(13)
「リカルドは全て話してくれたわ。十年前の事から、契約結婚したことまで」
驚くメグをおいて、グレイスはラリーの墓へと歩み寄る。
持って来た小さな花束を、リカルドが用意した大きな花輪の横にそっと置いた。
「この人がやりそうな事だと思ったわ」
短い黙祷の後、ため息混じりにつぶやく。
「十年前、私がもっと気にすればよかったわ。ごめんなさいね、メグ」
「どうして。ママには関係ないことでしょ。むしろ私は、ママに申し訳ないと思っているのに」
「ラリーの本性を知っていながら、あなたを置いて出て行った私が一番罪深いのよ。ずっとあなたのことが心配だったわ。でも、私ではあなたの力になれなくて」
メグはずっとグレイスの援助を断固として断ってきた。
一緒に住もうという申し出も、経済的な援助も断り、会うことさえほとんどなかった。
メグはただ、グレイスに対する罪悪感でそうしてきたのだが、グレイスが娘に必要とされていないと感じたのも当然だろう。
「ごめんなさい、ママ」
「どうして謝るの? でも、リカルドがいい人でよかったわ。十年前、あなたから話を聞いたときは、なんてひどい男かしらと思ったけれど、誤解だったのね。それに、今もちゃんとあなたを愛している。幸せになれるわ」
グレイスがとても嬉しそうに微笑むので、メグの幸せをまるで疑っていない口調で話すので、メグは悲しくなった。
母の期待にこたえられないこと、誰の目にも幸せになれることが明らかな未来を選択できない自分に。
「もしかして、リカルドとは別れるつもりなの?」
メグの表情を見て、グレイスの微笑みも消えうせた。
「どうして?」
「どうしてもなの」
そうとしか、メグには答えられなかった。
「十年前、あなたの事を誤解して、一方的に捨てたことが許せない?」
「いいえ、それはもう、理解しているつもりよ」
十年前の二人のお付き合いは、とても短い期間だった。
メグはリカルドに『のぼせ上がっていた』という言葉が相応しい状態だったし、リカルドもそうだったのだとしたら、急激に熱が冷めたとき何を信じればいいのか混乱してしまった気持ちはよくわかる。
「それなら、中絶を望んだこと?」
「それももう許せるわ」
一度でもリカルドがそれを望んだということは、とてもショックだ。
だがそれが、一時の気の迷いで、リカルドの本心ではなかったことは信じられる。
全財産を放り出すということは、生半可な覚悟では出来ない。
特に、仕事で成功しようとしていたあの時のリカルドにとって、物凄い決断だったはずだ。
「彼をもう愛していないの?」
「愛しているわ」
「彼の愛を信じられない?」
「愛されていると思う」
メグは、ぎゅっと目を閉ざした。
「でも」
「でも?」
「怖いの。自信がないの」
言葉は、ぼろっと零れ落ちた。
言ってから、自分で驚いた。
だがそれは、心の奥深くにあった、メグの偽りのない本音だった。
「駄目なの。私、きっと駄目な女なの。リカルドとうまくやっていけるか、自信がない。私なんかと一緒になったら、リカルドはきっと不幸になってしまうような気がする。いつかきっと、私と結婚したことを後悔すると思うの」
「メグ」
グレイスに優しく抱きしめられ、メグは薄い肩に額を押し当てる。
ぎゅっと目を閉ざすと、目尻から涙がぽろりと零れ落ちた。
「ねえ、メグ。あなたは誰かを愛することにも、愛されることにも、臆病になっているのよ。十年前、あなたは誰よりも愛していた二人に裏切られたんだもの、当然だと思うわ。恋人はあなたを蔑んで去り、愛されていると思っていた父親は態度を一変させた。でもね、愛されなかったのは、決してあなたのせいじゃないのよ」
顔を上げると、グレイスがそっとハンカチを渡してくれた。
「少し歩きましょう。ラリーの前でしたい話じゃないから」
と言って、グレイスは歩き出した。
なんの話だろうと思いながら、メグも後を追う。
グレイスはメグの一歩前を歩きながら、前を向いたまま話し出した。
「ラリーはね、自分しか愛せない人だったの。勿論、私もそしてあなたも、愛していなかったわ」
「……ママも?」
「ええそうよ。これでも私、若い時はとても人気があったのよ。ラリーもそうだったわ。私達は理想的な絵に描いたようなカップルだって、よく言われた。そして、ラリーは、そんな私達を愛していた。結婚してからもそう。素敵なご夫婦ですねと言われるのが、彼にとっては重要だったし、申し分なく美しい妻に愛されている自分自身を愛していた。その妻は、私でなくてもよかったのよ」
とても冷静に、客観的に、グレイスは話していた。
「私がそれに気付いたのは、あなたを産んでからだったわ。あなたは本当にとても可愛い赤ちゃんで、私は夢中になった。よくあることでしょ? 妻であることよりも、母である喜びを優先させてしまったの。ラリーは、妻にとって自分が唯一無二の一番でなくなったことに気がついて、それはもう怒ったわ。浮気もするようになった。外では、私がどれほどひどい妻か、自分がそれにどう耐えているのか、言いふらしていたわ。今度は悲劇のヒーローになったわけね。でもその内、あなたがラリーになついたの。あなたはとても綺麗な赤ちゃんだったわ。モデルの話まであったのよ。そんな娘が、誰よりも自分になついていると知って、ラリーは誰にも羨まれる素敵な親子になれることに気付いたのね。休日はいつもあなたを連れて、出歩くようになったわ」
「覚えてるわ」
いつも父と一緒に遊びに行っていた。
そして、母の姿はいつもなかった。
いたのかもしれないが、メグの記憶には残っていない。
「でも、ラリーはあなたを愛していたわけじゃない。美しい娘と相思相愛の自分自身を、愛していただけ。だから、あなたにリカルドという恋人が出来たとき、私と同じように、駄目になってしまった」
「でも、でも、私」
「勿論、恋人が出来たからといって、父親への愛情が薄れたり消えたりするはずがないわ。それは、子供が出来たから夫への愛情が消えないのと同じことよ。でも、ラリーにはそれが理解できなかった。誰かに愛されて周囲から羨望されている自分を愛していただけですもの。当然よね」
メグはようやく、サンドラの言葉が理解できたような気がした。
娘を自慢するのと同時に、利用したと笑っていた父。
美しく賢い娘を持った自分を自慢し、そんな娘を利用した自分の賢さを自慢していただけなのだ。
「私はずっと離婚したいと言っていたの。あなたを連れて、ラリーの元から離れたかった。でも、世間体を気にするラリーは絶対に認めてくれなかったわ。私はラリーの浮気の証拠を集めて、裁判になれば必ず負けるわよと脅したの。それでようやく、離婚を認めてもらえた。でも、あなたの親権を手放そうとはしなかった。そしてあなたも、ラリーのことをとても愛していて、私について来てはくれなかった。後悔しているわ。引きずってでも、あなたを一緒に連れて行くべきだった。でもあの頃の私は、精神的にとてもアンバランスで……。ラリーと別れるだけで気力を全て使い果たしてしまったの」
「それは、私が何もわかっていなかったから」
「当然でしょ。あなたはまだ子供だったもの。それに、子供にとって、親は特別な存在だわ。愛してくれるのが当然の、大切な存在よ。あの頃のあなたに、ラリーの本性がわかったはずはないわ。でも、今はわかるでしょう?」
と、グレイスはメグを振り返った。
「ラリーは精神を病んでいる人だった。だから、誰も愛せなかったの。メグ、あなたになにか落ち度があったわけじゃない。それに、ラリーみたいな人はなかなかいないわ。滅多にいない人を夫に持った私も、父親に持ったあなたも、運が悪かったのよ」
にっこりと微笑むグレイスは、メグの記憶の中の人よりも、ずっと表情豊かで優しげだった。
母親に相応しい余裕と自信も垣間見えて、メグを驚かせる。
以前のグレイスといえば、彼女自身も言っていたように、精神的にひどく不安定だった。
ラリーとの結婚生活中は勿論、離婚して別の男性と再婚してからも、あまり改善されていなかったように見える。
だが、この十年で、グレイスはすごくいい方に変化した。
「だからね、また誰かを愛してラリーのように裏切られるかもしれないと思うのは、とても無駄なこと。愛されているのかどうかもわからないなんて、自分に見る目はないのだと思い込むのも、とっても無駄なことなのよ」
きっとグレイス自身が、そう思い続け、自分に言い聞かせてきた言葉なのだろう。
口調は軽くても、グレイスの言葉には無視できない重みがあった。
そして、メグの心の奥深くまで、その言葉は浸透していった。
「リカルドもね、ラリーが強請りをしたというだけで、あなたに騙されたなんて思い込んだとは思えないわ。リカルドは頭の悪い人ではないと思うの。彼はとても人情に厚い人でしょ? 私とクロードを、わざわざ呼んでくれたぐらいだもの。航空券まで送ってくれて、今夜は彼のホテルに泊めてもらう予定なのよ。そんな人が、一度はお付き合いまでした女性を、それほど簡単に捨てるようなことはしないと思う」
「……そう、ね」
グレイスの問いかけるような視線に、メグはゆっくりと頷いた。
「ラリーが、リカルドにそう思い込ませたんだと思うわ。今となっては、何も証拠はないし、リカルドも何も話してくれなかったけれど」
「そんな……、どうして、そこまで」
「それぐらいする人だったわ。ラリーはあなたを横からさらっていったリカルドを、絶対に許さなかったと思う。あなたのことも、自分を裏切ったように思っていたんじゃないかしら。二人を引き離すことで、復讐したんだと思う。リカルドには、相当ひどいことを言ったんだと思うわ。ラリーはそういうの得意だったし」
「得意?」
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