラの軍事力は、国家連邦にとって頼もしくもあり、不安の種でもある。

 しかし、再び神魔戦争の時代が再来して、未知の脅威に攻め込まれる可能性が無いとは言えない現状では、誰も表立って強く言えないのだ。

 そんなメテオラがハロルドの生家のある国だとすれば…、ミズハの立場が微妙なのも、仕方ない。


 結局その日はジョルジュは戻ってこず、ルークは先に客舎にチェックインを済ませることにした。

 数日後には、ヴィレノーザを後にする。この町でやりたいことが特にあるわけではなかったし、ミズハと同じで、近くに海が見えないのは何となく落ち着かなかった。港で一人で待っているジャスパーが、寂しがっていないといいのだが。

 「ねえ、ルー君」

ベッドに横になって天井を眺めていたルークの目の前に、隣の部屋にいるはずのミズハの顔がひょっこり現れた。

 「ノックくらいしろよ」

 「したよ。」

 「…用事は?」

 「外、探検してきちゃダメかな」

ルークは、ベッドの上に起き上がった。 

 「今日は疲れてるんだ。迷子になるだろ、一人で出かけるな」

 「えー…」

少女があまりにも残念そうな顔をするので、ルークは逆に申し訳ない気分になった。

 「…わかったよ。ちょっとだけだぞ。もう日も暮れるんだし」

 「わーい!ありがとう」

跳ねるような足取りでドアに向かうミズハの後ろ姿を見ていると、自然と笑みが零れた。不思議と、迷惑だという気持ちは湧いてこない。

 多分、アーノルドと同じなのだ。

 遠慮しない代わりに隠し事はなく、常に本音を全開にして接してくる。やりたいこと、考えていることがわかり易くて、だから、安心して応えられる。

 人見知りというわけでもないのだが、ルークはどうも昔から、人間の気持ちの機微を読み取るのは苦手だった。ずっと側に居た祖母のことさえ、理解出来ないままだった。何か言いたいことがあるのなら、言ってくれないと分からない。含みのある言葉の裏側を察することが出来ない。こればかりは、どう練習しても出来ないのだった。

 「言いたいことがあれば手をつなぎましょう」

祖母は、口癖のようにそう言った。

 「そうすれば、言葉にしないことも伝わるはずだから。」

まるで迷信のように、半ばそう信じたいと思っているかのように。だから、覚えているのは祖母の顔や言葉より、何より、潮風に灼け、固くひきしまった、手のひらの感触ばかりなのだった。


 ――今も、よく分からない。あの頃、何を口にすべきだったのか。

 あの手のひらから、一体、何を読み取れば良かったのか…。


 外にはもう、夕闇が迫っている。

 家路を急ぐ人々の中、通りには街灯が灯りはじめている。それでも通りを行き交う人の数は変わらず、商店街のある通りは買い物客で賑わっていた。さすがは大都市だ。フォルティーザなら、このくらいの時間にはもう、人はまばらになっているはずだった。


 店の並ぶ通りに入るや、ミズハは何やらそわそわしはじめた。

 「本屋さんないのかな、本屋さん」

 「本屋? 何買うんだ」

 「”流浪の騎士ヴィンセントの冒険”の新刊!」

 「……。」

確か、島からの航海中、ミズハがずっと夢中になって読んでいた小説。船旅の伴にと、何となく積んで…。確か、船出の時には三巻までしか出ていなかったが、今なら新刊が出ているかもしれない。

 「まあ、いいけどな。おれも読みたいし。」

この読書好きは父親の影響なのだろうか。


 本屋を出た時、辺りはもうすっかり夜になっていた。明かりに照らされたショーウインドウが通りを照らし、そこかしこの路地に魅惑的な光が点滅しはじめている。

 ミズハがいろいろなものに気を取られて、帰路はいっこうに進まない。

 「ミズハ、もうちょっと真っすぐ歩いてくれないか。疲れてるし、早く帰りたいんだ」

都会の夜は、わけもなく不安にさせた。人が多すぎる。それに、この町は広すぎて、道もあまり良く知らない。


 人ごみの中、帰り道を急ぐルークの肩に、どん、と誰かがぶつかった。

 「あ、すいま…」

言いかけたルークは、はっとして上着のポケットをさぐった。

 「やばい、やられた。」

 「え?」

 「スリだよ。泥棒!」

振り返ると、黒っぽい帽子の男が走り去っていくのが見えた。都会にはこういうこともある、と知っていたはずなのに。

 「くそ、小銭入れ…」

 「逃しちゃだめ!」

ぱっとルークの手を振りほどくや否や、ミズハは駆け出した。

 「お、おい!」

 「こらー、泥棒―!」

人々が振り返る。追いかけてくる少女の声に気づいて、帽子の男は速度を上げた。次々と人にぶつかり、跳ね飛ばしながら狭い路地に逃げこむ。

 「待てー、とまれえええ」

 「ミズハ!待て!」

小柄な少女は人ごみをうまく躱しながら全速力で駆けていく。ルークは必死で少女の後を追いかけるが、追いつける気がしなかった。

 見失ったら、面倒なことになる。

 「ったく、どうしてこう…」

路地裏から路地裏へ。

 スリの追跡劇は、諦めない追跡者と必死な男との間で決着がつかないまま、ついに町はずれの城壁まで辿り着いた。

 この辺りには明かりもなく、民家もない。古い時代の戦争の思い出として残された、今では特に何の役目も担っていない城壁は、半分崩れかけ、時を経るままの姿を晒している。

 逃げ場を失った男は、城壁を登りはじめた。

 「待ちなさいよー!」

ミズハも迷いなく後を追いかける。ルークが追いついたのは、ちょうど少女が城壁の半ばまで達した時だった。地上から二十メルテはある。

 「ミズハ!」

男はすでに城壁の上。しつこい少女に辟易したのか、何かを取り出し、ぽいとその場に投げ捨てて城壁の反対側へ姿を消した。やっとのことで城壁の上まで上り詰めたミズハは、男が投げ捨てていったものを拾い上げる。

 「小銭入れ…ってこれ?ルー君」

城壁の上で、何かを掲げる。

 「多分そう!よく見えないけど…。いいから、早く降りてこい! 危ないぞ」

 「うんー」

暗くて、もう足場も見えない。足を滑らせたら、怪我をせずには居られない高さだ…

 「あ」

ルークが、そう思った瞬間。もともと脆かった城壁の一部が崩れ、ミズハの体が傾いた。

 「危ない!」

彼女なら飛べるはず、――だが、海から離れた場所では、飛べないかもしれない、と…

 嫌な予感は当たっていた。ミズハはとっさに翼を広げたが、体はそのままバランスを失って、城壁から滑り落ちる。

 「きゃああ!」

ルークは無我夢中で落下地点へと駆けつけた。受け止めようと手を伸ばすが、間に合うはずがない。地面に叩きつけられた、と彼は思った。最悪の事態を予測して暗がりの中に目を凝らす。

 だが、音は何もしなかった。声も。

 「…ミズハ?」

 「ここ」

すぐ近くに、自分自身びっくりしたような顔の少女が、硬直したまま宙に浮いていた。目をぱちぱちさせ、ぎこちなくルークのほうを向く。

 「びっ…びっくりした。」

どうやら、無事なようだ。

 ほっとすると同時に、少し腹がたった。

 「びっくりしたのは、こっちだ!無茶するな」

 「ご…ごめんなさい」

近づこうとして、ルークは、いつもと様子が違っていることに気づいた。 

 ミズハの翼は、いつものように白っぽい輝きを帯びていない。そして彼女は、ただ浮いているだけで、飛んでいるようには見えない。周囲には、一緒に落下してきたらしい城壁のかけらが一緒に、彼女とほぼ同じ高さに浮いている。それらは、ミズハが地面に足をつけると同時に、突然重力を思い出したかのように地面に落ちた。

 「…今、何をしたんだ?」

 「えっ」

 「石が浮いてたぞ」

 「…えっ?」

ミズハは、周囲を見回す。

 「飛べなかったのか」

 「ううん…飛べる。ここでも飛べるよ。でも、風が重くて、思うように飛べないみたい」

 「今、石を浮かせていなかった? どうやったんだ」

 「わかんない…」

本人は、本当にわからないという顔をしている。だとすると、意図的なものではなく本能的な動作なのか。

 ルークは、ひとつため息をついて少女の手をとった。

 「まあいい。今度こそ、ほんとに帰るぞ。だいぶ遠くまで来ちゃったからな、道が分かるといいけど…」

 「ねえルー君」

 「何だよ。」

 「はい、これ」

少女は、笑顔で取り返した小銭入れを差し出した。

 「…ああ、そうだったな。ありがとう」

 「えへへ」

悪気がないのがわかっているから、怒るに怒れない。それにルークは、この少女に振り回されるのが嫌ではなかった。

 アーノルドに振り回されるのと同じようなものだからだろう、と彼は思った。どちらも、放っておけない感じがするのは同じだった。ただ、こちらのほうは…、放っておくと、何をしでかすのか分からない危うさも持っているが。


 それに今回のことで、以前から疑問に思っていたことに確証が持てた。

 (ミズハは、自分の力を何も知らないんだ…。)

飛べるということ、鳥の姿にも替われるということ。それ以外に一体、自分に何が出来るのかを、本人は把握していないのだ。


 だとすればこれから先、誰も意図しなかったタイミングで彼女の新たな能力が発現さることが予想される。

 ただでさえ問題を抱えているところに、それは、とてつもなく厄介なことだった。

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