臣下の礼

「四郎を廃嫡とする。これに異議がある者は居るか?」


 梅戸城と壬生野城、その中間地点に位置する亀山城に六角家の主従が集結していた。対浅井の反抗作戦の戦略を練るとされていたにもかかわらず、定頼から開口一番発せられたその一言に大広間にやや重苦しい空気が漂う。


 しかしながら、六宿老、そして主だった重臣が勢揃いする中、異を唱える者はいなかった。六角家を転覆させる愚行に走った義賢に対し、温情を掛けるなどという選択肢がハナから存在しないということは、家臣らの総意であったからだ。廃嫡という定頼の決断は至極妥当なものであるために、誰一人として不満げな表情を浮かべる者すらおらず、定頼の瞳の奥に若干の寂寞の念を帯びたように感じた。


 「管領代様、四郎様を廃嫡するのは尤もだとしても、次代の当主は如何なされるつもりでございますか?」


 後藤但馬守が神妙な面持ちで尋ねると、他の重臣たちも頷いた。重臣たちにとっては義賢の廃嫡よりも、そのことの方が遥かに重要であった。


「うむ、それを告げるために皆を集めた」

「ではもう既に決めておられると?」


 定頼は鷹揚に頷くと、空気に緊張が篭る。


「四郎に代わって、冨樫左近衛権中将殿を我が養子に迎えて嫡男とする」


 その言葉に、至る所から驚愕の声が上がった。反対の色は窺えないが、まさかのサプライズだったのか、もれなく目を丸くしている。俺に全ての視線が注がれるが、身が強張るのを感じつつも毅然とした表情を貫いた。


「無論、弟たちや親族も居るのに、娘婿とは言え六角家の血を引かぬ左近衛権中将殿を養子に迎えてまで嫡男とすることに、納得の行かぬ者も少なからず居るだろう。しかし、皆の者もこれまでの左近衛権中将殿の六角家に対する貢献、数々の戦功、人柄、そして類稀なる才覚を見てきたはずだ。のう、下野守よ」


 やや不満げな様子が眉間の皺に表れていたのか、宿老筆頭格である蒲生定秀に流し目を送る。


「はっ、左近衛権中将殿の働きは目を見張る物があり申した。そして六角家の縁者でもある。目出度くは思っても、不満など全くございませぬ。ただ余りの予想外のことに、己の中で咀嚼するのに少々手間取っており申した。未熟者ゆえとご容赦願いまする」


 普段は寡黙な定秀が饒舌に告げる様子は意外だった。


「ふむ、左近衛権中将殿とは歳も近いゆえ、競争心を抱いておっても無理もなかろう」


 定秀の心中を見透かしたように定頼は薄く笑みを浮かべる。


「少々不満があろうと構わぬ。しかし、もし私が討死や暗殺された危急の時、残念ながらその後の六角家をまとめられる者は他には居らぬ。親族を据えたところで、やがて必ず諍いが生じよう」


 滅多なことを申しますな、と諫める声が口々に挙がるが、それを制して定頼は続ける。


「四郎を廃嫡とした以上、そうした万が一の事態も考えねばならぬのは皆も理解しておろう。儂の判断に不満がある者は遠慮なく申すが良い。咎めはせぬ」


 畳と衣服が擦れ合う微かな音が耳を鳴らす。しかし不満を申し立てようという者はついぞ現れず、定頼は数度暝目したのち背筋を張った。


「それでは正式に左近衛権中将を六角家の嫡男と致す」

「「「「「はっ」」」」」


 全員の口から同意の言葉が発せられた。そして定頼がこちらに視線を向けると、俺は首を小さく縦に振り上座に腰を据える。


「これまでは一門とは言え、客将に過ぎませなんだが、嫡男に指名された以上、粉骨砕身六角家を盛り立てていく所存にござる。その証として義父上から偏諱を授かり、これからは六角左近衛権中将『定泰』と名乗りまする。皆の者には未熟な私を支えて貰いたい。宜しくお頼み申す」


 俺の言葉を受けて、六宿老と重臣は一斉に平伏し、臣下の礼を取った。多少のいざこざは生じても仕方ないと思ってはいたが、何事もなく丸く収まり胸を撫で下ろす。男の子か女の子かはまだ分からないが、男の子が生まれて健やかに育った暁には六角の家督を譲り、再び冨樫に復姓する腹積りでいる。無論、後見として実権は握ったままにはなるだろうが、六角家にとってはそれがベストだろう。


 その後、本題とされていた四郎を担ぎ上げた浅井亮政を打ち破るための方策を練る作戦会議に移る。議論は白熱し、結局夜更けまで続いた。









 「ふっ、ふははっ。面白くなってきたわ」


 若狭国後瀬山城の一室にて、堪えるように口許を結んでいた細川六郎(晴元)は、ついに堰を切ったように高笑いを漏らした。


 史実で六角定頼が管領代に指名されたのは天文十五年(一五四六年)のことであり、現在より九年先である。しかし、史実の比叡山延暦寺と法華宗の対立においては延暦寺側に付くことで細川と共闘姿勢を見せていた六角が不介入を貫いたことにより、比叡山延暦寺は結局朝敵とされ、助力した細川も大きな悪影響を受けていた。下手に動いて細川が朝敵認定されるのを恐れた晴元は、若狭に亡命して沈黙を保たざるを得なくなっただけでなく、幕府との関係は完全に修復不可能なものとなった。そして管領代となった六角定頼に幕府の実権を剥奪させられる形で管領を解任されていた。


「幕府もさぞかし混乱しておろうな。慌てふためく幕臣たちの姿が目に浮かぶわ。くっくっく」


 言うまでもなく幕府は大混乱に陥っていた。六角が後ろ盾となって畿内での権威を保ちつつ、近頃はかつての隆盛を取り戻さんと将軍である足利義晴も精力を投じていた。しかし頼りにしていた六角が崩壊の危機にあるという現状は、幕府の崩壊をも招きかねない大事である。比叡山という立地にあって将軍の身の安全こそ担保されてはいるものの、身動きが取れない状況に矢も盾も堪らず癇癪を起こし、元々丈夫でない身体も相まって義晴は体調を崩しがちになっていた。


 それでも幕府が比叡山の跡地に御所を構えたことは六郎にとって誤算であった。比叡山は単に攻めにくいというだけでなく、南西に京を見据えることで京の鬼門の守護としての役割を担っている。そして幕府を比叡山に置くことが帝の意思となれば、細川とて京に進駐することは難しい。比叡山延暦寺に味方したことで朝敵認定を受けかねない現状では尚更難しい話であった。


 力無いはずの幕府が障壁となっている事実に何度も憤慨を覚えた晴元だったが、ここに来てようやく余裕の表情を取り戻した。


(六角の崩壊を見届けたのち、弱った浅井を叩けば近江を丸ごと手中に収めることもできよう。そうなれば幕府など意のままよ。六角なき幕府など、もはや恐るるに足らぬわ)


 漁夫の利を狙った晴元の悪どい笑みは、近習の背筋を震え上がらせた。

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