・ジャパンダービーを駆け抜けたおっさん騎士、遊牧民の定住地に帰還する

 ホッカイドーに戻ると、最後の買い出しとお別れ会をした。


 行かないでと泣きじゃくるタルトを慰めて、支えを失って不安がるシノさんを励まして、まるで親族のようにやさしくしてくれたタマキさんにわびを入れた。


 帰りたくない。だが帰らないわけにもいかない。

 俺はエナガファームの放牧地の前で、育てた子馬たちとシノさんとタルトに見守られながら、女神エスリンに導かれて光の中へと消えていった。


 世界が真っ暗になって意識が飛んだ。

 それから長い夢を見て、ずいぶん寝たなと思いながらようやく意識が再浮上すると、俺は山となって積み重なった物資と共に、荒れ果てた定住地へと帰還していた。


「草原か。あの頃は綺麗だったのに、すっかり荒れ果てちまってるな……」


 後ろを振り返れば、そこには牛よりも巨大な虎クターの勇姿と、積み重なったハイパードゥライの箱が占めて36個。カガク肥料の山や、高く敷き詰められた小麦袋、その他数々の苗木や種袋がそびえていた。


「バーニィ!? えっ、後ろのそれってなんなのっ!?」

「どこに行ってたんですか……? 天幕に姿がないから、朝からずっとボクたち、バーニィさんに捨てられたんじゃないかって、不安で……」


「そうだよ、逃げられたかと思った!」

「はは、バドの忘れ形見を残して逃げるわけねぇだろ。訳あってちょいとな、ちょいと――隣の国に行ってきたんだ」


 俺は異世界から稼いできた戦利品に腕を掲げ、どんなもんだと荒々しく笑い返した。

 そびえ立つその山は、どうやって運んだんだと問われても手品を使ったとはぐらかすしかない超物量だ。


「隣の国って、一晩でですか……?」

「おう、一晩で行って戻ってきた」

「あ、これ、小麦……? こっちのは、キノコ……うわっ、なんだこれっ、ヌメッてしてるよっ!?」


 いらないと言ったのに、ナメコの原木までタルトとシノさんが調達してくれた。

 現在の時刻はあちらで言うところの朝9時ほどだろうか。遥か彼方に広がる草原を朝日が鮮やかに照らしている。


 それは言うなれば、人間に管理されていない天然の牧草地だ。あいつらとの別れは悲しかったが、自分が帰るべき場所に帰ってこれた感じがした。


「そりゃナメコだ。味噌汁――シチューに入れると意外と美味いぞ」

「げぇぇ……。これ……食べれるの……? ヌチャヌチャしてて気持ち悪い……」

「あの、バーニィさん。このおっきいのはなんなんですか……?」


 ツィーは食い物、ラトは虎クターや農具に興味津々だった。


「よくぞ聞いてくれた、これこそがホッカイドーより遥々やってきた奇跡の農耕馬、虎クターだ。動かすとこの前のやつがグルグルと回ってな、地面を掘り返すんだよ」

「えっ、こ、これ、動くんですか……!? わ、わぁぁ……♪」

「うちこんなの見たことない……。バーニィ、どこから盗んできたの……?」


「別に盗んじゃいねーよ、こりゃ500万で買ったんだよ。メチャメチャ高かったんだから、大事に扱ってくれよな」


 これは最新型のデーゼル式だ。コイツはケー油を使って動く。だが持ち帰ったケー油が尽きたらただのポンコツだ。使いどころが大事になってゆくだろう。


「バーニィさん……」

「これ全部っっ! うちらのために買ってきてくれたの……っっ!?」

「酒以外はな」


 段ボール詰めされたハイパードゥライの山を叩いた。一箱に350mlが24個、それが36箱ある。ちょっとずつ飲めば2年はもつだろう。


「ええええっ、それ、全部お酒なんですかっ!?」

「ちょいとサービスしてもらえてな。それよか、お前らよく聞けよ? この物資を使って、俺たちはどん底から這い上がるぞ」


 驚くラトに対して、ツィーはらしくもなく大人しい子供みたいな目をこちらに向けてきた。


「あの、バーニィ……。ありがと……」

「なんだぁ? お前さんらしくもなく素直だな……?」


「だって……。こんなの見せられたら、誰だって感謝しちゃうに決まってるでしょ……。うちら、本当に崖っぷちの、滅びかけだったんだから……」

「そうだね、ツィー……。バーニィさん、このご恩は必ずいつの日かお返します。ボクとツィーで、一生かけてでも、必ず……!」


「お前らガキのくせに辛気くせぇぞ。それよか、早速始めるとしようぜ。こんな土地に追い込まれちまった以上は、この荒れ地を俺たちの手で拓いて行くしかねぇ。羊が牧草を食い尽くしちまったのなら、牧草を植え直せばいい。大雑把な部分はドーンッと俺に任せとけ!」


 おっさんは胸を張って格好つけた。

 実際はシノさんが計画したプラン通りに、事を進めるだけなんだけどな……。


 シノさんこそが、マグダ族の真の救世主だ。


「バーニィさん……っ」


 よっぽど感激したのだろうか、飛びついてくるラトを片腕で抱き留める。

 すると怖ず怖ずと、ツィーまでこちらに寄ってきた。


 目と目が合ったので、サービスの必要はねぇと首を横に振ったんだが、どうもツィーはそういうつもりじゃなかったらしい。


 父親を失った娘は、温もりを求めるようにおっさんの二の腕に抱き付いて、強がるのを忘れて小さく震えていた。

 ふと彼方を見ると、マグダ族の連中が遠巻きに俺たちを見ている。


「ようっ、そんなところにいないでこっちこいよ! これから荒れちまったこの大地をガーッと拓くぞっ、この鉄の巨大馬、虎クター号でな!!」


 俺は元の世界に帰った。

 シノさんとタルトとの別れは悲しくてしょうがなかったが、こうしてここに帰ってきてよかった。


 ジョッキーは休業だ。今日から俺は、マグダ族を束ねる族長騎士だ。

 新たな使命が俺を突き動かしていた。



 ・



神々の園にて――


 水鏡に映し出されたバーニィ・リトーと、亜麻色の髪を持つ愛らしい双子を、わらわは身をのめり込ませて見つめていた。

 膨大に溜まってしまった書類仕事を進めなければならないというのに、どうしても彼らの成り行きが気になってたまらない。


 父に代わって遺児を抱き締める姿は立派であったし、スケベで手が早い部分も、端から見ている分には面白い。

 何よりあの笑顔がいい。あの余裕のある温かい笑顔が、わらわをさらに映像へとのめり込ませた。


「妙な男よ……。わらわはどうやら、そなたが気に入ってしまったようじゃな……。仕事をしなければならぬというのに、手がまるで進まん……」


 100万回ダンゴムシにしてやると脅したのに、あの男は我を貫いた。

 逆らえば1000万回ナメクジにすると言ったのにわらわの命令に背き、正々堂々と勝利を獲得しようとあがき抜いた。


「ふぅ……。なんじゃ、この感覚は……おかしいのぅ……」


 今まで一度も感じたことのない不思議な気持ちだ。ふわふわと気持ちが高ぶったり、急に打ち沈んだりする妙な感覚だった。


 わらわは頭がおかしくなったのだろうか……。

 水鏡から映像を消し、それでもやはり仕事が手に付かなかったので、あちらの世界から持ち帰ってきた競馬新聞を手に取った。見出しにはこうある。


『日本ダービー勝者はアルデバラン。メイシュオニゴロシとの僅差の激戦レポート!!』


 バーニー・リトーとメイシュオニゴロシは、写真判定で無念にも負けた。負けてしまった。ハナ差と呼ばれる僅差も僅差のあまりに惜しい敗北だ。


「悔しいのぅ、バーニィ……。あんなつまらないイカサマで、勝者をねじ曲げられてしまうとはのぅ……」


 運命は変わらなかった。勇者候補は史実通りの自堕落人生を歩んでいる。

 あの時ゲートに仕込まれていたあの黒ずみの正体は、何の変哲もない火薬だ。


 実行犯は前のレースに参加していた若手騎手で、新進気鋭のバーニィの才能を妬んだ者たちが共謀して、あの爆発を仕込んだ。


 しかしそれは、わらわがあの世界に介入してジョッキーの制度を変えなければ発生しなかった事件だ。つまりこの計画は、わらわの大自爆で終わった……。

 だからわらわはバーニィに正当な代価を支払って、元の世界に返したのだ。


「悔しいのぅ……。そなたも本心では悔しかろうなぁ、バーニィ……」


 競馬新聞を花咲く大地に投げ捨てて、わらわは再びテーブルを水鏡に変える。

 バーニィ・リトーの姿を求めて、映像をマグダ族の定住地に合わせた。


「だが、わらわもこのまま終わりになどさせぬぞ。バーニィよ、時が満ちるまで待っていてくれ。次こそわらわはそなたを――そなたを、ダービージョッキーにさせてみせよう……」


 わらわはいつまでもいつまでも、バーニィ・リトーが進める大胆な開拓を見守り続けた。

 彼はよく笑う。そのたびにわらわも口元が緩む。


 玉城の孫として接触したときに、バーニィはわらわに見とれた。あの目はなかなか悪くない。

 またあれをやってみるのも一興だろう。猫をかぶったまま、別人を演じるというのも面白い。


 わらわは水鏡に身をのめり込ませながら、彼が描き出す奇想天外な物語を、ふわふわとしたこの気持ちを胸に抱きながら注視していった。

 バーニィ、わらわは不覚にもそなたにハマってしまったようじゃ……。


 もう一度そなたが、満員の競馬場を湧かせる情景が見たい。

 精悍な顔付きで、人馬一体となって正面を睨むその姿は――オヤジに言うのもなんじゃが、そなたは歪みなく美しい……。

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