霊響かせるほどの威厳を以て

 景胤かげたねが決死の形相で道場の床を蹴り、奇乃あやのに肉迫する。


 奇乃は、右足で床を蹴って体を回転させて、突き出された拳を躱した。


 さらに左足を床に着けて、体を後ろに押し出す。


 景胤が無理矢理に体を捻って繰り出した裏拳が空を切った。


 左手を振り抜いた景胤は、上半身を下げて重心を堕とし、奇乃へ突進する。


 景胤の両腕は外から内へ、蟷螂の鎌を真似て奇乃を打ち狩ろうと挑む。


 その踏み出した少年の足を、ダンッ、と床を打ち抜いた奇乃の震脚が挫いた。


 踏ん張りを揺らされて体制を崩した景胤は奇乃まで一歩足りないままに転んだ。


 タタン、と両手を肩くらいに挙げて、少女が階段を跳ねるようにバランスを取り、リズムよく両足を鳴らした奇乃がくるりと回る。


 景胤の動きに紛れて、奇乃の背後に迫っていた少女は、彼女と目を合わせて驚きで口を大きく開けて鳴いた。


 タンッ、と奇乃は床を蹴って体を後ろへ跳ばし、おまけで放った震脚が少女の足を直撃して痺れさせた。


 タッ、タッ、と奇乃はスカートを揺らして右に左に跳ねる。


 そして、グッと両膝を曲げて体重を地面に叩きつける。


 左右から飛び出した二人の少年は、その振動に足を払われてすっ転んだ。


「鬼さんがいっぱいでこわいですわー。がんばって逃げますわよー」


 ちっとも大変そうに聞こえない余裕綽々な間延びした声を響かせながら、奇乃は子供たちを相手して、鬼ごっこを続ける。


 なお、事の発端は、影胤が本気で奇乃に挑みかかり、奇乃が踊るように足運びだけであしらっていたことにある。

 それを稽古に来ていた少年少女が面白がって加勢して、何時しか奇乃を捕まえる鬼ごっこにスケールダウンしていた。


「いや、子供たち相手に震脚使うとか、どうなんですよ」


 金曜のスポーツ少年団として道場の一角で開かれるこの稽古を、普段監督している充雅みつまさが引き笑いでツッコミを入れた。


 その場で二度跳躍してから、震脚を真下に落として景胤ともう一人の少年の体を宙に浮かせた奇乃は、にっこりと首を傾げて見せた。


「相手の動きを読むのも、鍛錬でしてよー。それに地に足を付けるというのは、武術の神髄の一つですわ。わたくしの震脚で揺れる床に耐えるのに踏ん張れば、足腰が鍛えられますのー」

「いや、誰一人踏ん張れてませんから」

「そこは精進ですのよー」


 奇乃はくるくると回って、池を打つ雨のように床を弛ませて、少年少女の手から自らを彼方かなつ。


「それより、わたくしのことを監視なんてご苦労ですの。景隆さんに頼まれたのでもないでしょうし、あちらに加わった方が自分の鍛錬になるのではないですの? 子供たちはわたくしがきっちり体力削っておいたできないようにいたしますわよ?」


 奇乃は顎をしゃくって、道場の中心の方を指した。

 そこでは、大人達を相手に景隆が体捌きの指導をしている。


 子供達の稽古と並行して実施されているのは、基礎の指導や健康目的の体操くらいのものだけど、基本に立ち返るのは体にこびり付いた癖を落とすのに役に立つ。


「いえ。自分で決めてやってますから。それにあなたの動きは、本当に勉強になります」

「そんなに大層なことをしてなくってよー」


 奇乃はお喋りをしつつ、自分の腰に指を引っかけそうになった少女を、至近からの震脚で腰砕けにした。


「にゃー!?」


 完全に背後を取り、奇乃の目に触れなかったはずの少女は、驚きと悔しさで、盛大に鳴いた。


 奇乃は充雅から視線を外し、両手を腰の後ろで組んでくるくると回った。


 少年たちは肩で息をしてほとんどが床にへたり込んでいて、たった一人の少女は床に打ちひしがれて拳を叩きつけている。


 ちょっと休憩かなと奇乃は思い、足踏みを止めた。


 たった一人立っている景胤も、足から痺れが全身に回って、関節が何処も彼処も笑っている。


 そんな景胤が震える指を奇乃に突き付けた。


「充雅! 見てないでその女を追い出してよ! そいつは父さんを痛めつけたんだぞ!」


 景胤の物言いに、充雅が焦り、口を開く。


 のも、待たずに。


 刀のように目を細めた奇乃が、消えるように移動し、影胤の目の前に現れて。


 デコピンで小学生の額を弾き飛ばした。


「いっっっったーーーーーーーい!」


 左手の中指一本で、首ががくんと打ち据えられた景胤は、悲鳴を道場に響かせた。


 けれど首を戻して奇乃を睨んだ景胤は、矢よりも鋭く殺気を射貫く奇乃に言葉を失って青褪めた。


「今の口の利き方は、年上の方への礼儀がなってなくってよ。それに彼はお父さんの弟子であって、貴方の配下ではありませんし、そうであっても自分の弱さの尻拭いを他人にやってもらおうだなんて、おむつした赤子でなければ三流以下のクズですの。よくよく自省なさいませ」


 奇乃の本気の叱責は、有無を言わせず、景胤を怯えさせて、頷かせた。


 鬼ごっこを楽しんで笑っていた少年達も、一人残らず恐怖で顔を強張らせている。


 少女は一人、真剣に奇乃の言説に耳を傾けていた。


 張り詰めた空気を、奇乃は肩の力を抜くだけでまた弛緩させた。


「謙虚に生きないと、結局みんなに嫌われてしまいますのよー」


 それをお前が言うなよ、というツッコミは、怖くて景胤も充雅も口に出来なかった。

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