管領代への就任

「くっ、比叡山の坊主にしてやられたわ」


 観音寺城の謁見の間で、上座に座る上様が六角家の面々に向かって唾棄するように告げる。元はと言えば自分が蒔いた種であろうにと思ったが、当然ながら口に出すような真似はしない。欲を掻いて法華宗と比叡山延暦寺の対立を煽り、京の町の大部分が炎上した。そんな中で仮となっていた公方御所も焼失してしまい、住む場所を失くした上様は奉公衆や奉行衆、御供衆、御部屋衆、申次衆などの幕府を支える家臣を引き連れて六角を頼りに逃げてきたという顛末であった。


「心中お察し致しまする」


 前屈みになって拳を叩きつけた義晴に対し、私は当たり障りなく返す。


「細川も次から次へと厄介事ばかり起こす。やはり奴を管領に命じたのは間違いであったな。いっそのこと其方が管領を務めてくれれば丸く収まったものを」

「無理を申されますな。管領は三管領である細川、畠山、斯波が務めることになっておりますれば」


 臍を噛む上様を宥めるように告げると、上様は一度大きく息を吐いた。


「尊氏公以来守られてきた慣例を乱すわけにもいかぬな。……ならば細川を管領から解任する」


 幕臣から驚きの声が口々から発せられる。細川は綻びは多く見えど、畿内を実効支配する実力者だ。それを管領から解任するとなれば幕府内の動揺も大きい。


「延暦寺に味方した細川なぞ、もはや奴は幕府の膿よ。腐った膿は除かねばならぬ」

「管領を解任して、その役目は如何なされるのですか?」

「力なき管領なぞ無意味よ。そこで弾正少弼、お主を管領代に命ずる故、管領としての責務を任せたい」

「某を管領代に?」

「うむ、適格であろう」


 自らの発言を噛み締めるように頷いておられる。私を管領代にするとはなかなか挑戦的な仕置ではあろう。


「それはつまるところ、六角と細川の関係に亀裂が入ることになりましょう」

「致し方あるまい。元々見据えていたことであろう。それが早まっただけにすぎぬ」


 管領代とはいえど、細川を管領から下ろしての仕置きであるゆえ、六角を管領の地位に就けたと同義になる。そうなれば細川の心証は当然ながら悪化し、幕府と細川の対立が深まる。その幕府に与する六角も、これまで鮮明ではなかった対立姿勢を明るみにすることになる。


「……承知致しました。管領代を拝任致しましょう」


 だがこのまま細川との関係を有耶無耶にし続けるのも無理がある。細川の牙城を突き崩し、六角が幕府の実権を握るにはまたとない好機とも言えよう。


「上様はこれからどうなさるおつもりで?」

「ひとまずは以前のように桑実寺で様子を窺うとする」


 数年前まで上様は観音寺城の山麓にある桑実寺で、六角の庇護を受ける形で幕政を取り仕切っていた。現状幕府にとって一番頼れる存在が六角ということになる。上様の眼はまだ光を失ってはいなかった。



 



「そうか、帝と御所はご無事であったか」


 観音寺城に到着した俺が京の様子を話すと、定頼は胸を撫で下ろした。ただ、京の大部分が焼け、三条公頼の屋敷も焼け落ちたと話すと、公頼の無事に安堵しつつも沈痛な面持ちとなっていた。縁戚である公頼の様子は気になっていたらしい。


「上様もご無事だとか。何よりにございますな」

「うむ、今は桑実寺で政務をしておられる」


 義晴は観音寺城に逃げ込んできたらしい。仮の公方御所が全焼する絶望的な状況を前にしても、幕臣はほとんど欠けることなく義晴に付き従ったらしい。これを見る限り、幕府の威光はまだ捨てたものではないとも思わされる。


 義晴の細川六郎の愚行に対する怒りは相当のものだった。細川を管領から解任し、管領の地位を空席にする代わりに定頼を管領代に命じた。六角が管領代になるのは史実通りだが、それより10年も早い就任となる。歴史の歯車が少しずつ狂いつつあることを実感した。


「左様ですか。某も御供衆なれば後ほど挨拶に伺いましょう。されど、それよりも前にお伝えせねばならぬ重大な儀がございます」

「ほう」


 定頼は俺の神妙な面持ちに呼応するように前屈みになる。


「帝が比叡山を朝敵として認定致し、討伐をお命じになり申した」


 “なんと!”、“当然の天罰だ”などと様々な反応が挙がる。評定とは異なり、六宿老のほかに馬淵、青地といったそれに次ぐ有力家臣の顔もあった。客将として迎え入れられた時は俺の存在を探るように見ていた者の視線も、伊賀平定への道筋やその統治を見たことから幾分か軟化し、受け入れているように感じる。


「確かに納得はいく。比叡山の坊主どもは一線を越えてしもうた故な。京を火の海にするなど、仏も許さぬ所業であろう」


 対して定頼は然程驚く様子はなく、少し呆れたように嘆息して見せる。


「朝廷の臣として、もはや比叡山を焼き討ちするほかないかと愚考致しまする」

「うむ、致し方なかろう。坂本の町も坊主どもが幅を利かせておる故、六角も手が出せぬ聖域であった。腐敗しきった比叡山を正すには、まずは坂本から焼くべきであろうな。それに比叡山を焼けば、堅田や大津の憎き一向衆どもも震え上がるであろう」


 比叡山を焼き討ちすることは既に織り込み済みなのか、定頼は間髪入れず賛同の言葉を述べた。


「ですが父上、比叡山を焼き討ちするなど、仏罰が下りまするぞ。仏敵と誹られ、六角の品位を下げるなどあってはなりませぬ」

「四郎、これは帝の命であるぞ。比叡山が朝敵と名指しされた以上、焼き討ちをして我らが仏敵と罵られることとなれば、それは即ち帝を仏敵とすると同義であり、左様な愚かな真似はたとえ比叡山とて出来ぬわ」


 義賢が浅慮のままに反論を唱えると、定頼は一瞥したのみで視線を合わせず、淡々と答える。義賢は自分の失態を理解したのか、口を噤んだ。


「これは帝の勅命である。比叡山の起こした乱は未だ収束を見ておらぬ。必ずや比叡山に京の平穏を乱した報いを与えようぞ」


 帝の命であると再び強調することで正当性を高らかに述べつつ、比叡山焼き討ちの決意を固めた定頼は重臣たちに向かって強い口調で告げる。反論が起こることは勿論なく、空気は一気に緊張感を帯びた。


 その後、六角は幕府の管領代という要職に就いたため、義晴に話を通して比叡山焼き討ちの許諾を得ようと定頼と俺は桑実寺を訪ねた。とはいえ勅命に従うのは武家として当然なので、義晴の了承を取り付けること自体が形式的なものではあったが、義晴自身比叡山と細川に対する怒りは人一倍大きく、一切反対することはなかった。義晴はかつて六代将軍・足利義教や『半将軍』とも呼ばれた管領・細川政元も比叡山を焼き討ちした前例を挙げつつ、『幕府も帝の臣下である故、宣旨に従うのは当然じゃ。憎き坊主どもを一人残さず討つのじゃ』という言葉で締めた。かくして、六角家の比叡山焼き討ちが実行に移されることとなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る