緊急の評定

天文六年(一五三七年) 近江国観音寺城


 春を迎えたばかり観音寺城は、未だ冬の寒さを残している。冬の間も突貫工事を強行していた北嶺御所は春を迎える前に完成を見て、義晴ら幕臣一同は居を遷すことになった。三月の月初めにあった評定からほどなくして、緊急招集により急遽呼ばれた泰俊を含む六角家の重臣たちが、深刻な事態に厳しい表情で列座している。このような急を要する事態に重臣がすぐ集結できるのが、六角家の強みでもあった。


「梅戸家より救援の要請があった。これが何を意味するか分かっておるな」


 重苦しい印象すらある広間の空気に定頼の一言が響くと、今度は静かなどよめきが場を支配する。


「これまで梅戸からは後方支援の要望こそあれど、六角に援軍を頼むことなどありませなんだ。ゆえに梅戸が危急の事態に陥っていることかと存じまする」


 目賀田綱清が冷静に告げると、定頼は瞑目して首肯する。


「左様だ、摂津守。北畠が北伊勢への圧力を強めている」

「北畠が六角に敵対すると?」

「それは違うな。北畠もさすがに我らに容易く勝てると思うほど自惚れてはおるまい。今のところは我らを敵に回すつもりはなかろうが、我らの動きは逐一注視しておるはずだ。此度は北伊勢における影響力を強固にしようと企てたのであろう」


 六角はここ数年積極的に北伊勢の戦へ介入し、群雄割拠の北伊勢の趨勢を変えるべく手を出している。北畠がその動きを無視するはずもなく、千種と梅戸の小競り合いは半ば六角と北畠の代理戦争のような様相を呈していたが、片方の勢力が突出することはなく、すんでのところで均衡が保たれていたのが実情だった。


「厄介にございますな。しかし北勢四十八家が兵を起こす程度ならば、此度も独力でどうにかできるのではありませぬか?」


 蒲生下野守定秀が鋭く切り込む。これまでは梅戸が不利に立たされても六角が物資などを提供することで覆していたが、それだけでは足りないというSOSが、この救援要請だったわけである。


「報せによると神戸や川俣も助力しているらしい。十中八九北畠の差し金であろうよ」

「得心がいき申した。このまま放置していては梅戸に与する国人も寝返る恐れもありましょう。今すぐにどのように対応すべきか、方針を決めるべきかと存じまする」

「うむ、下野守の申す通りだ。梅戸に兵を送るか、これまでのように後方支援に徹するか」


 梅戸に援兵を行うということは、即ち北畠との対立が表面化することになる。


「北伊勢はいずれ手にすべき土地にございますれば、私は兵を送るべきかと存じまする」


 泰俊は真っ先に定頼へ告げると、それに追従するように六宿老の面々が賛意を示していった。


(史実でも北伊勢は六角が四年後に攻め獲っている。伊勢湾に面した北伊勢獲得の意欲は相当なものだったはずだ。定頼の三女である北の方が次期当主の北畠具教に嫁いだのは、北伊勢侵攻で関係が悪化した北畠との和睦の意味があったのだろう。北畠も伊勢国司として北伊勢を奪われて相当不満だったはずだからな)


「皆、否は無いな。では梅戸には至急援軍を送るとする。北畠の手が及ぶ前に北勢四十八家の敵対勢力とはここで決着をつける。神戸や川俣も根切りにする。亀山城の関にも本腰を入れて調略をかけよ。場合によっては娘を嫁がせても構わぬ」


 東海道の鈴鹿関を領する関家は北畠の縁戚である神戸家の本家筋に当たるが、決して仲は良好ではなく、むしろ小競り合いが頻発していた。その地理的重要性に目をつけた定頼はかねてより関家に調略を続けてきていた。

 

「「「「「「はっ!」」」」」」

 

 六宿老は口を揃えて快活に返事を響かせた。


「弾正少弼様、北畠は長野攻めも敢行するようにございまする」

「靖十郎殿は長野と結んだと聞いておったが」

「六角に無断で盟を約したというのか!?」


 ここまでは無言を貫いていた義賢が目をカッと見開いて顔を赤く染めている。


「四郎殿、何度も申しますように、冨樫は六角の家臣ではございませぬ。毎度のように許可を求めることは致しませぬ。南伊賀への北畠の介入を抑えるためにも、隣接する長野工藤家は重要な存在にございますれば、何ら問題のあることではございませぬ」

「くっ……」


 義賢は歯噛みして視線を落とした。


(感情が先んじてしまう性格は治らぬな)


 一向に成長が見られない義賢に定頼はこめかみを抑えた。論破された義賢に声をかけることもなく、定頼は泰俊に向き直る。


「長野が冨樫と組んだことで北畠は危機感を覚えたか」

「おそらくは左様かと存じまする。北畠は南伊賀を諦めてはおりませぬ。以前よりも格段に豊かになり申したゆえ、その価値は大きく見ておりましょう」

「しかし北畠は大和に兵を差し向けようと目論んでいたはず。北伊勢の諸勢力に蜂起を促すだけならまだしも、長野と刃を交える余裕はないのでは?」


 進藤山城守貞治が眉を潜めて尋ねる。北畠晴具は勢力拡大に精力的であり、志摩の小浜を始めとする志摩十三地頭衆と呼ばれる海賊衆を屈服させ、志摩国を概ね制圧している。その次に大和への侵攻を行うつもりだったということを、甲賀衆の働きによって六角も察知していた。


「長野と盟を約したことは、北畠にすれば喉に棘が刺さったようなもので余程目障りだったのでしょう。放ったまま大和を攻める訳には参りますまい」

「靖十郎殿は如何なされるつもりかな?」

「六角が北畠との敵対を決めた以上、当家もその判断に準じるつもりです。折を見て長野との戦に介入するつもりにございまする」

「承知した。長野に味方するのだな?」

「長野が不利になるまでは手は出さぬつもりにございまする」

「なるほど、恩を売るというわけだな。ふっ。靖十郎殿は敵には回したく無いものだ」


 やや弛緩した空気が漂う。宿老の面々も総じてそれに同意するように微笑んでいた。しかしその中でも一人、不服そうに歯噛みする義賢の姿があった。


「四郎、お主には留守居役として観音寺城を任せる。戦に出られぬのは不服やもしれぬが、これも重要な役目だ。頼んだぞ」

「……はい。承知いたしました」


 義賢が不服を述べることはなかったものの、明らかに自分の役割に納得のいっていない様子である。ついに初陣かと内心で息巻いていただけに、落胆は大きいようだった。その様子に苦笑する定頼だが、今回義賢の初陣を見送ったのは、北伊勢への出兵が失敗が許されない厳しい戦が予想されるためである。近いうちに楽な戦で初陣を迎えさせ、自信をつけさせる腹積りであった。その無念が自分を強くするのだぞ、と無言の視線で義賢に語りかけていた。

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