第9話 村の真実

 ふたりで溶けかけのチョコレートを食べると、冷静に考えられるようになる。疲れたときは甘いものに限る。

「香山は助けてくれたんだ」

「僕は香山君に襲われた。薬嗅がされてるし」

「説明する暇がなかったそうだ。まずは村の風習について説明しなくてはいけないね」

 クリスは大きな井戸を眺める。使われていない証拠に、蓋には埃が被ったままだ。

「儀式に使用されていたのは、この井戸だ」

「大きな穴じゃなく?」

「元々は大きな穴だった。埋めても埋めても埋まらないなら、いっそ穴を利用して井戸を作ったという話になったらしい。万が一人が落ちてしまった場合の対処も考えて、秘密の抜け穴を作った。抜け道を知っている人も多くはないらしい。黄泉の入り口を塞ぐために、生きたまま人を投げ入れていたんだ。生贄として捧げていた」

 なんて恐ろしい儀式だ。そんなことをして黄泉の門を塞げると、故人たちは本気で考えていたのだろうか。

「千夏は薬で眠らされた後、香山が抱きかかえてここまで運ばれた」

「どうして僕が?」

「……君が風習の犠牲になりそうだったから。生贄として捧げようと話が出ていたらしい。俺は役所へ行って、数十年間の事故や事件について調べていたんだ。そしたら、こんなへんぴな村で十人近く行方不明者が出ていた」

「まさかそれって……」

「想像でしかないよ。見たわけじゃない」

 そうは言うが、クリスの表情は固い。

 僕がその数十人の行方不明となるのだとしたら。

 足下からひやりとしたものがきて、クリスの肩に頭を乗せた。

「こちらの素性を話す代わりに、近江さん……香苗から儀式について教えてもらった」

「呼び捨て……そんなに親しくなったんだ」

「親しくもなるよ。彼女は俺の姪っ子だからね」

「え」

 彼を見るが、冗談を言っている顔ではなかった。

「姪っ子? どういうこと?」

「俺の母親が日本人なのは知ってるね? 自分を知るためにもどうしても母の生まれを知る必要があった。母さんは絶対に口を割らないから、父さんにこっそり聞いたんだ。最初は話したがらなかったさ。駆け落ち同然で母親が村を出て、父と一緒になって俺が生まれたなんて、幼かった俺に話せないのも分かる」

「近江さんって、なんとなくクリスに似てる気がしてたんだ。偶然じゃなかったんだ」

「偶然を装った必然さ。香苗は母の妹の子供だ。香苗が村長たちを足止めしていて、香山が俺たちを逃がす準備をしている。秘密を知ってしまった以上、ここは危ない」

「香山君は知らないんだよね? 儀式のこと」

「いや、知っていたよ。だからこそ香山はここから出られない。せめて俺たちを逃すって約束してくれた」

「クリスは、近江さんが姪っ子だって会ったときから分かってたの?」

「名字を聞いて、もしかしたらと思っていたんだ。母方の姓は知っていたからね」

「そうか。ペンネームのクリス・Oって、近江のことだったんだ」

 扉の前に人の気配がした。

 クリスはとっさに僕を庇うが、入ってきたのは香山だった。

「今なら出られる」

 言葉短めに言うと、クリスが立ち上がったので僕も後に続いた。

 出てから気づいたが、ここは開けようとして止められた部屋だ。何かあると思っていたが、儀式の穴に続いていたのだ。

「裏口に向かうぞ」

 鳥居のある玄関ではなく、逆方向へ歩き出した。

 誰かと会うかとびくびくしていたが、人は出払っているようで僕たちの足音だけが響く。

「床板はわざとこういう作り?」

「そうらしい。秘密の多い建物だからな。足音で誰が通ったか分かるようになってる」

 香山は小さな黄色い花の襖の前で止まる。これは弟切草だ。

 僕たちが宿泊した部屋と似た造りで、襖を開けると玄関、そして二つ目の扉がある。

「靴は脱がなくていい。ここが秘密の部屋になってんだ」

 中は和室ではなく、さらに鍵付きの扉がある。香山は鍵を差し込み、解錠した。

「外に繋がってたんだ……」

 表の駐車場ではなく、まるっきり裏側だ。山に整備されていない道路があり、白いワゴン車が停車している。

「下まで送ってく。お前らの荷物は後ろに積んであるから、早く乗れ」

 クリスはおろおろする僕の背中を押した。

 香山を信じていいものか。過去の記憶がいまいち信用にかける。

 それでもクリスは信じている。僕はクリスを信じればいい。

「こんなことで許してくれって言える立場じゃねえけどよ、尻拭いさせてくれ」

「尻拭い?」

「香山はさ、ずっと後悔してたんだって。中学生の頃に君に嫌がらせしていたこと」

「クリスにも散々言われて殴り合いの大喧嘩したこともあった。それでも俺は止めなくて、お前は学校に来なくなった。結婚して子供が生まれて、それで自分の過ちに気づいたんだ。勝手な尻拭いであのときのことはなかった話にできねえけどよ、せめて命は助けさせてくれ」

「……………………」

 嫌がらせはなかったことにはできない。けれど香山の力がなければ脱出できないのも事実だ。返事は無言で返した。

 車に揺られるたび、崖から落ちるのではという不安に駆られながら、少しずつ下へ進んでいく。

 信号が見えるとようやく生きている実感が沸き、クリスも安堵の息を吐く。

 あとは信号に引っかからず、岩手の一番大きな駅に着いた。駅前ではバスやタクシーがごちゃ混ぜになって動いている。

「餞別」

「悪いな。香苗たちにもよろしく伝えてくれ」

「ああ」

 クリスはチケット二枚を受け取る。

 香山は僕を一瞥するが、何も言わずに前を向いた。

「幸せになれよ」

 それが最後の言葉だった。

 ワゴン車が見えなくなるまで見送ると、クリスは行こうと背中を押した。

「俺たちの関係、香山にバレてたみたい。そりゃあお揃いのネックレスしてたしね」

「関係? なんのこと?」

「え? 恋人同士だってことだよ」

「……………………は?」

「あーあ、ツキノワグマにも座敷わらしにも会えなかったなあ」

「ちょっと待って、なんでそういうことに」

「恋人同士でしょ? 君は俺に好きと言った、毎日みそ汁を飲むと言った、一緒にお風呂にも入った」

「あれってそういうことだったの?」

「……もしかして千夏はそんなつもりじゃなくて告白したの?」

 なんとも悲しげな声だ。

「そんなつもりで告白したけど……吐きながらだったし」

「一生の想い出に残るじゃん! そうと決まれば引っ越ししなきゃ。君が俺の部屋に来るといいよ。部屋余ってるし」

「今もそんなに遠くないけど……」

「それじゃあ毎日みそ汁飲めないじゃん」

「みそ汁で思い出した。プリン食べ損ねた……」

「そんなのいつでも作れるじゃん。任せて」

「みそ汁より、プリンの方が好き」

「OK!」

「エビフライは醤油で」

「いや、タルタル」

 これはひと悶着ありそうだ。

「好きだよ、千夏」

 子供っぽい、照れたクリスの顔は初めて見た。

 吊り橋効果、とは本当に存在した。

 村へ行く前よりも今が愛しく感じている。

 あのとき味わった恐怖は、トラウマになるかもしれない。

 それでもクリスと一緒なら、乗り越えていける気がする。

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