第36話 薬の男と路地裏の戦い
薬の男は余程自信があるみたいだ。
逆に言いたい。五秒もあれば終わらせられる。
今のルディは、あの時の百倍は強い。
「ハァッ!」
身体を軽く揺らしながら、攻撃のタイミングを計ると、一気に左足を踏み込んで、右拳を突き出した。
真っ直ぐに突き出した右拳が、俺よりも僅かに身長が低い、薬の男の腹のど真ん中に向かっていく。
「遅っ」
「なっ⁉︎」
そのまま直撃すると思った瞬間、右腕を何かに掴まれて、見ている景色が高速で変化した。
奇妙な浮遊感を感じながら、星が輝く夜空を見上げていた。
そして、何が起こったのか理解できないまま、背中を地面に強打した。
「ぐっ! くっ、ぐぅぅぅぅ~~、くっ!」
そのまま背中を打つけながら、地面を数回飛び跳ねていき、数秒後にやっと停止した。
(……何をされたんだ?)
背中に痛みはほとんど感じない。まあ、身体が頑丈だから当たり前だ。
でも、気がついたら仰向けになって地面に寝ていた。
上体だけを起こして前を見ると、十メートル程先に、マイクの近くに立ったままの薬の男が見えた。
状況だけで判断すれば、凄い勢いで軽い荷物のように、水平方向に投げられたみたいだ。
「まさか、嘘でしょう?」
立ち上がって、服に付いた泥を叩き落とす。
ゲロが付いていたら脱ぎ捨てていた。
俺と薬の男の体格は同じぐらいなのに、そこまで圧倒的な力の差があるはずがない。
ちょっと油断してしまっただけだ。
両腕を回しながら、こっちを見ている薬の男に近づいていく。
よし、準備運動終わりだ。お前をブッ殺す。
「頑丈だな。殺さないように派手に転がしたのに、ケロっとしている」
「あの気持ち良いのが攻撃? 気持ち良すぎて寝てしまいそうになったよ。それに五秒過ぎたよ? プレゼントでも貰えるの?」
薬の男が呆れた感じに、両手の手の平を軽く胸の高さまで持ち上げて言ってきた。
あのぐらいの事は朝稽古で巨大熊にやられている。
そういえば、同じような投げ技を熊にもやられたような気がする。
「そうだな……帽子ぐらいは取ってやるよ!」
「くぅっ!」
薬の男は円盤のような大きな帽子のツバを右手で掴むと、思いっきり投げつけてきた。
顔に向かって、真っ直ぐ飛んで来る帽子を左横に飛んで回避する。
「っ……!」
右頬に帽子のツバが掠った瞬間、痛みが走った。刃物で切られたような痛みだ。
(帽子に刃物でも巻いているのか?)
余計な事を考える暇はなさそうだ。
目の前まで素早く接近した薬の男が、右頬を横から殴りつけるように、左拳を振り回してきた。
「フゥッ!」
「くぅっ……!」
後ろに低く短く飛んで素早く回避する。
けれども、追撃の一撃が来るのは予想できた。
薬の男は肋骨で守られていない、ヘソの上を狙って、右拳を振り下ろしてきた。
「ホラッ!」
「ぐっ!」
予想通りの攻撃を両腕の手首をクロスさせて、両足を踏ん張って、完璧に受け止めた。
男の攻撃に少しも身体を後ろに退がらせずに、そのまま攻撃のチャンスに変える。
「オラッ!」
「はっは!」
まずは薬の男の左足に、右足を素早く振り払った。
足払いで体勢を崩そうとしたけど、左足を浮かせられて躱された。
でも、それがどうした。
薬の男は十分に攻撃が届く距離にいる。
「ハァッ、ヤァッ、ハァッ!」
「はっは。頑張るじゃないか。よく狙えよ」
薬の男の顔面を狙って、左右の拳を連続で突き出していく。
左、右、左と最速のパンチが擦りもしない。
(くっ、何で当たらないんだ⁉︎ 朝稽古やっているのに!)
朝稽古を一日二時間、もう二日も頑張っている。
かなり強くなっているはずなのに攻撃が擦りもしない。
このままじゃ勝てない。殺すつもりで爪を使わないと駄目かもしれない。
「お前、身体能力だけだな。しかも動きがぎこちない。怪我でもしているのか? まあ、どっちでも関係ないけどな!」
真っ直ぐに突き出した右拳を懐に潜り込まれて回避された。
そして、そのまま腹のド真ん中に向かって、薬の男は左拳を突き上げた。
「ぐほおおっ!」
巨大な槍に突き刺されたような強烈な衝撃だ。
頭の中が一瞬、真っ白に塗り潰された。
殴られた衝撃で身体がくの字に曲がり、両足が地面から浮かび上がる。
薬の男の左拳が離れて地面に両足が着いた瞬間、衝撃に遅れて痛みが襲ってきた。
「ぐっ、ふぐぅっっ!」
「終わりだ、馬鹿野郎」
「うっ!」
ガラ空きの顔面を狙ったトドメの一撃だ。
薬の男の振り上げている右拳が見えた。
力なく、だらりと下がった両腕を持ち上げて、防御する時間はない。
呼吸が苦しく、身体が動いてくれない。
このまま殴られた方が楽になれそうだ。
「ん? チッ……」
そう思っていたのに薬の男が突然攻撃をやめて、真横に大きく飛んで距離を取った。
意味が分からない行動だったけど、薬の男の立っていた地面が突然横に切れた。
「ハッ。二人仲良く殴られたいみたいだな」
「うっ、す、すみません。もう大丈夫です」
「マイク……」
薬の男が笑いながら見ている方向には、剣を持って、ふらついているマイクが立っていた。
胃の中の物は全部出し切ったようだ。
痛む腹をさすりながら、十五メートル先のマイクの左隣まで急いで走った。
「マイク、大丈夫なのか?」
「ええ、ちょっと肋骨が折れているだけです。問題ないです」
「それは良かった」
駄目じゃん。全然役に立たないじゃん。
雑魚が一人増えただけじゃん。
「さっきの技は風魔法か? 威力はクソ弱いが実験動物ぐらいにはなりそうだな」
薬の男が上着を捲って、服の下から太さ六センチぐらいの短い金属棒を取り出した。
それを軽く振り回すと、黒色の棒が六十センチ程の長さになった。
「ルディさん、アイツは強過ぎます。逃げながら大声で叫んで、人を呼んだ方がいいです」
「そうかもしれないけど、アイツは絶対に逃したらいけないような気がする。殺すつもりで倒そう」
「それですか……分かりました!」
手加減はもう必要ない。両手の爪を伸ばしていく。
足か腕の一本でも切り落とせば問題ない。
あとは血の匂いを追跡して、隠れ家を見つけてやる。
そして、後は騎士団にお任せする。
「変わった武器だな。まあ、意味ないけどな!」
薬の男は俺の爪を見ても、まったく動じなかった。
左手に黒棒を持って向かって来た。
「俺が先に行きます!」
そう言って、マイクは薬の男に一人で向かっていった。
悪いけど、それをやらせるつもりはない。
すぐに走り出すと、マイクに追いついて、隣を走った。
「俺の方が頑丈で速い。さっきみたいに隙を突いてくれ」
「くっ、分かりました。俺の攻撃に当たらないように気をつけてください」
「問題ない。当てるつもりでやれ!」
「はい!」
二人掛かりでやっと何とか出来る相手だと思う。
本気で相手されたら、一対一だと本当に五秒で終わりそうだ。
「シャッッ!」
マイクを置き去りにするように一気に加速した。
向かって来る薬の男に激突する勢いで突っ込んでいく。
「ハァッ!」
薬の男は急停止と同時に、左手の黒棒を左から右下に向かって振り回してきた。
最初から避けるつもりはない。身体を捻って、左脇腹に直撃する黒棒を胸の正面で受けるようにした。
そして、一気に左手の爪を薬の男の左腕の二の腕に向かって振り上げた。
「シャアアッ!」
「ぐぅっ!」「ごぼぉ……っ‼︎」
俺の攻撃は薬の男の左腕を切り、薬の男の黒棒は俺の胸に直撃した。
巨大な足に蹴り飛ばされたような衝撃と共に、俺は路地裏の家の壁に吹き飛ばされた。
そのまま壁に激突して、壁を突き破って、家の床に倒れてしまった。
「がぁはぁっ!」
ヤバイ。俺も肋骨が折れたかもしれない。
「お、おい、大丈夫か? 何やってんだ? 喧嘩か?」
「うぐっ、大丈夫です。危ないから隠れていてください」
家の住民の声が聞こえる。悪いけど、修理代は払えない。
頭を振って、朦朧とする意識を急いで回復させる。
そして、離れた場所に立っている薬の男の左腕を見た。
「くっ、何であるんだよ!」
完璧に切断したと思っていた。
それなのに服が破れて、多少の血が流れているだけだった。
(ちょくしょう、化け物かよ。口の中に爪を突っ込まないと駄目じゃん)
文句を言っている暇はない。マイクが一人で戦っている。
薬の男は黒棒を右手に持ち替えて、マイクの剣を軽く受け止めると、素早く反撃している。
剣を振るたびに、マイクは手足に黒棒に受け続けている。
「うぐっ、あがっっ!」
殺すつもりはないみたいだけど、実験動物だと言っていた。
連れて行って、またおかしな薬を飲ませるとしか思えない。
震える両足で無理矢理に立ち上がると、薬の男に向かっていった。
「おいおい、本当に人間かよ!」
「うがああっ‼︎」
こっちをチラッと見た後に、薬の男はマイクの剣を受け止めながら、左膝を腹に叩き込んだ。
マイクは苦しそうな声を上げて、地面に倒れ込んだ。
折れた肋骨が身体に刺さったら死んでしまう。
「この野朗!」
「おっと……はっは。おもしれぇ奴だな。そっちの雑魚よりはよっぽど使えそうだ」
薬の男に向かって飛び掛かると、そのまま右腕の爪を薬の男に振り下ろす。
予想通りに躱されてしまうが、壊された家の住民が騒いでいる。
マイクを守って、コイツが逃げ出すまでの時間を稼げればいい。
どう考えても、もう捕まえるのは無理だ。
「だが、欲しいのはマイクだ。それも本物のマイクだ」
「だから、俺がマイクだと言っている!」
両腕の爪の攻撃を薬の男は躱しながら話してくる。
この薬の男が探しているマイクはおそらく俺だ。ゲロ吐きマイクは別人だ。
連れて行くなら俺を連れて行け、と言いたいけど、そこまでは無理だ。
友達思いの偽マイクでやらせてもらう。
「そうか。だったら少しだけ本気で相手してやるよ。〝ブリッツ〟」
「っ……!」
薬の男が右手に持っている黒棒から、いきなり雷のような青い光がバチバチと上がり始めた。
何をするつもりか知らないけど、触れると危なそうなのは分かる。
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