第六章-2

 リエはギュッと目をつぶり、死の衝撃に備えた。

 だが、あの鋭い牙が身を貫くことはなかった。その代わりに、身体がぐるぐると回る。上を向いているのか下を向いているのかすら分からず、リエは目を回して吐きそうになる。

 固い岩にぶつかった。濡れている。酷い悪臭でおえっとなり、鼻と口を手で覆う。

 リエは目を開いた。

 墨を流したかのような、真っ黒な水。太陽が見えない灰色の空。常闇だ。

 白い岩の上にリエは倒れていた。弓は右手で握りしめている。帯には火の箱もある。背中の矢筒に手を伸ばすが、そこに矢は無かった。

 辺りを見回す。黒い水面に、何か漂っている。暗くてもよく目立つそれは、金色のウロコだった。

 リエは手を伸ばし、ウロコを手にとった。手の中で、ウロコは溶けていき、金色の水になって流れ落ちた。

 水面には、金色のウロコの他にも、ボロボロの牙や泥が流れている。

(どういうこと?)

 リエが首を捻っていると、水面がボコボコと泡立ち、無数の頭の形をとり、オボロサマと叫びだす。

 その泡の下から、水面を割って、オボロが現れる。山のように大きく、強烈な悪臭を放つ。

 リエは唇を噛みしめる。

(さっき戦ったオボロは、ハリボテだったんだ。私をここに連れてくるための、ただの道具だ)

 オボロは、甲高い笑い声をあげた。ゆっくりとリエに近づく。

(何かない? 矢は落ちてないの?)

 リエは一縷の希望を持って、水面に目をこらした。しかし、泡が邪魔でよく見えない。

 だが、少し離れた場所にある岩に、骨が引っかかっているのを、リエは見つけた。

 帯から箱を外し、蓋をしっかり閉める。そして、弓と一緒に頭の上に持ちあげる。そして、水の中に足から飛びこんだ。顔だけ水面から出し、次の岩まで全力で泳ぐ。

 泡は、オボロサマと叫んでいるが、リエの邪魔はしてこない。リエはどうにか岩まで泳ぎきった。

 オボロの方を見る。もうすぐそこまで来ている。

 リエは骨を手に取った。とても細く、矢の代わりになりそうだ。箱に差しこむと、先端に火がついた。すぐに弓に装填し、オボロに向けて放つ。

 火守の里が用意した矢と違い、骨は古く、もろかった。飛んでいる間に壊れ、破片が水面に落ちた。

 その瞬間、水面に火が灯った。

 骨の破片が落ちた場所から、瞬く間に火が広がる。黒い泡を飲みこみ、水面を滑るかのように燃え、リエとオボロを隔てる屏風となる。

 オボロが怒りの雄叫びをあげ、水面を大きく揺らす。黒い波が発生し、火を飲みこむ。

 リエは次の岩へ行こうと、水面に飛びこむ。だが、水面が揺れていて、思うように泳げない。頭上にある箱と弓を流されないようにするだけで、精一杯だ。

 足が何かに触れた。その正体を確かめる間もなく、身体が下から持ちあげられる。

「リエちゃん! 大丈夫?」

 リエは、くじらの背の上で、尻餅をついていた。ヒナリは、オボロが起こした波など苦にもせず、黒い水面でとどまっている。

「リエ! 大丈夫か!」

 ソラがヒナリの背を駆け、リエの元へ走ってくる。

「ありがとう。大丈夫だよ」

 リエはしっかりとした足取りで立ちあがる。

「矢は?」

「なくした。でも何とかなる。ソラ、あの岩まで行って」

 リエは帯にもう一度箱を吊るすと、ソラの背中に乗る。ソラはすぐに岩へ向かった。リエは骨を拾った。曲がっていて、弓に装填できない。リエは火をつけるとすぐに投げた。水面が再び燃えひろがる。

 リエが何をしたいか理解したソラは、次々と骨が落ちている岩へ飛びうつった。リエは骨、布切れ、板切れ、とにかく掴めるもの全てを掴み、火の箱に突っこんで火をつけ、投げた。

 オボロが雄叫びを上げた。その口から、何かが飛びだす。腕かと思い、リエは姿勢を低くした。

 だが、それは腕ではなかった。空高く翼を広げて飛ぶ、巨大な鳥だ。何十、何百、何千もの鳥がオボロの口から飛び立ち、矢の雨のごとく、リエの方へ飛んでくる。

「こっち!」

 すぐ後ろまで泳いできたヒナリが、叫んだ。ソラはヒナリの背に飛びうつった。

 悪臭が漂う空気に、潮の臭いが満ちる。真っ黒な巨鳥は、リエ目掛けて飛んでくるが、空中で突然、見えない壁にぶちあたり、弾きとばされる。だが、鳥は怯まない。何度も、何度でも、ヒナリの結界にぶつかる。

「どうする?」

 ソラが言った。鳥は絶え間なく降り注ぎ、まるで黒い豪雨のようだ。結界から出た途端、一気に鳥が襲いかかるだろう。対するリエは、置物と化した弓と、火の箱だけだ。

「霊道は?」

「試しているが、無理だ。入口が全部塞がれている。常闇から出られない」

 ヒナリが呻き声をあげる。

「水の中からも来てる! 二人とも、逃げて!」

 リエはぐっと腹に力をこめる。

「ソラ、走って!」

 ソラは駆けだす。

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