第15話 境島署のいちばん長い日13

「だけど課長、あれがドラゴンってのはわかったんですが、ドラゴンって今までもいましたよね? 竜騎士隊のやつとか、遊覧飛行のとか」


 車を運転しながら、生安係長の有川警部補が後部座席に乗る足柄にミラー越しに尋ねる。


「ああ、竜騎士隊の曲技飛行隊(ブルーサンダーズ)とかのな。あの竜はな、厳密にいえば竜じゃない」


 ガーランド王国には飛竜に乗り、様々なパフォーマンスをする竜騎士隊の集団がいる。彼等はガーランド王国内のアミューズメントパークに所属し、毎日観客たちを楽しませている。なお、特別区上空からは特別な許可が無ければ出ることはできない。


「亜竜だよ。品種改良されたトウモロコシや麦みたいなもんだ」

「トウモロコシ……ですか」


 足柄は窓の外に広がる黄金色の麦畑を見つめながら言った。


「原種の麦やトウモロコシは食えたもんじゃないだろう? それを大昔の人は品種改良して食べやすくしたわけだ。ドラゴンもそうだ。俺が聞いた話じゃあ、発掘した原種の鱗や牙から色々な生き物をかけ合わせて生まれたのが、御しやすい亜竜らしい」

「家畜の歴史みたいですね。それ」


 その言葉に足柄は大きく頷いた。


「まさにそれよ。原種の龍なんぞ、俺の曽爺さんかその又爺さん辺りでも見たかどうかさ。昔、ユリウスのご先祖たちが邪龍の王、炎龍を討伐した伝説があるが、その炎龍に連なるものが原種の龍だって説もある」

「つまり……どういう事です?」

「……俺らの手には到底負えない未知のものだって事だよ。どこかの身の程を弁えないバカがパンドラの箱をぶっ壊しちまった」


 足柄が後部座席の窓を開ける。何処かで籾殻を燃やしているのか、草いきれの香りに混じった焦げ臭い風が、車内を吹き抜けた。


  ̄ ̄ ̄ ̄

「何とか終わりました」


 地域課のデスクの上に、但馬が集められたICレコーダーを並べた。ユリウスは更にべったりと甘え始めたちびドラゴンに顔中を舐められているままにしている。


「お疲れさまでした。後は——」


 杉本地域課長が並べられたICレコーダーを見つめる。

 いつの間にか、地域デスクには地域課の勤務員が殆ど集まっていた。


「誰がこれを運ぶかです。この音声をPCの拡声器で流し、対象を特別区ギリギリまで誘導する。それが、足柄生安課長からの最も効果的な案です」


 子供の声を聞いた母親は、十中八九現れるだろう。特別区内の猟友会がこちら側で活動できない以上、そうするしか方法が無い。と言うのが、足柄の弁であった。


「かなり危険な役目です。もしかしたら、殉職もあり得るかもしれない。正直申しますと、私は部下の誰一人として、こんな危険な役目に晒したくはありません」


 常に冷静に現場の状況を判断し、地域課員に指示を出す杉本だが、最後の方は何かに耐えるかのように震えていた。


「……あの、私に行かせてください」


 重苦しい沈黙の中、そろそろと手を挙げたユリウスに全員が注目する。


「ガーランド君……君はまだ……」

「いえ、私がこの子をここに連れてきた事が発端でもあります。それに、私は警察官ですから。危険は承知の上です……うわっぷ」


 抱えたちびドラゴンに顔を思い切り舐められて、良いセリフが台無しである。それを見た他の警察官も緊張が解けたかのように笑った。


「おいおいおいおい~。現場行ったのは俺もなんだぜ? 後輩にばっかいい顔させられねえだろ?」

「おわっ、犬飼部長……いだだだだ!」


 いつの間にか後ろから来た犬飼がのっしりとユリウスの方に腕を回し、ぐりぐりと拳を頭に押し付けた。

 すると、ずっと黙っていた但馬が笑いながらひらひらと手を振った。


「まあまあ、ユリちゃん。若いもんばっかに危険な事はさせられないっしょ。課長、私が一台運転しますよ」

「但馬班長。宜しいのですか」


 杉本の言葉に但馬はいつも通りの飄々とした笑みを浮かべて言った。


「いいのいいの。一回さあ、こういうのやってみたかったんだよね。ねえ? 毒島ちゃん」

「マジでやったらタイヤが死ぬんで程々にしてくださいよホント」


 但馬はA級ライセンスを取得しており、サーキット訓練や交通パトカー走行競技大会でも全国レベルの腕であった。


「でも、但馬班長……」

「だってユリちゃん、署の車庫のバック駐車でさえ超苦手じゃん。運転なら得意なおじさんにまかせなさい」

「うぐ……」


 戸惑うように但馬の顔を見るユリウスに、但馬はにかっと笑いながら辛辣に言い放つ。確かに、ユリウスはセダンタイプのPCの運転が苦手である。


「俺も行きます。犬飼と俺なら多少事故っても頑丈ですし平気ですよ」

「いざとなったら窓も天井もブチ破って逃げられますから」

「……課長。私も同行します」


 毒島と犬飼の言葉の後に手を挙げたのは、ユリウスの同期であるハーフエルフの女性警察官、エルミラ・ラヴィネだった。

 彼女は暫く別の署の捜査本部へ捜査応援に行っていたのだが、この騒ぎを聞いてすっ飛んできたのだ。


「ラヴィネさん」

「私もこの署の警察官ですから。それに、半分エルフの血が入っているので少しは風の声が聞こえます。ドラゴンが近づけば感じる筈です」


 エルフ族は風と水の民である。風や、水の中の声を聴き、天気や吉兆を予感できる。また、長い年月を経て神通力ともいえる力を得たエルフは未来を予知する事も可能だと言う。


 杉本が眼鏡の位置を直しながらユリウス達を見つめた。


「……分かりました。地域は2車のPC をメインに動きましょう」


 杉本は素早く、的確に指示を出し始めた。境島1には但馬、ユリウス、エルミラ。境島2には毒島と犬飼である。その他の勤務員は今ある車両でバックアップ体制を取る形になる。


「交通規制の方は交通課総出で既に敷いてもらっていますので問題ありません。なので今地域課にある全車両と小型自動二輪(ビジバイ)で何とか対応して頂く形になりますが……」

「杉本」


 杉本の後ろから低い嗄れた声がかかった。


「刑事課長」


 杉本が振り返ると、黒柳刑事課長を筆頭に刑事課員全員が集まっていた。


「コイツらもウチの車両も全部好きに使え。人手は多いに越したことは無い」

「しかし……課長は」

「俺もこいつらと一緒に捜査車両で出る。お前が現場指揮を執れ。いいな。管轄やら本部は気にするな。そっちは俺と副署長で何とかするからよ。お前は状況判断と指示だけに全力を注げ」


 黒柳が杉本の肩を叩く。この未曽有の事態に指揮系統を混乱させてはならないと、百戦錬磨の刑事課長が、全ての指揮権を地域課長に譲る。それは彼の事を偏に信頼しているという事に他ならない。

 眼鏡の奥の瞳がほんの少し揺らいだ後、杉本は深々と頭を下げ、「ありがとうございます」と短く答えた。

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