一向一揆の降伏と伊賀の近況

天文四年(1535年)六月 近江国観音寺城


「細川の総攻撃により本願寺が大敗を喫したとの由にございます」


 三雲行貞が感情が全く帯びていない平坦な口調で告げる。その言葉に、評定衆の面々は歓喜とは程遠い微妙な空気で応えた。


「証如は死んだか?」

「いえ、証如も蓮淳も存命にございまする」

「そうであろうな。陣頭に立って指揮をしていたわけでもあるまい。証如は若い。後見である蓮淳は先の戦で逃亡を図った腰抜けだ。主導して行ったのは十中八九下間一派であろうな」


 備中守と筑前守だな。加賀一向一揆を主導していたが、山科本願寺での一件によって加賀を手放し大坂に留まった。靖十郎殿が頭角を現すことができたのもそのおかげであろう。靖十郎殿が来てから意見がよくまとまるようになった。蟄居している四郎がおらぬからかもしれぬ。評定でも発言量が目に見えて増えた。その多くが的を射ている。宿老らも感心していた。


 やはり証如を唆して一度結んだ細川との和睦を破棄したのはこの二人だという。余計なことをしてくれたと思ったが、二人がおらねば細川との和睦は妥結されたまま、一向一揆も一定以上の力を保持した状態になっているはずだ。靖十郎殿も未だ越前で埋もれたままだったかもしれぬ。


「左様。下間筑前守、下間備中守の二人はこの錯乱の責を取り、破門を告げられた模様にございまする」

「破門のみか?」

「破門のみですな。この二人の破門を条件に、証如と後見の蓮淳は助命されたようにございます」


 本願寺はこの錯乱の責任を全て二人に押し付けたわけだ。蓮淳は自分の保身しか頭にない。二人はいずれ闇に葬られるやもしれぬ。


「それと同時に畿内と近江の門徒を総破門することも通達され申した」

「破門がどれほどの意味を持つかわからぬが、近江国内の一揆が減るのならばそう悪くはないと思うべきか。だがいずれにせよ門徒の反発はあったのであろう?」


 本音ならば因縁に決着をつけるべく証如と蓮淳にも責を取らせ腹を切らせたいが、これが妥当な条件なのやもしれぬ。


「御明察にございます。かなり反発はあるようですな。ただ現時点で兵を起こすことはないでしょう」


 来年には本願寺も再び力を取り戻すであろう。やはりここで根は断ち切っておくべきだった。一揆の反発などどんな条件でも起こり得るのだ。ならば根本を断ち切って分断した方が良い。


「厄介なものだ」


 私がこめかみにトントンと二度指の腹を押し当てると、空気が重くなった。


「京の自治権は法華宗に渡ったようで」


 少し間が空いて、行貞が沈黙を破る。


「日ノ本の中心を坊主どもが自治するとは聞いて笑えるわ。法華宗も元々それが目的であっただろうがな」


 細川六郎も京の自治権は欲していた。それが叶わぬためにこれまでは堺や阿波で指揮を執っている。これも京の貧しさと細川の節操の無さが招いたことだ。帝も上様も憂いているであろう。次は法華宗と細川が袂を分かつことになる……。なんとも厄介なものだ。











 




 季節は夏に移り変わり、冨樫家の主従は本格的に伊賀へと居を移した。俺が伊賀を統治し始めてから伊賀は明らかに裕福になっている。


 伊賀三人衆となった服部半蔵保長、藤林長門守保豊、田屋趙犀庵磐琇に教えた加賀の特産物の製法は順調に浸透し、夏には生産体制が確立された。伊賀は加賀より畿内に近く流通が円滑に行えるため販売も順調のようだ。


 陶工に依頼して作らせていた磁器の試作品を見せてもらうと、やはり精巧な陶器の技術を元々備えていただけあり、クオリティの高いものに仕上がっていた。


 鹿や猪といった害獣の骨を焼いて砕いた灰を、伊賀特有の陶土と混ぜて高温で焼いて作るボーンチャイナを思いついたのは我ながら目の付けどころが良かったな。それにしても、害獣は貴重な資源になりつつある。肉は食用、皮は鎧や道具、獣脂は石鹸、そして骨は磁器に使えるため、無駄にする部位が全くない。


 害獣駆除の協力者には金銭や米、酒など選べる制度にしたところ、これが好評を博した。中には集団で大和や伊勢、紀伊の山間部に繰り出して狩りを行う者もいるらしい。おかげで農作物の被害が激減したのも幸いだった。もはや害獣という呼び名は相応しくなく益獣と呼ぶべきレベルだな。


 磁器は陶器と比べて透光性や吸水性などの違いが明瞭であり、また伊賀の陶土という特色を存分に活かすことにより、他では作れない代物に仕上がっている。見た目や形で差別化した陶器を薄利多売で一般に流通させ知名度を高める一方で、磁器は『伊賀白磁』として付加価値を付け、高級路線を採ることにした。試作品の中で最も出来の良い物を帝に献上することにした。


 これは伊賀平定に帝の威光が多いに役立ったことを感謝する意味がある。伊賀守の官位は藤林長門守の説得に有用だったからな。国産初の磁器を献上したらその目新しさと質の高さ、艶のある外見に帝は唸っていたらしい。そして伊賀を平穏に治めていること、伊勢神宮への多額の寄進など天皇家への忠誠に対する感状とともに、正倉院御物で七星剣の一つである『呉竹鞘杖刀』という宝物を下賜したいとのことだった。ただ感状はともかく宝刀はあまりにも不釣り合いだと感じ、固く辞した。


 しかし、それを後奈良天皇は見越していたようで、勅使は間髪入れずに名刀『三日月宗近』を提示してきた。三日月宗近は名物中の名物と天下に名を轟かせていた名刀だ。七星剣には劣るものの、あまりにも大仰な品だとは思う。だが流石に二度目を断るはずないよな、という無言の圧力があったので、恐縮しつつも受け取った。


 帝の好評もあり、秋には出来の良い磁器を『皇室御用達』の品として畿内で売り出すと、堺の豪商である武野紹鷗の目に留まり、たちまち高値で取引されることとなった。武野紹鷗は数年前に朝廷に献金を行った礼に因幡守を叙任されるなど、皇室に支援を惜しまない姿勢を見せている。皇室御用達とあって目をつけたのかもしれない。質も担保しつつ付加価値を高めたことで、磁器の儲けは大きなものとなりそうだ。


 今のところ伊賀の統治は大きな反発なく進んでいる。一つ懸念なのは俺の領地外である名張郡と伊賀郡南部だ。北畠の間接統治が行われているが、冨樫家の統治下にある地域とは生活水準に格差が出つつある。もし名張郡の豪族が冨樫への恭順を深めれば、北畠がどのような反応を見せるかが問題だ。南伊賀は直接統治していたわけではなく、攻めにくい地形であるため武力で奪還するのも難しい。石高も高くはない上に、六角との敵対は避けたいだろうから、北畠も難しい舵取りを強いられるだろうな。南伊賀の併合を不問とする代わりに何か交換条件を突きつけてくるか、どうなるだろうな……。

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