服部半蔵の調略
服部半蔵に順蔵を通じて声を掛けたところ、一度話を聞きたいということだった。半蔵は観音寺に向かうとのことだったが、こちらが呼びつけるよりも直接会いに行った方が心証も良いと思ったので、京に向かうことにした。
「靖十郎様、京に赴かれるのですか?」
肩越しに稍の声があった。不安というか、寂寞を孕み少し震えた声だ。
「ああ、構ってやれずすまぬな。すぐに戻ってくる」
婚礼の儀を終えてから良好な夫婦関係を築けてはいるものの、俺が動き回っているせいか夜以外に接する場面が少ない。夫としては失格だ。ただ多忙で家庭に目を向けられない粗末な人間で居続けるつもりはないので、近いうちに二人の時間を作りたい。
「いえ、靖十郎様が多忙なことは存じております。ですが……」
「ん?」
「いえ、なんでもありません」
「そうか?」
様子がおかしいというか、視線を彷徨わせている。
「……一緒に京へ行くか?」
「いいのですか!?」
瞳が一瞬で輝きを帯びた。どうやら京という行先を聞いて行きたくなったらしい。
「ああ、戦に行くというわけでもないからな」
質素だが新婚旅行というか、軽い遠出になる。箱入り娘であった稍は、外に出る機会があまり多くはなかった。冒険のような心持ちかもしれない。
「ぜひご一緒させてください」
「分かった。明日には出るから支度を万端にしておいてくれ」
「承知しました」
稍は顔を綻ばせた。語尾が弾んでいる。稍が嬉しそうだと、俺も嬉しくなる。この笑顔を守りたいと、強く思わされた一幕だった。
京に到着すると、俺は京の寺町にある善兵衛の屋敷に滞在していた。善兵衛は冨樫家の御用商人になっているが、京における商売の拠点としてこの場所に屋敷を建てた。かなり広い家なので、冨樫家の人間が京を訪れる時は是非使って欲しいと善兵衛から言われている。
「靖十郎様、失礼致します」
音もなく襖が開いた。順蔵の低い声に身が引き締まる。
「半蔵殿が来られたか?」
「はっ、左様にございます。服部殿」
「失礼致します」
初代服部半蔵こと、服部保長は瞬きの合間に姿を現した。
「服部半蔵殿だな」
「はっ。冨樫様の顔を拝見でき恐悦至極に存じまする」
「貴殿は上様に仕えていたと聞いた。今、我らは対等な立場だ。畏まらなくてもよい」
「そのような無礼な態度は許されませぬ。私は素破、冨樫様は御供衆でありましょう。身分も血筋も天と地の差がございまする」
半蔵の言うとおり、加賀守護の血脈を継ぐ俺と、上忍とはいえ素破である半蔵では、身分違いは否めない。実際、六角家中にも甲賀衆の素破を見下す者は多かった。
「なぜそう自分を卑下する。いや、愚問だな。だが、私は素破を下に見るつもりはない。むしろ情報の重要性を高く認めているがゆえに、素破の傑出した仕事ぶりは称賛に値すると思っている」
俺は手放しで褒め称える。
「植田殿よりお聞きした通り、侠気に富んだ御方にございまするな。そのような御方に声をお掛け頂き、幸甚の至りに存じまする」
「順蔵から話は聞いておると思うが、私は貴殿の力を高く買っている」
「ありがたきお言葉にございます」
面と向かってそのようなことを言われたことがないからか、低い声が少し上擦っているように聞こえる。
「私は伊賀掌握を念頭に置いている。貴殿を利用するようで済まぬが、伊賀掌握のためには貴殿の協力が不可欠だ。私は六角家の一門とはいえ、自前の武力を持ち合わせていないのが現状だ。ましてや伊賀は特殊な地形を持つ国だ。協力者の存在なくしては伊賀掌握は夢幻と化すだろう」
「……」
「無論、生活の窮乏が続いて貧苦に耐えられず将軍家を頼ったことも承知している。だが、私が伊賀を統治することになった暁には、必ずや加賀のように伊賀の地を豊かにすると約束しよう」
俺は半蔵に対し真摯な姿勢で向き合う。指導者の一人である上忍の服部家が国を出るほど貧しい伊賀であっても、豊かにできる自信があった。俺は視線を一切そらす事なく半蔵の目をジッと見つめ続けた。
「……他の方ならばまずお断りするところですが、加賀を豊かにした御高名は聞き及んでおります。それにお人柄も信ずるに値しましょう。正直なところ、凋落する一方の将軍家を見限って何処かを頼ろうと思っておりました。故郷の伊賀に住むことができるなら、これ以上の喜びはありませぬ。冨樫様、どうか伊賀を豊かにして民を救ってくださいませぬか」
半蔵は深々と頭を下げ、畳に額を付けた。声には並々ならぬ想いが篭っており、声が震えている。
「うむ、頼まれた。この冨樫靖十郎が伊賀の民を救って見せよう。服部家の郎党も武士として全員召し抱える故、すぐに引き連れて観音寺に来てもらいたい」
「私のみならず郎党までも召し抱えてくださると?」
「無論だ。単なる銭雇いの主ではない」
打算ではないが、無論服部家に属する者達の忍術を買ってのことだ。伊賀の素破は原則はフリーランスで雇い主とは金銭で短期の雇用契約を交わし、それ以上の主従関係は持たないドライな関係に特徴があったが、伊賀を豊かにすると大言壮語してしまった以上は一蓮托生だ。
「……ご無礼を承知で申しますが、冨樫様は変わった御方にございますな」
「よく言われるが、自分では褒め言葉だと思っている」
俺は破顔して自嘲するように笑った。まあ異端だろうな。こうして素破相手にも蔑むことなく真摯に向き合っているのだから。
「この服部半蔵保長、一族郎党、粉骨砕身お仕え致しまする。何なりとお申し付けくだされ」
その目には忠誠心がありありと帯びていた。伊賀忍者は薄情と聞いていたが、やはり人の心を持っている。これまで見下されてきたからこそ、思うところがあるのだろう。
「上忍三家の藤林家にも配下の素破を接触させたが、駄目だったな。甲賀の隣なので六角寄りだと聞いていたが、アテが外れたようだ」
しばらくして、半蔵が落ち着いたのを見計らって切り出した。
「やはり断られましたか。藤林長門守は頑固で融通が効きませぬ。伊賀の素破を体現したような男にございまする。伊賀を治める大義名分でもあれば長門守も靡くやもしれませぬが……」
六角家は伊賀の素破を雇う機会が多かったようだが、長門守はあくまで他勢力の不可侵を貫く姿勢だった。俺は最近六角家の婿として客将になったばかりの人間だから、六角家における立場が盤石とは言い切れない部分に不安要素を見出したのかもしれない。半蔵の言う通り、大義名分となる何かがあれば多少は違うだろうが。
「そうだな。大義名分となれば、……官位か」
官位とひとりごちて、ピンときた。そう言えば朝廷からの勅書で俺に官位を授けたいという後奈良天皇の言葉が綴ってあった。京に立ち寄った時には訪ねて欲しいということだったが、丁度京にいるのは好都合だな。
「官位を得られる伝手があれば効果的とは存じますが……」
眉間に皺を作る半蔵。その伝手があったのは幸運だった。
「朝廷に献金を行ってきた甲斐があったようだ。すぐに朝廷に頼んでみるとしよう」
「……さすがは冨樫様にございますな。これを見越しておられたとは。一手も二手も先を見ておられる」
偶然の産物だが、あえて何も言うまい。そういうことにしておこう。俺は苦笑いを隠しながら首をすくめた。
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