(6)



「愛するお父様の見舞いはすんだのかい?」


 無視をして、メグは車の鍵を取り出す。

 だが、ディックはメグと車の間に体を入れて、邪魔をしてきた。


「どいて頂戴」

「よくもまぁ、そんな口がきけるもんだ。俺には借りがあるはずだろう?」

「借りがあるのは、父よ。私にはないわ」


 ラリーの負の遺産を、メグは相続するつもりはない。

 しかも、ラリーが借りた額はそれほど大きくなかったのに、不当な利子によって、借金は驚くほど巨額に膨れ上がっていた。

 メグにそんな額を返せる貯金はなかったし、誠意をもって返そうという気にもなれなかった。


 そしてディックも、メグが借金を返す義務がなくなることを知っていた。

 なんとか親子の情や、社会的責任などを持ち出して、しつこくメグを説得しようとしている。

 地元の名士であり、弁護士であるアレンが守ってくれているので、職場には現れないのだが、病院にはこうしてよくやってくるのだ。


「お高くとまりやがって。伯爵の秘書をやってたかなんだか知らねえが」

「どきなさい」

「なあ、俺に一晩付き合ってくれれば、チャラにしてやるって言っただろ」

「お断りよ」


 メグは強引にディックを押しのける。

 駐車場に人が入ってきたこともあって、ディックは大人しく車から離れた。

 ようやく車に乗り込み、鍵をおろすと、メグはほっとした。


 だが、車を出し、バックミラーでちらりと見たディックの嫌な視線に、背筋がぞくりとした。

 近いうちに、防犯ベルを買っておいた方がいいかもしれないと、そう感じた。


 


 メグの借りた部屋は、病院とアレンの事務所の丁度中間に位置する、静かな住宅街にある。

 南向きで、広めのリビングにキッチンとバスルーム、寝室が一つの、居心地のいいアパートだ。

 手持ちのお金はあまり多くはないので、もっと狭いところも考えたのだが、ここらへんはかなり物価が安く家賃も安くて、事務員の給料で払える範囲内だった。


 三階の部屋に上がる前に、郵便ポストをのぞく。

 今日も、リカルドからの手紙が入っていた。


 荷物を送ってもらうために、ここの住所を知らせた次の日から、毎日、リカルドから封書が届く。

 だが、メグは一度として手紙を読んだことはない。


 部屋に帰ると、その手紙と荷物をテーブルに置き、買い物を持ってキッチンに入る。

 まずは夕食。手早く作って、簡単な夕食をすませると、シャワーを浴びて、ようやくすっきりした気分になった。

 よく冷えたアイスティーのグラスを持って、ソファに座ると、自然と深いため息が漏れた。


「……疲れた」


 仕事には慣れたとはいえ、ダニエルの秘書とはまるで違う仕事内容に戸惑うことは多い。

 一番違うのは、相手にするのが、上流階級の人々から、一般の、それも困窮した人達が多いということだ。

 どちらがやりやすいとか、いいとかいう問題ではなく、あまりにも勝手が違うので戸惑ってしまうのだ。


 それに、街にある、父への悪意に時々打ちのめされる。

 大金を気前よくばらまいていた父は、街の人々に慕われるのではなく、胡散臭く見られていたようだ。当然だろう。

 メグが娘だと知ると、途端に態度を変える人がたくさんいる。


 そして、ディックだ。

 常につきまとわれて、気が狂いそうになる。

 浴びせられる罵声、根拠のない非難、どれもメグの心を重くさせた。

 最近は、借金を回収するという目的とは別に、メグ自身も狙っているようで、警戒する必要も出てきた。

 これでは、気の休まる暇がない。


(……しっかりしなくちゃ)


 そう思うのだが、なんとなく自分の周囲で起きていることが、まるで別次元の出来事のように、遠く感じてしまう。

 そのせいか、なんとかしよう、対処しようという気がおきてこないのだ。

 こんな自分など、もうどなってしまってもいいと、そんな投げやりな気持ちになっているような感じもする。


(駄目だなぁ)


 ふと、リカルドからの手紙に視線がいった。


「?」


 今日の手紙は、やけに薄い。

 今までのリカルドからの手紙は、手で破り捨てるのが困難なほど、分厚い封書だった。

 メグはわざわざハサミを使って、封書を真っ二つにしたぐらいだ。

 もっとも、ハサミで切ったのは最初の一通だけで、後はそのまま保管してある。


 今日の封書は手でも簡単に破ることが出来る。

 明かりに透かしてみると、中には便箋が一枚きりしか入っていないようだった。


(もしかして、離婚の報告かしら?)


 離婚したことを知らせるため、戸籍抄本を送ってきてくれたのかもしれない。

 だとしたら、重要な書類のわけだから、メグはハサミを使って慎重に封筒をあけることにした。

 入っていたのは、薄い便箋が一枚だった。


 『親愛なるメグ


  百合は気に入ってもらえただろうか。

  少し香りが強すぎるとも思ったのだが、病人にはいいと花屋が話していたよ。

  新しい秘書が、扉の向こうをうろうろと歩き回っている。

  もうすでに、約束の時間に遅れているそうだ。

  申し訳ないが、今日はこれしか書けないようだ。

  今日も君を愛している、メグ。

  君に会いたい。


 リカルド』


 読み終わり、メグはつめていた息をそっと吐き出した。


(愛しているなんて、今もまだ言っているのね)


 リカルドは愛していると言ってくれた。

 メグが長年、待ち望んでいた言葉だった。


 だがそれは、どう考えても、十年前の行為に対する言い訳だとしか思えなかった。

 愛していたから、裏切られてショックだったというのは、一見、筋のとおった言い訳に聞こえる。

 だが、まるでメグを信じようとしなかったリカルドが、本当に愛していたなんてとても思えなかった。


 愛していると言えば、喜ぶと思っているのかと思えて、それがなにより腹立たしかった。

 十年前も、今も、メグはリカルドを愛していると告白していたし、態度でも明らかだったはず。

 だから、リカルドは『愛している』という言葉と態度を、償いに利用したのだとしか、メグには思えなかった。


 リカルドは、十年前の自分の行為をとても反省し、メグに対して償いたいと思っている。

 だから、十年前の真相を知ってからずっと、リカルドはメグに対して償いをしてくれていたのだろう。

 メグに幸せな時間を提供し、子供が欲しいとまで言ってくれたのも、すべて償いのためだ。


(もう、やめてほしいのに)


 愛している人から、償いのために愛していると言われても、惨めなだけだ。

 それとも、惨めな自分は、償いのためだとわかっていても、愛しているという言葉を喜んで受け入れるべきなのだろうか。


 母とは良好な関係が築けず、母を傷つけるばかりだった。

 父には愛されていると有頂天になっていたのに、本当は愛されてなどいず、ただ利用された。

 最愛の恋人には、子供を利用してお金をせびるような女だと本気で思われ、捨てられてしまった。


 自分のどこかには、そういう所があるのかもしれない。

 人には愛されない、愛されているのかどうかきちんと見分けられない、そんな醜く愚かな面が、きっとあるのだ。


 それを自覚して改善できない自分は、この先もずっと、誰にも愛されず、孤独なまま人生をおくっていくのかもしれない。

 それなら、偽りだとわかっていても、リカルドと結婚した方が、何倍もましな人生をおくれるのではないだろうか?


(馬鹿なことを)


 いくらリカルドが意志の固い人でも、このまま一生、偽りの結婚を続けていけるはずがない。

 一生どころか、このまま無視を続けていれば、そう遠くない未来、リカルドは諦めるだろう。


 ため息をつくと、便箋をきちんと封書におさめた。

 いつもリカルドからの手紙を収めている、棚の一番上にある箱を見上げる。

 今日の手紙もそこに入れるつもりだったのが、気がつくと箱をテーブルの上に下ろしていた。


 三十通以上の封書で、箱はすでに一杯。

 二つに切った最初の手紙も、その状態で保管されている。


 きっとこのたくさんの手紙は、リカルドからの謝罪と愛しているという言葉に埋め尽くされているのだろう。

 戻ってきて欲しいと、君に会いたいと、そう懇願されているのだろう。

 目に付いた一通を手に取り、メグはハサミで封を開けていた。


 『親愛なるメグ


  今日、こちらは雨です。

  気温もかなり下がっています。

  君は他に集中すると、すぐに食事を忘れてしまう。

  しっかり食べて、体力を付けて、風邪などひかないように。

  君が風邪を引いて寝込んだりなどしたら、俺は看病しにそちらに行ってしまうだろう。

  俺の顔など見たくないと思っているだろう?

  それなら、健康には気をつけなければね。


  シェフのオーウェンに、昨日の夕食のとき、こっぴどく責められたよ。

  いつになったら、君は帰ってくるのか、迎えに行かないのかと。

  庭師のヘンリーも、屋敷の連中は誰も、俺を見る目が冷たい。

  皆、君を愛している。そして、君が戻ってきてくれることを望んでいる。

  だが、勿論、この世で一番それを強く願っているのは、この俺だということは、忘れないで欲しい。


  朝起きるたび、君が隣に居ない現実に打ちのめされる。

  夜ベッドに入ると、君を思い出して、なかなか寝付けない。

  もうそろそろ一ヶ月たつというのに、君を恋しく思う気持ちは強くなる一方だ。』


 少しだけ見てみるつもりが、貪るようにリカルドからの手紙を読んでしまっていた。

 もう一通と、どんどん封をあけ、メグは時間を忘れ、読むまいと決めていた手紙を、どんどん読み続けてしまっていた。

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