第二章-3

「ど、どうすればいいの? 私は、どうすれば」

「……とりあえず、何か食べない? ここは結界がはってあるから、化け物は入ってこないし、安全だよ」

 彼女は、砂に半分埋れている木箱の蓋を開けた。ゴソゴソと中を探り、箱の中から丸いものを入れたかごを取りだした。それをリエとソラの前に置き、蓋を開ける。

「まんじゅう、食べる? 陸の生き物も食べられるはずだよ」

 その『まんじゅう』は、青く透明なお菓子だった。中には無数の泡が閉じ込められている。リエが知っているまんじゅうとは全然違う。

 ソラは臭いを嗅ぐと、ムシャムシャと食べ始めた。

「ん、うまい。お前も食べてみろよ」

 あっという間に一つ目を平らげるソラ。リエはそっとまんじゅうを手に取った。感触は湿っぽく、もちもちしている。意を決して、一口かじる。

「あっまい……」

 甘い。とにかく甘い。濃く甘い泡が口の中で弾け、ホロホロと崩れていく。

「泡を閉じこめて作るんだ。竜宮でとれる、特別な泡だよ。とっても甘いの!」

 一度食べ始めると、自分がどれほど疲れていたか、腹を空かしていたかに気づく。リエは夢中で食べた。あっという間に、かごからまんじゅうが無くなる。

「ねえねえ、二人は名前、何て言うの? 私はヒナリっていうの」

 ヒナリは尋ねた。

「私はリエです。この狼はソラ。まんじゅう、ありがとうございます」

「ソラちゃんとリエちゃん、ね。私はヒナリっていうんだ。ですますなんて言葉、使わなくていいよ。私達、年も同じくらいでしょ」

「ヒナリ、ここはどういう場所なんだ? 海の中で空気が吸えているし、常闇の化け物も来ない。こんな場所、見たことも聞いたことが無いぞ」

 ソラは尋ねた。すると、待ってましたと言わんばかりに、ヒナリはにっこりと笑う。

「ここはね、私の秘密の庭なんだよ。私が術を使って作ったの」

「ジュツ? なにそれ?」

 リエは聞きかえした。初めて聞く言葉だ。

「元々、ここは水でいっぱいの、何にもない洞窟だったんだ。でも私、陸の世界を作ってみたくて。それで洞窟に空気を呼んで、閉じこめたの」

(空気を呼ぶ……?)

 リエにはさっぱり分からないが、何かすごいことをしたことだけは分かる。

「それでね、陸にこっそり上がって、石ころや土や草を持ってきてね、飾ってるの。化け物や悪霊に荒らされないよう、結界もはってる」

「そりゃあすごいね! それで、常闇の呪いを解く方法は?」

 リエは尋ねた。ヒナリの顔が、途端に苦いものに変わる。

「その、ね。分からないの。今のところ、無い、と言われてる」

「竜宮では、あ、竜宮ってのは私が住んでる所なんだけどね。そこでは、化け物を見つけたらすぐに兵士を呼ぶという決まりになってる。呪われたら最後だから、その前に倒すんだよ……ただ」

「ただ?」

「お父様なら、何か知ってるかもしれない。呪いの解き方を」

「本当に?」

 リエは、身を乗りだした。

「呪いを解いたっていう話も、無いわけじゃないの。ただそれは何百年もことで、詳しいことは私も知らない。でも、お父様は長生きだから、何か知ってるかもしれないよ。お父様に会ってみる? あんまり、期待はできないけれど……」

「会う!」

 ヒナリは砂に埋もれた箱から、小さなコップと皿、瓶を出した。瓶の中身をコップと皿に注ぐ。コップをリエに、皿をソラに差し出す。

「これを飲んで。海の中でも息ができるようになる」

 見た目は無色透明、水のように見える。飲んでみても味はしない。身体に何も変化はない。

「飲んだね? なら、私と一緒に来て」

 ヒナリは水に飛びこんだ。リエは水際ぎりぎりまで近づく。水面は常闇のように黒々としており、何にも見えない。

「どうした? 怖いのか?」

 リエは答えられない。水面を見ていると息が苦しくなってくるのに、水面から目を離せない。

「大丈夫だ。俺がいる。何があっても助ける。飛びこめ、大丈夫だ」

 それでもリエの足は動かない。

(分かってる。分かってるよ、危なくないって。これはただの水だよ)

 自分に言い聞かせる。しかし、息は苦しくなり、視界は暗くなっていく。

「おい」

「わ!」

 心臓が跳ねあがる。その拍子に、足がよろめき、リエは水の中に落ちた。無我夢中で手足を動かす。

「落ち着け。大丈夫だ。息もできるし、お前は泳げるだろう?」

 後から落ちてきたソラに言われ、リエはようやく我にかえった。水中だが、ヒナリの薬のおかげで息はできるし、泳げる。

「急にびっくりさせないでよ!」

「すまん、そのつもりは無かったんだ。あ、おい、下を見ろ。すごいぞ」

 リエは下を見た。そして思わず、歓声をあげる。

 無数の光の粒が、海中を舞っている。

 きらめく無数の光の粉。蛍のように漂う丸い光。白色、赤色、青色、不可思議な色があふれている。

 リエのすぐ前を、小魚が横切る。虹色のウロコと、透明の長い尾ひれを優雅にひるがえし、どこかへ泳いでいく。

「ねえ、こっちだよ」

 ヒナリの声が聞こえる。しかしどこにも姿が見えない。きょろきょろと辺りを見回していると、足元から水流が巻き起こり、光を遮るようにして、巨大な影が動く。

「こっちこっち、見える?」

「もしかして……ヒナリなの?」

「そうだよ。私はね、クジラなんだ。こっちが本当の姿なの。びっくりした?」

 リエからすれば、びっくりなんてものではない。

 大きい。あまりにも大きい。

 今まで見た一番大きな動物はソラだった。しかし、クジラは彼の何倍もある。頭は見えても、尻尾の先は全然見えない。

 そもそも、ついさっきまで人間の姿だったのに、どうしてクジラになったのか、それすら分からない。

「じゃあ行こうか。ついてきて」

 ヒナリはヒレをパタパタ動かすと、ぐるりと身体をひるがえし、光が溢れる深海へ泳いでいく。リエとソラもあとを追う。

 泳いでいるリエ達の周りに、たくさんの魚がやってくる。紐のように細長い魚、鋭いツノを持つ魚。半透明のふわふわと漂う、何か。

「みんなびっくりしてるね。生きてる陸の動物、見るの初めてだもんね」

 銀色の魚が、リエの近くに泳いでくる。

「こんにちは」

 挨拶すると、魚は嬉しそうにリエの周りをくるくる回った。リエは少し笑う。

 辺りは一層明るくなる。緑と紫の海藻の森を泳ぎ、岩の下を通りぬける。

「私ね、陸の世界に行きたいんだ」

 唐突に、ヒナリが言った。

「陸?」

 ソラは聞き返す。

「そう。陸よ。ここは綺麗だし明るいし、住み心地もいいけど、私は陸を旅したいんだ。青い空とか、風とか、森とか、四つ足の動物とか、人間とか。だから私ね、人間に化ける術を覚えたんだ。さっきの人間の姿、完璧だったでしょう?」

「うん。全然分からなかった」

 リエがそう言うと、ヒナリは笑った。

「本物の人間に褒めてもらえると、自信がつくねえ。さて、そろそろ、竜宮の入り口だよ」

 強い光に、リエとソラの目がくらむ。

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