俺と車椅子と異能と病弱

幼縁会

第1話

『本日未明、三簾ビルから落下した女性従業員を救助したとして、二ツ山幼稚園に通う児童へ警察庁での表彰式がありました。インタビューによれば児童は異能持ちで落下する女性従業員を発見後、咄嗟に能力を行使して救助したとのことで──』



 茹だる熱気が天上の太陽と、蓄積された高層ビル群から放出される夏のある日。

 由良原篝は同僚との会話の種になるニュースを街頭モニターを介して聞き入れる。

 とはいえ殊更意識を傾ける程の話でもない。精々は横断歩道の前、信号が赤から青になるまでの間を埋める程度の代物。

 証拠として正面で往来していた自動車が足を止め、信号からの許可を確認すると由良原は足を進めた。


「ほら、行くぞ」


 周囲で足を止めていた人々と異なる点と言えば、彼の両手は車椅子を掴み、そこには一人の少女が腰を下していることであろうか。


「はい、おねがいします」


 由良原に促した少女はの外見は、異質。

 夏の炎天下にも関わらず、血が通っているのかも怪しい病的な白肌。身体中に包帯を巻いた痛々しい姿。彼自身には検討もつかないが、白髪のみは病院暮らしという話には不相応に艶を保持している。

 常に病院食故か、車椅子を押す手も非常に軽い。

 移動を手伝う観点だけで語れば楽でいいものの、良心が彼女の健康を不安視してしまう。


「由良原さん。通勤と散歩の時間がおなじだからって、いつもありがとうね」


 少女が振り返り、痛苦に塗れた身体には不釣り合いな微笑を送る。

 尤も、由良原は首を横に振って彼女の好意に水を差すが。


「別に、礼を言われる程のことじゃない。車椅子じゃ移動も面倒だろう?」

「そんなことはないよ。この道はいつもわたし一人で散歩してたし」

「慣れてる、ってことね」


 周囲に目を配ってみても、不便な生活を余儀なくされる彼女に手をさし伸ばそうという気配は皆無。これが既に由良原が助けているから不要、という判断の元であらば問題ない。

 しかし、ことはそう簡単でもない。


「あ、ここでいいよ。いつもありがとう、由良原さん」


 少女に声をかけられ、意識を引き戻す。

 足を止めれば、信号を渡り切った後で他の歩行者も各々の目的地へと歩を進めていた。

 由良原が少女から離れる、という可能性を思考の端にも収めず。

 そして信号さえ踏破してしまえば、通勤途中の彼と少女の道は違える。

 無垢な瞳に見つめられ、由良原は遅れて車椅子から手を放す。


「……そうだな、じゃまた」


 逡巡は僅か、手を振って車椅子の後ろ姿を見送ると由良原もまた職場へ向けて足を進めた。

 少女と初めての邂逅を果たしたのは一月前程度か。

 散歩の時間と通勤が被り、また一部に過ぎないがルートも重なることから彼女の車椅子を押すのが日課となって久しい。元来人助けを苦としない性格故に意には介さないものの、好奇の目もまた同様の時間だけ注がれている。


「お、篝じゃん。おっはー」

「あぁ、おはよう。吉良」


 背後から声をかけてきた同期、吉良もまた好奇の眼差しを注ぐ一人。

 振り返れば未だ覗ける車椅子を一瞥すると、挨拶の時と同様に軽い口調で言葉を選ぶ。


「お前さぁ、またやってんの。散歩の手伝い?」

「悪いかよ」

「そりゃぁ、悪くはないけどよぉ……ぶっちゃけ、あの子一人で何とかなるだろ?」

「……」


 肩を竦める吉良の視界から顔を逸らし、由良原は表情を険しくする。

 異能が日常化し、非日常の時代を知らぬ世代も増加している昨今。

 人を見た目で判断する、という事象が徐々に低下していると情報機関は声高に主張しているが、それは決していいことばかりでもない。

 貧乏人に募金をする者は数あれど、金持ちに募金をする物好きはそういない。

 たとえ両手が欠損していても物を自在に持ち上げることが叶うのならば、日常生活に於いて不都合は少ない。人と人が手を取り合う、などという行為を過剰に美化した者が触れ合いなどという非合理的な行為を神格化するのだ。

 そしてガワだけでも非力の振りをすれば、健常者と何ら変わらない便利さと障害者の福利を両立した快適な生活の出来上がり。


「昨日のニュースでもやってたぜ、生活保護の不正受給してた異能持ち。

 はー、俺も指の一本でもない状態で異能を持ってみたかったぜ」

「吉良、不謹慎だぞ」

「はーい」


 不真面目な声音で叱責を躱すと、吉良は頭の後ろで腕を組んで先を行く。


「ッ……」


 歯噛みするも、それで何が変わるでもない。

 心中で渦巻く黒い感情は、現代に於いては抱くことこそ少数派。自覚すらもある、由良原自身が少数の側に立つ存在なのだと。

 増して、その原点が漫画など性質の悪い冗談とすら受け取られかねない。


「いいだろ、漫画の主人公に憧れても……!」


 自らよりも遥かに強大な、それこそ現代兵器を比較に持ち出すべき存在に対して相手が女の子だからと代わりに自身が前線に立つ主人公。

 非合理で愚か、前時代的な男性観。

 作中だけでなく読者の間にも賛否両論を巻き起こした行動に、彼は雷の如き衝撃を受けた。心奪われ魅了され、その背中が今の由良原篝を形成したといっても過言ではない。

 時代が違うからと今更捨て去るには、価値観を大事にし過ぎている。


「どうせ俺は物好きだよ」


 吐き出す言葉は投げやりにも、揺るがぬ信念にも受け取れた。

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