第16話 人間観察

 翌朝、ぼくはさっそくキールへと向かった。本当は母を追うべきなのだろうが、泥くさい人探しを優先しても終わる気がしないので、それよりは見込みのありそうな精霊探しを優先したのだ。


 とはいえ、ろくに手がかりがない。人に訊くわけにもいかないので、街をひたすらうろうろすることになる。


 精霊の見える役人や魔術師がいてもおかしくはないし、ルフェの口ぶりからして精霊の噂もなさそうだから、教会の近くにはいないはずだ。それを言い訳として、教会から離れたところを中心に巡ってみる。


「あら、この前の」


 振り返ると、先日家を訪ねた女性が立っていた。どうやら買い物帰りらしい。「先日はありがとうございました」と、咄嗟に礼を述べた。


「誰かを探してる?」

「あ、いえ。行き詰まったので、少し街を見てみようと思って」

「じゃあ、まだ見つからないのね。ひと通り尋ねてみたの?」

「おおよそは。今のところ、手がかりはないんですが」


 女性はちょっと眉を下げ、かける言葉を探している様子だった。気遣いはありがたかったが、こちらとしても気まずい。


 何か頼れることがあれば切り換えられたのだが、まさか精霊のことを尋ねるわけにもいかない。辞去して逃げようかと思ったところで、女性が口を開く。


「実は、あの後思い出したことがあって。孤児院には魔術師になれる子どもを求める人が定期的に来るんだけど、少し前まではいたんですがって、職員が何度か言っていた記憶があるの。それは私が入ってすぐの頃の話で、しばらくしたらぱったり聞かなくなったから、これまで忘れてたみたい」

「魔術師……。それが、母と仲の良かった人でしょうか」

「もしかしたら、そうかもしれない。私が事情をわかるようになった頃には、そんな子どもがいたって話じたい聞かなくなって、不思議に思ってたのよね。私もそのうち忘れちゃったけれど」


 母と関係のある話なのかわからなかったが、興味深い話ではある。とはいえ、例の女性を追う手がかりも依然皆無に近く、ありがたい新情報というわけでもなかった。


 女性に礼を言い、街の散策に戻る。閑静な住宅街をぶらつきながら、母と仲の良かった例の女性について考えた。


 孤児院を出る前に死んだとされ、公式な記録が削除されているだけではなく、同年代の子どもには口止めが行き届いている。おまけにその女性が魔術師の素質をもっていたとなると、何もないとは思えなかった。ここでも教会が関係していそうなものだが、そうまでして存在をひた隠しにされる理由がわからない。


 小さくため息をつき、街を縦断する川を橋の上から眺める。水は澄みきっていて、流れに逆らって泳ぐ魚が光っていた。


 そういえば、妖精の泉に魚はいただろうか。そんなまるで関係のないことを、ぼんやり考える。


 ぱちりと、泡の弾けるような音がした。


「あ」


 ふと見下ろすと、男性がこちらを見ていた。河原で胡坐をかき、膝の上で頬杖をついている。古風な格好を差し引いても、ただの住人には見えなかった。


 河原に下り、恐るおそる男性に近寄ってみる。男性は特に反応せず、ぼくを目で追っていた。


「あの」


 話しかけてみても、男性は反応しなかった。じっとぼくを見つめたまま、「見えるやつはたまにいるけどな」と、ぼそりとつぶやく。


「たまに?」

「お、聞こえてるのか?」


 男性はようやく驚いた様子を見せ、品定めするようにぼくを見る。どうすべきか迷い、ひとまず男性の横に腰を下ろした。


「精霊、ですか?」


 男性が眉を寄せ、「何者?」と尋ねる。


「自分でもよくわからないんです」

「そりゃ難儀だな。どこで精霊の話を?」

「魔女から聞きました。話すと長くなりますが」

「へえ、そんなこともあるのか」


 男性は独り言のように言って、顎をさすりながら首をひねる。


「精霊探しでもしてるのか?」

「今はそうです。本当に精霊と会話できるのかを確認したくて」

「前にも会話したってことか」

「はい。この先にある森で」


 どうやら、精霊どうしで情報を共有しているわけではないらしい。あらためて見ると、その精霊の容姿じたいは人間にしか見えなかった。


「じゃあ自信をもっていい。お前は精霊と会話できる、数百年に一人の逸材ってことだ」

「あまり実感が湧きませんが。あなたも、ここで起きたことを見ているわけですか?」

「そうだな。この辺をうろつきながら、ただ見てるだけ」


 精霊はつまらなさそうに言い、川沿いの家を指さす。


「あの家の婦人、浮気してるんだよ」

「へえ?」

「いつ旦那にばれるのかと思ってるんだが、気づかないもんだな」


 精霊がそんな俗事を記録しているなんて意外だったが、それを教えてくれることにも驚いた。いや、俗事だから教えてくれるのだろうか。


「そういうのは、男性側からばれる気がします」

「浮気相手のほうは独身なんだよ。だからばれないのかもな」

「かもしれませんね。ここから見ていてわかるものですか?」

「逢瀬は丸見えだぞ。ついでに情事も」

「へえ」


 思わず精霊の顔を見たが、彼はつまらなさそうな表情のままだった。面白がっているわけではないらしい。


「そういうことを記録してるんですか?」

「別に、意味のありそうなものを選んで観察してるわけじゃない。ただ目について、退屈がしのげそうなものを見てるだけだ。そこは人間と大差ない」

「浮気現場とか」

「修羅場とかな」


 確かにこの街にいれば、その手の話題には事欠かないだろう。精霊の人間らしさに親しみが湧いた。


「てっきり、記録したことは一切教えてもらえないものだと思ってました」

「ものによるな。もっとも、俺たちと会話できる人間がいなかったから、そんな基準も存在しないんだ。でもまあ、ここから見れば誰にでもわかる浮気くらい、誰に言っても構わないだろ」


 男性がふたたび指さす先を見ると、家の窓から男女の姿が見えた。いかにも親しげで、むしろ「愛し合っている」という表現がぴったりな様相であり、夫婦とは違う雰囲気なのも見て取れる。


「長らく平和だからな。それは良いことだが、今さら俺たちの存在意義を買いかぶってもらっちゃ困る」

「存在意義って、出来事を記録することですよね?」

「まあそうだが、俺も全部は知らない。だいたい記録を聞き取る人間がいないのに、記録してどうするんだって話だろ」

「ものによっては、教えてもらえないようですしね」


 男性は鼻で笑い、「平和なうちはな」と、ため息をつくように言った。そして、あれを見ろよとでも言いたげに、例の家を顎でしゃくる。ぼくはそれに応じず、苦笑でごまかした。


「ここにいると覗きだと思われそうなので、そろそろ」

「また来いよ。話し相手は貴重だから」

「はい。動向を伺いに来ます」


 男性は薄く笑い、例の家に視線を戻した。やはり面白がっているのかもしれない。

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