上洛②
「ふむ、思うた以上の男だ。ところで冨樫殿は婚姻はされておるのかな?」
「いえ、未だ独り身にございますが」
突拍子のない質問に、俺は首を傾けながら答える。俺は二十四歳だが、未だ結婚はしていなかった。
「左様か。ならば都合がいい。私の娘と婚姻するのは如何であろう?」
「弾正少弼様のご息女にございますか!?」
俺は思わぬ提案に目を見開く。まさか上洛によってそんな話が出てくることになるとは考えていなかったので、狼狽を隠せない。中央政界を左右するほどの力を持つ六角家と縁を結ぶとなれば、願ったり叶ったりだろう。俺は自然に自分の身体が前のめりになるのを感じる。
「私の猶子ではあるのだがな。元は三条亜相様の養女だ。ただ猶子とは言うても我が兄の子なのだ」
定頼が言うには、その猶子というのは六角家前当主・六角氏綱の娘だったらしい。氏綱には一回り歳上の正室がいたが、将軍家の出身でかなり歳上だったこともあり、将軍家の血筋を鼻にかけて横柄で折り合いが悪く、長男の氏綱が血筋を万一にも途絶えさせることのないよう、側室を娶っていた。それが三条公頼の妹である三条香子だったらしい。その間に生まれたのが、この養女であったという話だ。だが結局氏綱はこの側室との間にも嫡男となる男子をもうけることはできないまま若くして亡くなり、六角家の家督は弟である定頼に譲られることとなったそうだ。
遺児となった氏綱の娘はその後、母の実家である三条家に引き取られ、実子のいなかった伯父の三条公頼の養女となったが、四年後に公頼には待望の一子が産まれる。その一子は数年間健やかに成長し、夭折の心配が薄れたこともあり、今度は父方の叔父である六角定頼の猶子となった、というのが事の経緯だということだ。
まあ再び六角家に出戻る形となったのは、三条家には嫡男ではなく、ましてや公頼の実子ですらない養女を養う余裕などなかったのだろう。三条家は質素倹約を是とした家風ではあったが、家計は常に火の車だったと聞いたことがある。
猶子とは言えど前当主の娘であり、六角家との血縁を結ぶことに支障はない。そう語っていた。俺としても血筋を重視する考えはハナからなかったのであまり興味はなかった。会釈を交えながらも内心は馬耳東風という感じで、傍目からは話を聞き入っているように見えただろう。まあこの時代の人間は血筋を重視するものだ。ましてや守護の家柄である俺も、例に漏れず血筋を重視していると思ったのだろう。
「単刀直入に申すが、余は細川六郎を信用しておらぬ。悔しいが今の幕府は六角家なしには成り立たぬ状況だ。そこで靖十郎、お主を御供衆に任ずる故、畿内に在駐し六角と、朝倉もだな。それらと協力して幕府の再興に力を貸して貰いたいのだ」
そういうことだろうなと思ってはいたが、本当に単刀直入だった。誰が聞いているか分からないのに、正直すぎる。御供衆とは、尊氏以来の譜代家臣が授かる地位であるが、冨樫家は尊氏の治世から一貫して譜代家臣として立場を維持してきた。俺は実質的に加賀守護という立場にあるので、そうした意味では適格ではあるだろう。だが定頼だって細川六郎と対立するのは危険が伴う。失礼だが自分勝手と言わざるを得ない。畿内至上主義にも程がある。
「しかし私には加賀を守る役目がありまする。長い間国を空ければ、また再び一向一揆のような勢力が台頭してくる恐れもございます故、畿内に力を割く余裕はございませぬ」
「加賀の守護はお主の父であろう。加賀は父に任せるのが筋というものだ」
俺が表情に陰を差し、断る雰囲気を出すも、義晴は平然とした様子で目を瞬かせてそう述べた。将軍というのは世間知らずなのだろうか?
確かに俺は家督を譲られてはいない。加賀守護として国を守る役目を担っているわけではなく、義晴の言っていることは間違いない。だが現実は俺が実質的な加賀守護だ。
「もし貴殿が畿内に留まってくれるのならば、六角家の客将として受け入れよう。娘婿に不自由な真似は一切させぬと誓う。領地を広げた暁には相応の所領も用意させていただく」
義晴に協力する姿勢なのか、定頼は思わぬ援護射撃を加えてきた。六角家と縁を結べ、領地を広げれば六角という後ろ盾を得ながら、同時に畿内に地盤を持ち、影響力を持つことのできる立場になる。加賀が磐石ならば例えこの先六角家が勢威を失っても取り返しがつく。それに今の加賀から勢力を伸ばすとなると、飛騨か能登か越中になる。飛騨は殆どが山間部で労力に見合う対価は期待できず、能登は三管領の畠山家の領地だ。越中を攻めれば再び本願寺からは一歩引いた立場を取っている越中の一向一揆を煽り、余計な戦乱に繋がる恐れもある。それは加賀守護としてはあまり好ましいとはいえない。
父ならば今の加賀を上手く治めるのは難しくない。過去の戦では元々旗色の悪い勢力に与し、敗北を喫していた。そのせいで戦費の嵩みを民に押し付け、一向一揆に国を奪われることとなったのだ。だが今の加賀ならば父でも問題なく治められるだろう。あとは父の気持ちだけだ。それに何も俺が加賀守護を継ぐ必然性はないのだ。史実でも弟の晴貞が父の跡を継いでいるのだからな。
加賀守護という立場が無ければ、自由に動ける行動範囲はかなり広がるはずだ。そう考えれば悪くないだろう。ここで断る方が六角家との縁も得られないだけでなく、今後将軍家との軋轢を生むことにもなりかねず、デメリットが大きいと感じた。
というより、これ示し合わせていないか? 幕臣として京に滞在するのではなく、六角家の客将という立場を用意したのは、始めから細川家との対決を見越してだろう。京にいたら細川六郎が上洛してきた時に危険視されて排除される可能性だってある。加賀を一年で奪還し領地を豊かにしたその手腕を、なるべく近い場所に置いておきたい。だが細川には与して欲しくない。そこで最適だったのが六角というわけだ。
「……承知いたしました。そこまで私のことを買うてくださるのならば、六角家に厄介になりまする」
「真か!?」
かなりの熟考で長い間沈黙が支配していたが、俺が承諾の返事をすると義晴の歓喜の声で部屋の温度が上がったように感じる。定頼も瞑目しつつも口角が上がっており、穏やかな空気が広がった。
「では靖十郎殿は六角家で受け入れさせていただく。婚姻の日取りはいつがよろしいかな?」
「加賀は父と弟にこのまま任せることと致しますゆえ、一旦加賀に戻って父から婚姻の了承を得てから、引き継ぎをしてまいろうと思いまする。その後でしたらいつでも構いませぬ」
「左様だな。だが早いに越したことはない。一向一揆が和平を破棄して起こした騒乱もまだ収まっておらぬ。近江に来たらすぐにでも行おう」
「それで構いませぬ」
トントン拍子で婚姻の日取りまで決まってしまった。前世でも結婚の経験はないので、緊張からか身が強張る感覚がした。
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