第27話 軽視
オニキスと床掃除に勤しんでいると、開きっぱなしにした扉から黒い影が飛び込んできた。驚いて振り返ると、カラスのロンが、ちょうどオニキスの頭に留まろうとしているところだった。
「らいきゃく」
「え、もしかして」
「いつものさんにん」
——ルフェ達だね。フィオを呼んでくる。
オニキスから箒を受け取り、急いで掃除道具を片付ける。ぼくの肩に飛び移ったロンを見て、先にすべきことに気づいた。
「ローザさんは起こすべき?」
ロンは首をかしげてから、「ほっときゃいい」と答える。
「え、でも」
「ローザとあうなら、いまこない」
「あ、それもそうか」
むしろルフェは、ローザが寝ている時間を狙って来たのかもしれない。そう考えると、血の気が引いてくる。
「ずいぶん綺麗になったね」
戻ってきたフィオはのんびりとそう言って、果実の入った籠を下ろす。柑橘系の果実のようだ。
「これは?」
「味は知らないけど、皮が使えると思って。また間が悪い時に来たね」
「どうする? どうにかする時間もないけど」
「このまま迎えればいいんじゃない? どうにかする時間もないし」
その言葉の通り、フィオはそのまま迎えるつもりらしく、採ってきた果実に鼻をつけて匂いを嗅いでいる。一人で焦っても仕方がないので、「これって自生してたの?」と、どうでもいいことを尋ねた。
「この辺りなら、柑橘類が勝手に生えることは余程ないはず。もしかすると、誰かが植えたのかもね。ということは食べられるかも」
フィオは籠から続々と果実を取り出し、底に入っていた木の実を手に取った。それを見たロンが、嬉しそうに跳ねて褒美をねだっている。
フィオが木の実を手渡したちょうどその時、扉を叩く音が響いた。オニキスが真っ先に反応し、素早く奥の物影の中に引っ込む。
「朝早くに失礼いたします。お伝えしたいことが」
ルフェの声だった。フィオに目配せされ、扉を開けに出向く。
恐るおそる扉を開けると、大柄な男性が立ちはだかっていた。ルフェの用心棒であることは見た目だけでわかり、思わず後退るほどの屈強そうな見た目だ。しかし意外なことに、男性はぼくを見てにっと笑った。
「おはよう」
「あ、おはようございます」
男性の背後からルフェが顔を出し、「先日はどうも」と薄く笑う。さらにその背後には、小柄な男性の後ろ姿が見えた。以前連れていた男性だろう。
「彼らとは初対面でしたね。こちらはオディロン、後ろにいるのがヨルクです。何かと顔を合わせることになるでしょうから、お見知りおきを」
「あ、そうですよね。よろしくお願いします。アンリと言います」
平然と嘘をつくルフェに唖然としかけたが、まともに対面するのは実際に初めてなので、初対面の体で挨拶しておく。どうせ彼らは、ぼくのことをすでに把握しているはずだ。
「ローザは寝てる。起こす気もないけど、それでよければ」
「構いません。本日は
オディロンはルフェに続いて中に入ったが、ヨルクは外で待機するつもりなのか背を向けたままだ。扉を閉めてよいものか迷っていると、「気にせず閉めていいぞ」と、オディロンに声をかけられる。彼は人が好さそうだ。
「それで?」
「王室との件です。こちらにお招きするとのことで同意を得られたことと、いらっしゃるのが王太子妃であることのご報告に伺いました。入室する護衛の人数は二名を予定しているそうです。無論、私も同席しますが」
「そ。特に文句はないけど、何か問題でも?」
フィオはロンの羽毛を摘みつつ、つまらなさそうに言う。相変わらずの態度だが、ルフェは慣れているらしい。
「アンリを同席させるのでしょう? それは私がお勧めしたことですが、考慮すべきことはあるかと」
「どういう建前で同席させるかということ? 相手に伝える必要がある?」
「尋ねられる可能性は高いでしょう。当然の疑問ですし」
そもそも、ぼくの存在は教会にすら把握されていないのだ。口止めするための正当な言い分が必要だが、正直に伝えるのも気が引ける。
「まあそうだね。東の魔女との対面に対する特別感が薄れるだろうし、下手な言い訳は不興を買うかも。だけど、アンリを同席させるのはあなたの提案なんだし、言い訳のほうにも提案があるのでは?」
ルフェはちょっと肩をすくめ、「言い訳と言いますか」と口籠る。
「すべてとは言いませんが、事実をそのまま伝えるのが無難ではないかと。私が考慮すべきと考えているのは、教会に知らせていないことに対する言い訳についてです。私の立場上、東方教会が一枚岩ではないことを悟られたくありませんから」
「それはそうかもね。単純に心証が悪いし。でも、教会の役人だって一般市民でしょ? 結束の強さにかかわらず、流出の恐れがあって面倒だから教会にも黙っている、くらいで通じないもの?」
ルフェは苦笑し、「それでも、上層部が秘密を漏らすように聞こえますよ」と指摘する。
「ではそれも、嘘を抜きにして伝えてみる? アンリを教会のお偉方に独占されるのが勿体無いから、教会にも黙っている、とか。相手の器によっては不興を買うかもしれないけど、これなら私の我儘で済む」
その言い訳には少し驚いたが、教会に対する心証を悪くする恐れはなさそうだ。ルフェも棄却する決定打が見当たらなかったのか、返答に間があった。
「そのことに関して、はっきりとした理由を伺っていませんでしたね。もちろん、教会にアンリの存在を隠すことには同意ですし、私としても都合が良いわけですが、魔女付きの利害が魔女のそれに近いだけのことです。今さらながら、お尋ねしても?」
フィオは上目にルフェを見たが、すぐに視線を落とし、ロンの羽繕いを再開した。
「さっきのも本心だけど、あなたが思っていることと大差ないはず。アンリの存在は、もしかすると教会を脅かすものになる、かもしれない。さらに、魔女の存在価値にも疑いを抱かせかねない。特に、東方ではね。教会はアンリの処遇に困るだろうけど、血迷って消してしまわないとも限らないのでは? それは困る。アンリがいれば、私が知りたいことの手がかりを得られるかもしれないのに」
そこで微かに、ルフェの視線が揺れた。何となく気になったが、それはあまりに一瞬の挙動で、その意味を考える間もなかった。
「教会にとっては、先代の件も過ぎた話ですからね。無理もない話ですが、上層部はあなたを侮っています。異例の継承で魔女という地位を得ただけの、見た目相応の子どもなのだろうと。そして同時に、先代の失踪にも大した興味がない。ここでアンリの存在を知ったところで、その手段はさておき、隠すことに尽力しそうなものです」
フィオは微かに眉を動かし、「私についてそう思わせているのはあなたじゃないの?」と、挑発的に顎を上げる。
「お気に召しませんか?」
「いいえ。そのほうが気楽だし」
フィオはにべもなくそう言って、「これ、何かわかる?」と、果実を手に持って見せつけた。オディロンがそれを受け取り、軽く握ってみたり、匂いを嗅いだりして判別を試みている。
「ビターオレンジじゃないか? そのままでは食べないが、マーマレードに使えるぞ。薬にもなる」
フィオは「ふうん」とだけ言って、オディロンから果実を受け取る。おもむろに皮をむしりつつ、「それで、先方の用件に検討はついてるの?」と、さらりと質問した。
「いえ、ただの牽制という可能性も捨てられませんし。先ほどの話にも関連しますが、上層部が
「さすがに舐めすぎでは? 石橋を叩いても渡らなさそうな、東方教会らしくない」
「そうかもしれませんが、私から伝え聞けば済む話でもありますから」
そうだとしても、教会の仕事にしては詰めが甘いように思える。フィオも「それはたしかに」と言いつつ、釈然としていない様子だった。
会話が途切れたところで、ロンがここぞとばかりにフィオの前を横切り、彼女が剥いた果実をつついている。匂いからして酸っぱそうだったが、ロンには気にならないらしい。
「それならこちらで考えておく。ご報告どうも」
今回は本当に報告のために来たらしく、ルフェは他の話題を出そうとする様子もないまま、挨拶を述べてあっさりと出て行った。フィオに尋ねたいことがいくつかあったが、ひとまず胸を撫で下ろす。
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