107 アドリアの救出とネヴァン再び

「ここが最後の部屋だな……」


 俺たちはデルファイの下水道を調査してきて、ついに最後の部屋へと到達した。なぜこの世界の下水道は軽いダンジョン状態なのだろうか……。それくらい複雑に入り組んだ作りで、予想以上に創作に時間がかかってしまっていた。

 これまで調査をしてきた部屋にはアドリアの姿がなかった、ということはこの部屋にいるはず……なのだ。


「開けるぞ」

 俺は扉をゆっくりと開いていく……部屋は暗く……何も見えない灯りのない部屋だ。目が慣れてくると……人影が見える……部屋の端の方に動く人影が……ランタンを照らしてみて俺は息を呑んだ。

 そこには鎖で繋がれ憔悴仕切った顔で苦しむ半裸のアドリアがいたからだ。


「アドリア!」

 俺が飛び出す間も無く、アイヴィーが慌ててアドリアの元へと走る。明かりが届くにつれ、アドリアの身体中に走った鞭の傷跡と、赤い蠢く粘液の塊に気がつく。

 アイヴィーが素手で粘液を掴むと壁へと叩きつける……粘液はぶるんと大きく身じろぎをすると、ゆっくりと触手を伸ばす。俺は急いで炎の槍ファイアランスを放って粘液……液状生物スライムを焼き尽くす。嫌な匂いを放ちながら、液状生物スライムは煙を上げながら消滅していく。

「赤い液状生物スライム……?」


 ロスティラフが小剣ショートソードで鎖を切るとアドリアは地面へと崩れ落ちる。

「あ……あ、あ」

 アイヴィーがマントをアドリアにかけてそっと抱きしめる。

「もう大丈夫、大丈夫よアドリア……」

「み、ん……な……うっ、ううう……」

 アドリアは疲れ切った目で俺たちを見ると……ボロボロと涙を流し始めた。俺は、手持ちの回復薬ポーションをアドリアにゆっくりと飲ませ……応急処置用のキットを広げていく。その作業の手をアイヴィーが制する。

「私がやる、みんなは他の場所を調べて」


 そ、そうか……確かに女性の治療は女性がしないとな……。手際良く治療を開始していくアイヴィーを尻目に、俺たち男性陣は部屋の中を捜索していく。

 この部屋の奥にもう一つの扉があり、そこはもぬけの殻だった……生活感はほとんどないものの、何か書類や紙を焼いたような跡が残っており、アドリアをさらった犯人がここにいたのだとわかる。

 何か手がかりはないか……と探していくが主だった証拠になりそうな物品はほぼ残されていない。


「だめだ……相手はプロだな……」

 先程の部屋に戻ると、アドリアの治療がある程度終わり、アイヴィーがマントに包んだアドリアを抱き抱えていた。

「何かあった?」

「いや……ほぼ燃やされている。しかし何のためにアドリアを攫ったんだろう……」

 これはメッセージなのだろうか、いつでも分断できるという意思? しかしずいぶん回りくどいやり方のように見えるが……。


 その時掠れた声で、アドリアが口を開く。

「クリフ……彼が……混沌の戦士ケイオスウォリアーって話してて……」

 苦しそうに何度も息を切らせて、アドリアが必死に何かを伝えようとしている。混沌の戦士ケイオスウォリアーが指示をしたのか? それともその男が混沌の戦士ケイオスウォリアーなのだろうか?

「ちょっと前までここにいて、隣の部屋で何かをしてから逃げていった……」


 そこまで話すとアドリアは疲れ切ったように、目を閉じ……がっくりと力が抜ける。

「アドリア……」

「大丈夫、寝てるだけ……でも早めに治療院へ連れていきましょう」

 アイヴィーの言葉に俺たちはすぐに動き出す、ここでは完全な治療は難しい。幸いデルファイの治療院は優秀で、お金さえ出せれば四肢欠損も治療可能である。俺たちは急いで部屋を出ていく。




「本当によろしかったので? あの半森人族ハーフエルフはいつでも始末できましたよ?」

 黒鴉は夢見る竜ドリームドラゴンのメンバーが下水道の入り口からアドリアを抱えて脱出する様子を屋根の上から見ていた。その手には通信用の魔水晶が握られている。

「良い、今回はいつでもお前らを分断できる、というメッセージだからな。殺す場合は直接手を下すさ」

 水晶から不気味な……あの混沌の戦士ケイオスウォリアークラウディオの声が響く。黒鴉は面白くもなさそうな声で、そうですか、と呟く。


「受け渡しの金はいつものところへお願いします。それと今回で……」

「すでに送ってある、また連絡をする」

 水晶のぼんやりとした輝きが薄れ……黒鴉は深いため息をつく。そうか、また連絡をする、か。一度混沌ケイオスと手を結んだ者には逃げることも許されない、ということだろうか。


「いっそのこと彼らと戦って……楽になるか?」

 いや、それは難しいかもしれない。あの半森人族ハーフエルフの少女に自分の姿を見せてしまっている。闇討ちが難しい可能性が高い。

 あの使徒と呼ばれていた魔道士ならどうだろうか? 彼は強者の匂いがする。死線を何度も潜り抜けてきた強者の匂いだ。若い頃、強き戦士として生きたいと願っていたが、黒鴉にはその力がなかった。


 代わりに闇と同化し、相手を闇討ちしていく能力だけは誰にも負けなかった。そうだ……あの使徒であれば……私を自由にしてくれるのではないか? 心の奥に仕舞ってある筈の、小さな灯がほのかに宿る。


 静かに暮らせないのであれば戦って死ぬことで自由になりたい、と。


 子供の頃にもう顔も忘れてしまった父親から教えられた……『戦いに倒れた戦士は神の御許に招待され、永遠の命を享受する』という昔話。戦士ではなくなった今でも、強者との戦いで死ねば、もしかして。

 黒鴉は急に自分の心に沸いたそんな気持ちに動揺しながら、暗闇に溶け込むように消えていく。


 誰もいなくなったその場所に、ふと塵が舞う。その塵は徐々に形となり、不完全ながら小さな少女の姿へと変わる。

「フハッ……クラウディオの手駒も、随分と質が低い……」

 薄桃色の髪の毛、金色の瞳を持ち黒いローブに身を包んだ少女は、ほくそ笑む。彼女の名前は混沌の戦士ケイオスウォリアーのネヴァン。精神をコントロールし、思うがままに操る混沌の魔道士。まだ少女の姿でしか顕現できないが、3年前に倒された後にじっくりと力を蓄え、実体化を果たしている。

導く者ドゥクスに命じられて来てみれば……絶好の機会を逃しおって……これは私が横槍を入れねばならんな」


 ネヴァンは少女の姿に似合わぬ不気味すぎる笑顔で笑うと、そっと暗闇の中へと消えていく。

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