内政改革の端緒

 九月初旬の昼下がりは、微かに残暑の残る陽気が発汗を促す。それでも現代に比べたらかなり過ごしやすいので、不満を漏らすことはなかった。


 冨樫家がかつての勢威を取り戻すには、どのような策を取るべきか。民の暮らしを良くすること、軍備を強化すること。本願寺の一党が加賀に帰還し、再び権力を振りかざすのを止めるにはどれも必要なことだ。


 それには全て金が必要になる。そう、金だ。その金を稼ぐためにはどうするのか。製法が容易に盗まれないものがベターだ。そしてなるべく高く売れて希少性の高いもの。 


 そんな物で真っ先に浮かんだのが石鹸だった。石鹸は飛ぶように売れた。衛生は人の健康を大きく左右する。医学が大きく進歩した現代とは違って、病に罹った人間が命を落とすことは日常茶飯事だ。それに大きく関わっているのが、粗悪な衛生状態だと思う。石鹸は戦国時代末期にポルトガルから流入したもので、この時代の日本には存在しない。他に競合もなく、製造方法も全くの秘密であるために高く売れた。


 石鹸の起源は、獣の肉を焼く時に滴り落ちた脂と薪の灰が混じった中に偶然降雨があったことにより、油脂の鹸化が自然発生したことによると聞いたことがある。質の高い油は高く、今の冨樫家の経済状況ではとてもではないが手が届かないので、獣の脂を使うことにしたのだ。


 木を燃やし、白い灰になったものを水と混ぜ合わせ、沸騰するまで煮てその後水分だけを抽出するために濾していく。これを脂と混ぜて徐々に反応させ。冷えた時に分離しないよう塩梅を計ってかき混ぜてから型枠へと流し込み、固まるのを待つという流れだ。これに柑橘系の果物の果汁を入れることで、キツい匂いをできるだけ打ち消すよう意識した。


 加賀では、害獣である猪や熊、鹿が度々田や畑を荒らすことが、大きな損害を産んでいた。猟師に狩った害獣の死体を届け出れば、見返りに幾分かの金銭を配る仕組みを公に示したところ、その数はかなり多かった。


 米も考えたが、冨樫家の蔵は言わずもがなで、粟田家や末松家の収穫を頼る形になってしまうことが予想されたので、忍従を貫くよう通達している。


 獣の肉は栄養源になるので、いい機会だと思い肉食を普及させる一石二鳥の策を敢行した。この時代は、古の朝廷による五畜(馬、牛、犬、猿、鶏)の肉食を禁じた勅令と、殺生を戒めた仏教の影響により、四足動物の肉食を忌避する風習が根付いている。しかし、一向宗は教えで肉食妻帯を許しているので、肉食に対する忌避感は想像よりは薄かった。ただそれは一向宗を信仰する割合が非常に多い民衆に対してであり、一向宗に毒されていない階級の高い者は、肉食への忌避感はかなり強かった。


 しかし、肉を食べることで力がつき、体力のない者でも厳しい冬を越すことができると説きつつ料理を振る舞うと、最初は敬遠していた者たちも俺の躊躇いなく食べる様子や匂いにつられて口に入れていた。


 石鹸の製造は順調に進んだが、石鹸には改良に改良を重ねる必要があるため、リスクも考えて短期的な儲けを得るためにリバーシの製造も平行して行っていた。


 俺はこれを敵の碁を挟み自らの手に落とすことから「挟碁はさみご」と名づけ、手始めに北陸一円と畿内に売り出した。誰でも盗作しやすいものなので、正直今年の収支をプラスにできれば御の字程度に考えていたのだが、予想以上の大ヒットになった。老若男女誰でも楽しめるルールの簡易さが好評を博し、一世を風靡する一代娯楽にまで化けることになる。


 これらが冨樫家の財政を大きく潤わせた。貧しかった今までを吹き飛ばすような飛躍であった。



 




  靖十郎様は、あの日から変わってしまわれた。物の怪でも付いたのではないかと錯覚するほど、人が変わったように働いておられる。


 しかし靖十郎様の優しさは確かに残っておる。儂を始めとして、家臣の皆々に地位や立場関係なく仕切りに言葉をかけておられる。それは儂の知っているお姿。齢五十五となった儂を気遣うような言葉も多い。誠に心優しきお方じゃ。


「爺、石鹸を作るぞ」


 突然そんな事を仰られた時には、度肝を抜かれた。靖十郎様が言うには、石鹸とは身体を清潔に保つ代物で、それは容易に生産できるとのことであった。木綿の袋に米ぬかを入れて身体を洗っているが、それとは別物で、それより効果が強いのだと仰っていた。それを作れると言うのだから、最初は半信半疑になるのも当然であろう。


 しかし実際に作ってしまわれた時にはこの方は神童かと腰が抜けそうになったものじゃった。いや、神童というのは失礼に当たる。未だ童として見てしまうのは、あの心優しきお方の隣で、ずっと傅役を務めていた故なのだろう。成長に嬉しくも、寂しくもある。


 加えて肉食を普及させると仰られた時には、気が触れてしまわれたのかと冷や汗をかいた。しかし口にしてみると案外、というよりこれまでの味気ない食事に比べて充足感が強く、精が付いたように感じられたのだから、これをご存知であった靖十郎様の先見の明には驚かされる。


 そして挟碁という娯楽を発明し世に売り出してからは、冨樫家中に限っては靖十郎様の才覚を疑う者は誰一人いなくなった。


 真に御神託を受けた御使いだと一度噂されれば、冨樫家に鞍替えする国人もおった。そして秋も深まる頃には石川郡のほぼ全域を手中に収めておる。


「南部は未だ一向一揆の力が根強い。一向一揆の拠点である日谷城や大聖寺城がある故、一朝一夕にはいかないだろう」

「そうですな。一向一揆、真に厄介ですな」

「全くだ」


 靖十郎様が呆れたように笑っておった顔は、脳裏に焼き付いた。


「国には一向一揆の軍勢が大勢残っている。どうするだろうな。指揮官を欠いた奴らが上手く戦えるとは思えん。下間を始め、坊主共は揃って畿内の情勢にご執心のようだ」


 加賀一向一揆は大坂に逃げた証如の支援に向かった。しかし軍勢をそのまま連れて行けるはずもなく、半ば加賀を放置する形で上層部の殆どが大坂に走った。指揮官のいない一向一揆など、烏合の衆に過ぎぬ。靖十郎様も大した脅威として見ておらぬのだろう。


「命じられれば命を捨ててでも向かってきましょう。既にこちらの動きも察知されておるはず」


 一向一揆の忌まわしき特徴は、命知らずという点だ。一人一人の練度は高くない。しかし恐怖を知らないため、猛然と攻めかかってくる。儂も煮え湯を飲まされた。だが今の靖十郎様ならばどうにか出来そうな機運さえ感じる。年甲斐もなく胸が躍った。


「まあ時間稼ぎとしては十分かもしれん。帰ってくるまでに凌げればいいのだ。一向一揆もこちらが本隊と戦える力をつけているとは到底思うまい」

「いずれにせよ、加賀の一向一揆も今年、来年もしばらくは畿内の情勢を注視するので手一杯だ。まずは北の河北郡の国人を懐柔する」


 その目に慢心は欠片もなく、ただ真っ直ぐに戦意を漂わせていた。

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