第11話 黒塗りの少女
目的の家は、予想通り個人宅だった。一軒家で、立派な庭もある。
「こりゃまた、なかなかの邸宅だね。金持ちに嫁いだってことか」
ローザは感嘆のため息を漏らすが、ぼくは内心、クロエの家のほうが断然立派だと思っていた。もちろん見た目の話であり、地価については考えないこととする。
呼び鈴を鳴らすと、いかにも上品な女性が現れた。「あら」と言われたが、警戒されている様子はない。女性はしげしげとぼくを見定めながら、「どちら様?」と尋ねる。
「実は」
ひと通り事情を話すと、女性は快く家に入れてくれた。ローザは外で待っていると言うので、ぼくだけお邪魔することになる。
「ミシェルのことはよく覚えてるわ。でも、うちには来ていないの」
期待していたわけでもない。落胆はなかった。
「母が特に仲良くしていた方について、ご存知ないですか」
「特に、と言われると難しいかしら。特定の誰かと仲良くする子じゃなかったから。でもそうね……、小さい頃は姉みたいに慕っていた人がいたみたい。その頃の私は孤児院に入ったばかりだったから、相手のことをあまり覚えていないけれど」
書き写した紙を広げてみるが、覚えていないと言われては手がかりにならない。
「何歳くらい上ですか?」
「私が七つかそこらの時に十歳くらいだったから、三歳くらい上かしら。孤児院を出て行くのは十四歳前後が多いけれど、もっと早くに出て行ったはず」
「里子としてではなく?」
「里子として出て行く時はお祝いをするのが習いなんだけど、祝った記憶はないわ」
母が孤児院を出たのは十五歳。その八年前に出て行ったとなると、書き写していない部分に記載されていたのだろう。しかし十歳前後で出て行った記録があれば、周りと生年月日が異なって目立つので、目を通す過程で目に留まったはずだ。
黒く塗りつぶされていた欄を思い出す。あれは、母が出て行く八年前くらいの記録だったような。
「出て行く前に、亡くなった人がいたとか」
「そうなの? 私は覚えがないけれど、私が入るより前の話かしら」
少し引っかかる話だが、微妙な時期の話で何とも言えなかった。
***
「どうだった?」
「すこし気になる話はあったんですが、質問する相手が悪かったかもしれません。それについて知っていそうな人も教えてもらったんですが、これがなぜか、みんな教会に勤めていて」
「ふうん。今日は一旦帰ろうか」
そんなに教会が嫌なのかと呆れそうになるが、帰るのには賛成だった。
「で、気になる話ってのは?」
「母が特に親しくしていた女性がいたみたいです。三歳ほど年上で、母が七歳くらいのころに孤児院を出てるそうなんですが」
「その人は当時十歳くらいってことね。記録にあったの?」
「そこまで遡って写していなかったんですが、十歳で出て行った人の記録なんて、見かけていないはずなんですよね。それで思い出したんですけど、黒く塗りつぶされていた記録があって。職員の方は、孤児院を出る直前に亡くなったと」
面白くもなさそうに聞いていたローザが、みるみるうちに目の色を変える。唐突に興味が湧いたらしい。
「その人、その出来事は覚えてたの?」
「そんなことあったかなって感じでした。その人も当時入ったばかりで、あまり周りが見えてなかったのかもしれません」
「でもさ、黒く塗りつぶすって変じゃない? 普通、二重線くらいでいいと思うんだけど。不履行になったからって、わざわざ残した記録を消すなんて」
「それは、ぼくも不自然に思ったんですが」
他に訂正なり、消去なりされている記録を確認すればよかった。軽く探した限りは見当たらなかったわけだが、そう後悔する。
「確かにそれは気になる。孤児院が隠したがってることなのかもね」
しかしいずれにしても、母の行方を知る手がかりにはならない。このやり方では難しそうだ。
***
「そのことを教会の人間に訊いても、教えてもらえる可能性は低いと思う」
フィオは即座に事情を飲み込んだらしく、さほど間を空けずにきっぱりと言った。言われる前からそんな気はしていたが、やはり落胆してしまう。
「相手の立場と訊き方にもよるだろうけど、それがまさに隠蔽だったとしたらなおさら、とうの昔に手が回ってるはず。望みが薄いことを下手に嗅ぎまわるのは、おすすめしない」
「だろうね」
そもそも母の行方とは無関係かもしれないのだ。この件については保留しておくこととする。
「だけど、母が教会に勤めてる人のところに身を寄せている可能性は、まだあると思うんだ」
「それは否定できないけど」
教会が絡むこととなると、フィオはもちろん、ローザの助けも受けられなさそうだ。となると、一人で行くしかない。
「あたしとしては、どういう心理なのかわかりかねるけどね。頼るところも曖昧なのに、家を飛び出すなんてさ」
ローザがため息をつくように言う。呆れているような様子だった。
「いや……、ぼくにはわかる気がします。なんとなくで、説明できるほどではないですが」
「説明してほしいわけじゃないんだ。そもそもあたしは、アンリのお母さんのこと、あんまりよく思ってないんだよね。実の娘が死んだのはそりゃショックだろうけどさ、アンリを置いて出て行くのはどうなのかなって。あたしは母親じゃないから、綺麗事でしかないんだけどね」
これに関しては何も言えなかった。それを言ったらぼくだって、父を置いて家を出ているのだから。行く当てがないにもかかわらず、あの家に居続けられなかった気持ちは、きっと母の心情と変わらないはずだ。
「心理を推しはかれば、家や町からある程度離れたところに行きたいはずでしょ。距離もそれなりにあって、雰囲気がまるで違う点でキールは悪くない。望みをかけてもいいんじゃない?」
冷めた言い方だったが、これがフィオの励ましなのだろうと受け取る。とにかく、教会に行ってみるしかなさそうだ。
***
東方教会の本部は、歴史を感じる建築物の集まりだった。ほとんどは飾り気のない庁舎に見えるものの、なかには礼拝堂のような建物もある。敷地には誰でも入れるようだったが、軍人のような装備をした見張りがうろついていて、本当に入って良いのか不安になる。
とはいえ教会には、他の役所と同様に一般人も出入りするものだ。実際、それらしい人も多く出入りしており、その後ろについて庁舎へ入る。そうして入ってみれば、一般的な役所の受付と大差なかった。
ここでも、少し事情を話して「母親の知り合いに会いたい」と言えば、事務的な対応ではあったものの、警戒されることなく簡単に案内してもらえた。案内人に同行してもらって何人かと会い、母について質問する。結婚してすでに辞めている人もいたが、その場合は家の場所まで教えてもらえた。
「ミシェルのことはもちろん覚えてるよ。でも、今でも仲良くしてるような友人はいないんじゃないかな。ミシェルだけじゃなくて、孤児院を出た後に当時の知り合いに会う人は、たぶん少ないから」
母の行方について心当たりを訊くと、ほとんどがそのような返答をしたが、母と親しかった女性に関して訊いたときには、明確に回答が別れた。以前質問した女性と同じように、「年上の女性と仲良くしていた」という回答と、「知らない」、「覚えていない」という回答で二分したのだ。しかし前者の場合でも、年上の女性についてさらに質問すると曖昧な答えが返ってきた。そちらはごまかしているというより、ほんとうに覚えていなさそうな様子だった。
会うことができない人もいたが、後日会ったところで同じような答えしか期待できないだろう。ひとまず質問できた相手をまとめてみて、奇妙なことに気づく。
母より年上の人ほど、「年上の女性」について「わからない」と答えていたのだ。当時母が七歳前後であったことを考えると、母と同じかそれより年下の人であれば、覚えていないのも仕方がないことに思える。しかしそちらのほうが、曖昧ではあっても覚えていたのだった。
母より数歳年上なのだから、当然「年上の女性」と同じ年ごろの人もいる。一緒に生活したはずの同じ年ごろの相手で、しかもかなり早く孤児院を出るという印象的な人物を、全く覚えていないというのはあまりに不自然だ。
首をひねっていると、「何か探し物かな?」という声が聞こえた。
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